理由は幾らでも用意出来た。
 妹を助ける理由など、この世界をくまなく探せば星の数くらいは発掘出来る。
 流れ星が埋まっているくらい何処にでもある、ごく普通の事なのだから。

 しかしそれは、理由を用意しなければならないという前提の元に行われる作業でもある。
 幼少期にヴァレロンから離れる事になったフェイルは、妹を身近に感じる日常を失っていた。
 それは、妹という存在そのものを失う事と同義だった。

 実感がない。
 自分に血の繋がっている誰かがいるという実感が、一度も生まれて来ない。
 兄弟姉妹だけでなく、親についても。

 その人生は、フェイルにとって辛いものではなかった。
 彼が特殊な訳ではない。
 その手のエピソードを持つ人間など、それこそ何処にだっている。

 だからフェイルは、ごく自然に妹を助けたいと願うようになった訳ではない。
 あの日――――エチェベリア城に賊が出現した日、そう自分自身に植え付けた。

 


「――――ここで見た事は全て、御内密に。その方が色々と楽です」
 
 仮面でくぐもってはいたが、それでもその声は少年のように高く、それでいて地を這う蛇のように心へ牙を剥け絡みついてくる。
 フェイルは彼の誘惑を断ち切れなかった。
 尤も、抵抗の意思があった訳ではないが。
 
 仮面の人物によって導かれた隠し部屋は、城の一つの空間には留まらなかった。
 そこから地下へと続く階段を下ると、更なる膨大な量の資料が視界を侵してきた。

 10万冊を優に超えるその全てが極秘資料。
 エチェベリア城とはすなわち、エチェベリア国の秘部――――或いは恥部を隠す為の箱でもあった。

「この中から、自分の欲しい情報だけを探すのは難しいでしょう。何を調べたいのか話してくれれば何処にあるのか教えますよ。大体の場所は把握済みなので」

「取引……って事?」

「そうなりますね。今日見た事を全て貴方の胸の内にしまってくれれば、それで良いです」

「僕がそれを守る保証は? 生憎、正直者の証明書なんて持ってないよ」

「監視を付けます。貴方が情報を漏らしていないか。ま、これにも保証なんてないですけどね。監視と言っても接触は一切しないし、日常生活にも何一つ影響を与えません。ただ、これから貴方を見張る人間を付ける……そう宣言するだけの話です」

 監視を付ける。
 しかし監視役の人間はわざわざ名乗らないし、姿を見せる事もない。
 だから監視されている事さえ実感しないだろう――――それが仮面の人物の弁だが、本人の言うようにその事実を保証するものは何もない。

 監視されているかもしれない。
 実はただの方便で、されていないかもしれない。
 そういう曖昧さが一つ加わった日々を送る事になる。

「……わかったよ。それで構わない」

「随分アッサリ了承しましたね。煩わしいとは思わなかったんですか?」

「もし、そっちが本気で情報漏洩を嫌うのなら、そもそも僕をここに連れて来ないよね。僕を始末して終わりでしょ」

「謙虚ですね。返り討ちにする自信はないのですか」

「僕の主観は関係ない。そっちが始末出来ると確信している……って思っただけだよ」

 そもそも、仮面の人物が持ちかけた取引自体、意味のないもの。
 仮にフェイルがこの場で取引を断り、侵入者を退治すべく戦いを挑むとしたら、余りにも間抜け過ぎる。
 敵の誘いに乗って、極秘にされている城の地下まで足を運んでいる時点で、『侵入者の罠』『機密への抵触』という二つのリスクを無駄に背負う事になる。

 ここへ導かれた時点で、取引は成立している。
 仮面の人物の申し出は、ただの親切でしかなかった。

「……自分の出自について知りたい。それと、この国の弓矢と弓兵に対する方針も」

「後者は随分とマニアックですね。武具の貿易に関する情報でどうですか? 弓矢の項目もあるかもしれませんし、国外との取引記録で武具の生産量は大体想像が付きます。生産量がわかれば自ずと力の要れ具合もわかる」

「了解。それでお願い」

 取引は成立した。
 そして同時に、フェイルは自分の境遇について概ね理解した。

 本当に監視されるかどうかはわからない。
 しかし仮に監視されたとしたら、その監視が万が一自分以外の誰か――――王宮の誰かに見つかれば、その時点で侵入者と取引した事が露呈する。
 言うまでもなく重罪だ。

 つまり、この時点でフェイルは城を去らなければならなくなった。

 アニスを救う為に、王宮から去ってヴァレロンへ戻る――――そんなのは、単に自分自身を納得させるのに都合の良い、ただの言い訳に過ぎない。
 そうならざるを得ない、別の事象が存在した。

 全てを投げ出し、夢を諦め、妹の為に人生を費やす。
 なんて綺麗な生き方だ。
 もしそれを実践出来れば、夢破れた人間の第二の人生としては上出来だ。


 ――――そんな見栄がなかったと、そう言い切れるか?

 

 

「……」

 思わず笑みが零れそうになり、フェイルは慌てて下唇を噛んだ。
 血が出る程ではなかったが、炎症を起こす可能性はある。
 それが酷く滑稽に思えた。

 自分を貶めようとするならば、その材料は心の中の何処にだって転がっている。
『実はアニスをそれほど大事に思っていなかった』とするだけの材料なら、幾らでも。
 それほど長い時間を共に過ごしていない、まして実の兄妹という共通認識ではない時間が大半なのだから、状況証拠は無限に用意出来るだろう。

 妹を戦闘の道具――――それも捨て石にしても構わないという理由は、たっぷりとある。
 客観的に見て、そうなのだと確信した。

 だったら、実行に移す為の障害はあと二つ。
 アニスがこの院内を彷徨っている可能性がどれくらいか――――賭けに出る価値があるくらいの確率なのかの本格的な検討。
 そして、決断だ。

 いずれにせよ、これ以外にデュランダルを倒す方法がないのだから、例え限りなくゼロに近い確率であっても試す価値はある。
 しかしそれ以前に、確率としてはかなり高いとフェイルは見なしていた。

 ずっと不審に思っていた事がある。
 何故トライデントは、この病院を破壊しようとしていたのか。

 あの破壊活動は、無意味な行動ではない。
 二度も戦った相手だからわかる。
 トライデントという人間は、無策で行動するような真似はしない。

 もし――――
 もしも彼のあの行動が、『院内の何処かにいるが居場所が特定出来ないアニスを探す為、若しくはおびき出す為』だとしたら?
 
「……!」

 扉の向こうで、微かな足音が鳴った。 






 

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