『――――暗殺技能において最も重要なのは、目でも腕でもない。戦略だ』

 足音が鳴り響くのを気にも留めず院内の廊下をひた走るフェイルは、自身の脳裏に、かつて王宮内で聞いた声を轟かせていた。
 その声は雷鳴に匹敵する大きさで、頭の中を埋め尽くしてくる。

 警告か、或いは高揚か――――

 いずれにせよ、デュランダルと敵として対峙する日を想像した事は、当時幾らでもあった。
 だからこの声が聞こえてくるのは、必然でもあった。
 ずっと意識して覚えていたのだから。

『あくまで暗殺技能だ。暗殺という指令、或いは仕事において最重要なのではない。まずはそれを履き違えるな』

 当時は、その意味を問い返しても答えはくれなかった。

 自分で考えろ。
 これからの経験の中で自ずと実感する事だ。
 その実感が伴って、初めてお前の中で有意義な糧となる――――そんな事を言っていたと記憶していた。

 接近戦は、戦略の入り込む余地がない。
 一瞬一瞬の判断が全てだ。
 それを一つでも多く間違えさせた方に勝利が転がり込む。

 対して、遠距離戦は相手に"悟らせない事"が肝要。
 攻撃位置、意図、何よりも殺意を悟らせない事で、暗殺はようやく入り口に立てる。
 そういう作業だ。

 敵に自分の情報を、全てを悟らせないようにするには、虚を突かなくてはならない。
 けれど暗殺指令が下るような人間の多くは、自分が狙われる身だと自覚している。
 中には警護を付けている人間もいる。

 標的の周囲に人間がいるのは、極めて不都合。
 弓矢はその人間ごと標的を消し飛ばせない。
 魔術とは違い、そこには限界がある。

 だが、魔術にはない利点もある。
 魔術を使用する場合、どうしても魔力の霧散現象が起こる。
 もし標的が護衛として魔術士を雇っていたら、攻撃前にそれがバレる可能性は否定出来ない。

 その点、弓矢はほとんど音もなく、何の前触れも感じさせずに攻撃する事が可能。
 毒を塗れば確実性も大幅に増す。
 古来より、暗殺に使われる武具としては常に第一選択肢の候補となっていた。

 弓矢は、意外と戦略を立てやすい。
 実はそういう利点もある。

 例えば、ごく平凡な日常生活を送っている標的を始末する場合、標的が外出する瞬間を周辺の建物や物陰から狙う。
 これも立派な戦略。
 相手の生活習慣を利用し、最も確実な方法で暗殺を実行するという、単純だが確実な方法だ。

 戦場の場合はそういう訳にはいかない。
 その場合、闇夜に紛れて矢を放つ事が多い。
 熟練された弓兵は、視界がなくとも敵の位置と矢の軌道を読めるものだ。

 仮に標的が建物内に引きこもっているのなら、その人間の生活を支えている者を一人ずつ始末していく手段もある。
 やり方は同じだ。
 その人物が食料の調達の為に外出した瞬間を狙えば良い。

 兵糧攻めは戦争時における戦略の基本中の基本。
 個人暗殺への応用も十分に可能だ。

 そういう戦略が成り立つのは、魔術と違って攻撃の瞬間を悟らせないように出来る弓矢だからこそ。
 何処までも非情になれれば――――という条件付きではあるが。

 この方向性を、デュランダル相手にぶつけるのは決して不可能ではない。
 
 正面から戦って勝てる相手では勿論ない。
 かといって、どこかの物陰に隠れて隙を突き積極的に倒しに行っても、デュランダルの能力と反射速度をもってすれば返り討ちに遭うのは目に見えている。

 ならば、更に違う視点での戦略を張り巡らす。
 角度を変えれば、同じ武器を使っても、同じ使い手であっても、全く違う戦い方が出来る。
 何事にも通じる真理だ。

 そう――――何事にも。
 何事にもだ。

 デュランダルは、戦略の重要性を説く際に『暗殺』ではなく『暗殺技能』を前提条件とした。
 その意味は、今のフェイルには心ならずも理解出来ていた。

 暗殺技能とは、暗殺の為の技術ではない。
 暗殺を行うと仮定した場合、それに必要な技術の事だ。
 目的が暗殺である必要はなく、暗殺と同等の技量を必要とする職務や指令――――例えば特定の敵の足止めや希少な野生動物の発見、対暗殺者の護衛などにも応用が出来る技術を総じて、便宜上そう呼んでいるに過ぎない。  

 薬であっても副作用が強過ぎれば毒と呼ばれる。
 それと同じ事だ。

 デュランダルは、フェイルに暗殺技能を教え込んだ。
 けれど結局、一度も暗殺をさせようとはしなかった。

 暗殺技能を教えられたからといって、暗殺者に仕立て上げられると決まった訳じゃない。
 暗殺専門の特殊部隊に配属されたからといって、汚れた仕事に就くとも限らない。
 敵や味方に脅威を思わせる為に、デタラメの看板を掲げていたのかもしれないのだから。

 フェイルはずっと、その可能性にすがって生きてきたと言っていい。
 師匠と思っていた人間に闇の中へ放り出され、それが辛くて『妹を助けるという体の良い名目で王宮から逃げ出した』と思いたくなくて、ずっと都合の良い解釈を探していた。

 実際、デュランダルがどういう意図でフェイルに暗殺技能を教え込んだのかはわかっていない。
 本人に聞いたところで、それが真実という保証は何もない。
 疑心を上回るだけの確信は、到底得られそうになかった。

 否。

 一つだけある。

「……ふぅ」

 やや支離滅裂になっていた自分の思考を一旦落ち着かせる為、フェイルは背後を確認したのち、最寄りの一室に扉を開け入った。
 幾らデュランダルが国内最高の騎士であっても、壁を隔てた気配を察知するのは不可能に近い。
 物音さえ立てなければ、簡単に見つかる事はない。

 ベッドが一つだけある為、治療室か入院用の個室と思われるが、いずれにせよ現在はその機能を停止している。
 ここには病人も医師もいない。

 今自分が最優先でやろうとしているのは、アルマ達からデュランダルを引き離す事。
 それは間違いない。
 だがフェイルはその他にも、二つの目的を持っていた。

 デュランダルを倒す。
 アニスの位置を探る。

 この二つだ。

 前者は事実上不可能ではあるが、デュランダルが数日もの間フェイルに固執し続けるという異常事態になれば可能性が生まれる。
 普通なら出来ない。
 でも、別の要素を組み合わせれば、出来るかもしれない。

 その要素というのが――――後者だ。
 指定有害人種を始末するという、デュランダルの目的の一つ。
 そことアニスが重なる以上、"それ"は起こり得る。

「……」

 フェイルは妹を、アニスを助ける為に王宮を出た。
 決して逃げ出す為の口実じゃないと、自分にそう言い聞かせ続けてきた。

 本当にそうなのか?

 もしそうじゃなかったとしたら?

 もしそうなら、この戦略は――――成り立ってしまう。
 勝算が生まれてしまう。


「何処までも非情になれれば……か」


 不可能な条件付きではあるが――――







 

                          前へ   次へ