――――王宮という独立した世界がこのエチェベリアに存在する事を、フェイルはその場所に来て四日目でようやく理解した。

 王宮とは通常、王の住む宮殿を指す。
 宮殿とは本来ならば居館を意味する言葉であり、つまり建物だ。

 だが、フェイルが足を踏み入れたその場所は、建物ではなく居住空間と言うべき領域だった。
 そこには王城があり、貴族や騎士用の居館が幾つも連なり、訓練場も多数設置されていた。

 弓兵用の訓練場は特に広く、遠距離射撃の訓練も十分に行えるほど。
 矢の支給も滞りなく行われ、弓は厳選された高品質の物が扱われていた。

 最初にその光景を見た時、フェイルは心中で叫んでいた。
 弓矢はまだ死んでいない。
 寧ろこんなに大事に扱われているのだと、戸惑いさえも覚えた。

 だったら、父は――――ナタル=ノートは何の為に命を絶ったのか。
 複雑な胸の内を自分自身でも理解出来ず、ただ嵐のようにうねる胸の中を必死に押さえ込むしかなかった。

 けれど、呆気なくそれが誤りだと気付く。
 弓兵の質は、他の武器を扱う兵士と比べ、露骨なほど劣っていた。
 弓も矢も、海外からの輸入品だと教えられ、それが単なる国交の材料に過ぎないと知り、心の底から落胆した。

 貿易は、全ての輸入品が自国の望む物で占める事など出来ない。
 相手が輸出したい物もある程度の比率で組み込まなければ、そもそも成り立たないもの。
 弓矢はエチェベリアにとって『望まざる輸入品』だった。

 その事実を知った時、フェイルは王宮を自国の一部だと思うのを止めた。
 彼にとってそこは敵地以外の何物でもなかった。
 だから、他の弓兵と訓練をする気にもなれなかったし、そこに染まるのは絶対に許されないと自身を戒めた。

「好きにすればいい。お前の人生だ。お前の認識が正解かどうかなど、お前以外に意味を持つものではない」

 この事をフェイルが誰かに話したのは、後にも先にもデュランダルただ一人。
 トライデントとの御前試合を言い渡された翌日の事だった。

「まあ、今更俺自身にとっても意味はないと思うんですけどね。この国が弓兵を育てる気なんてないとわかったところで、俺の人生が変えられる訳でもないし」

「お前のやり方なら国さえ変えられる……とでも言いたいのか?」

「そこまで大それた事は言いませんよ。でも、俺が御前試合に勝てば何かが変わるかもしれない。弓兵が、槍兵相手に接近戦で優位に立てば、王族の誰かが弓矢を見直すかもしれない。我ながら幼稚な発想だとは思いますよ。でも、俺にはそれしか出来ないんですよ」

「誰も幼稚だとは言っていない。弓矢の地位向上を願うならば弓兵の活躍は必須。お前の企みに合理性がないとは思わない」

 持って回った言い方をされた事に、フェイルは少し傷付いた。
 本心ではあまり評価されていないと改めて理解したからだ。

「師匠なら、違う手段を使いますか?」

「私なら、魔術国家へと渡る。そこで弓兵として名を馳せれば、魔術に対し強烈なアンチテーゼとなるだろう。あの国と魔術士を快く思っていない勢力とも手を組み易い」

 弓矢が廃れた原因は、同じ遠距離攻撃の手段である魔術の発達と普及に他ならない。
 デュランダルの発案は、その原因そのものにケンカを売るという普通なら無謀でしかない手段だ。

「……それが実現出来る前提で話すんですから、やってられないですよこっちは。俺には無理です」

「だから次善策として、自国を変えようとしているのだろう? 迷う必要などない」

「迷ってはいません。でも、本当は――――」

 本当は、もっと合理的でもっと確実な方法がある事を、フェイルは知っていた。
 弓矢が再び脚光を浴び、弓兵への関心が高まり、弓矢がこの世界に必要とされる未来を勝ち取れるその手段を、フェイルは――――

「――――もう少し、骨のある相手の方がよかったですね。あのトライデントって男、どうなんですか? 大して強くなさそうですけど」

「……前向きなのはお前の美徳だが、楽観的なのは重大な欠陥だ」

「いや、絶対勝てるって思ってる訳じゃないですよ。ただ、弓矢の存在感をアピールするための当て馬としてはどうかなって……」

 本心ではなかった。
 トライデントの実力は未知数であり、少なくともこの時点で、フェイルには不安以外の展望はなかった。

 前向きな性格などではない。
 王宮に来て以降ずっと、空回りを覚悟で前のめりに生きている。
 弓兵が接近戦を極めるなど半ば現実逃避なのだから、それくらいでなければ到底目標として掲げる事さえ出来ない。

 そんな自分だからこそ、こうしてデュランダルに見初められたという自覚もあった。

「そうだ。師匠、実戦訓練に付き合ってよ。師匠との戦いに慣れておけば、相手が剣聖でも本番萎縮しなくて済みそうだし」

「止めておけ。俺は加減が上手い。お前の実力に見合った戦い方など造作もない」

 つまり――――露骨に手を抜くと言っている。
 そんな相手と訓練したところで、気が入る筈もない。

「ですよね……それ以前に、師匠は忙しいからそれどころじゃないですしね」

「寝る間を惜しむ覚悟があるなら、修練を見てやるくらいは出来るが?」

「遠慮しますよ。銀朱の副師団長が俺の所為で寝不足になって任務に失敗……なんて事になったら、夜逃げしなきゃいけなくなる」

「私は一日30分睡眠を取れば翌日は普段通りに動ける。多少疲労感は残るがな」

「……多分師匠、世界で一番長い時間鍛錬してますよ」

 結局、フェイルはデュランダルに見て貰う事を拒んだ。
 実際問題、たかが宮廷弓兵士の一人に過ぎないフェイルが、この国の宝たる騎士の時間を奪う事など許されない。
 当然の判断だ。

 ただ、フェイルの中にはもう一つ、自分でも呆れるような理由があった。
 そしてそれは、彼が弓矢の需要を再び高める為の最善手段として密かに考えていた事にも繋がっていた。

 


 もし――――名もなき弓兵がデュランダルに一矢報いる事が出来たら?

 


「……こいつ」

 デュランダルの視線は一瞬、横たわるバルムンクに向けられた。
 フェイルの矢の毒によって痺れたままになっていたその男は――――今も尚、停止したまま。
 フェイルの言葉足らずのハッタリを、デュランダルは優秀であるが故に一から十まで察知してしまい、絡め取られていた。

「師匠の扱いは心得てるよ」

 なんとか作った一瞬の隙を、どう活かすか。
 フェイルが選んだのは攻撃――――ではなく――――

 逃亡だった。

「完璧主義者。だから途中で投げ出せない」

 ただし、アルマとクラウが走り去った方向とは逆の方へ。
 デュランダルが自分を追いかけてくる確信を抱きながら、フェイルは戦いの場をヴァレロン・サントラル医院全域と定義付けた。







 

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