優先順位は常に頭の中に入ってある。
 例えどのような想定外の出来事に遭遇したとしても、絶望的状況に追い込まれたとしても、すべき事が決まっていれば迷いはない。

 迷いがなければ初動も速い。
 戦場では初動の遅れは命取りになり、決断の早さは命綱にもなり得る。

 フェイルは自身の決断に迷いを持たなかった。
 そしてそれは――――クラウ=ソラスとだけ一致した。

「えっ」

 バルムンクとデュランダルの間にある隙間を埋めるように結界を張ったアルマは、自分の身に起こった出来事を一瞬理解出来ず、思わず間の抜けた声を上げる。
 しかしそれも刹那の出来事。
 彼女は瞬時にその場から消え去った――――クラウによって抱えられ。

 無論、どれだけの速度でそれを実行しようと、デュランダルが見逃す筈はない。
 だが彼とて音速で動ける訳でもない。
 自分がこの場でクラウとアルマを追えば、フェイルに背を向け隙を見せる事になる。

 その隙を、デュランダルは拒んだ。

「毒への耐性はそれなりにあるが……薬草の専門家相手に過信する程ではない」

 感情がこもっているのか、いないのか。
 それさえも曖昧な声で、デュランダルは嘆息混じりに呟く。
 尤も、嘆息が付随する時点で感情があるのは確定しているのだが。

「直前に矢を放てる事を俺に印象付け、俺が背を向けられない状態にしたか。そこまで見越していたのなら、褒めるしかあるまい」

「それは素直に嬉しいよ。師匠に褒められるなんて、そうそうなかったから」

 微かに掠れた声でそう答えたフェイルは、目の前に横たわるバルムンクの背中をじっと眺めていた。
 先程、クラウがアルマを連れてこの場を離れた際、フェイルはデュランダルへの攻撃意識は一切持たず、バルムンクに向かって矢を放っていた。
 全身を痺れさせ、声さえ上げられなくなる毒を塗った矢を。

「……人間とは不思議なものだ。殺気も毒気もない方が、却って警戒する」

「特に普段からそういうのばっかり浴びてる人はね」

 フェイルはデュランダルの事を知り尽くしている訳ではない。
 だが、彼の事を誰よりも尊敬していた。
 だからその傾向と思想は、誰よりも理解している自負があった。

「何故、その男の無力化を優先した」

「この巨体に前後不覚で暴れられたら、不利なのはどう考えても僕だから。それだけだよ」

「ならば――――アルマ=ローランを逃がしたのも同様か」

 抜き身のオプスキュリテの剣先を床に付けたまま、デュランダルは問う。
 戦闘態勢は一切崩していない。
 それもその筈、フェイルからアルマの情報を聞き出す事も視野に入れていた彼にとって、現状は然程大きな損失ではないからだ。
 
 とはいえ、最善でないのも確か。
 その苛立ちをどうにか引き出せないかという事だけを、今のフェイルは考えていた。

「この場に自分一人が残り、俺と一対一で対峙する。この現状こそが最も俺に情を訴えやすく、最も生き残れる可能性が高い形勢……そう踏んだか」

「もしそこまで計算してたら、もっと褒めて貰えたかもね。いかにも師匠好みの戦略だし」

 けれど、それはやはり無理だと結論付けた。
 デュランダルの感情は不動にして無形。
 これは最早、真理と捉えるべきだ――――それが、敵として対峙した彼を見た率直な感想だった。

「でも違うよ。僕がここに残ったのは、アルマさんを生かす事が最優先だと思ったから」

「あの男がアルマ=ローランを生かしておく保証など、何処にある? ましてあの男が花葬計画の一部だったとしたら、お前は自ら敵に塩を送った事になる」

「……どうかな。様付けで呼んで如何にも……って感じだけど、結局人物像を掴ませて貰えなかった。だけどあの場でアルマさんを貴方から遠ざけられるのは彼だけだ」

「お前では駄目だったのか?」

「師匠を一番長く足止め出来るのは間違いなく僕だからね。こればっかりは仕方ない」

 夢は在った。
 潰えたが夢は在った。

 目標も在った。
 目的も在った。

 目減りしていく自身の目的に、それでも縋り付いていた。

 自分の手でアニスを救う。
 ビューグラスを止める。
 リオグランテをあのようにした人間――――スティレット=キュピリエに引導を渡す。

 どれか一つでも自分で、という願いがあった。
 けれど、どれほど目的を絞っても、現実は受け入れてはくれない。
 デュランダルとここで遭遇した時点で、フェイルは目的の大半を諦めざるを得なかった。

 だが、『自分で』を抜けば、まだまだ可能性は残せる。
 自分の手ではなくても、アニスが幸せな人生を歩めるのであれば、ビューグラスが狂気じみた実験から手を引き罪を償うならば、スティレットに報いを受けさせる事が可能ならば――――それで良い。

 スティレットに対する切り札となるであろうアルマが無事なら、きっと果たせる。
 ファルシオンとフランベルジュならやってくれる。
 あの二人とアルマ、そしてヴァールの四人なら、きっと。

 そうフェイルは納得していた。

「僕は今日、ここで、師匠を止める為に生きて来た。そう思う事にしたよ」

 フェイルは右肩を上げ、矢筒から新たな矢を抜いた。
 痛みはない。
 だがその動作で、骨の周辺の組織は完全に修復不能となったのは自覚出来た。
 
 これが最後。
 目が先か、右肩が先か――――いずれにせよ、もう壊れてしまっても構わない。
 最後なのだから。

「……お前には、もっと違う生き方があった筈だがな」

「でも僕はここに流れ着いた。それが結果だ」

「今、この場でアルマ=ローランに関して知っている事を全て吐け。信憑性があれば、更なる情報を隠し持っていると見なし、生かしておく事も出来る」

 感情がこもらないデュランダルの声は、最早フェイル以上に感情を宿した言葉をその声のまま紡いでいた。
 仮面とて、熱を浴びれば変形もする。
 フェイルは少しだけ、生き甲斐を感じていた。

「話す事は何もないよ。そもそも、僕は彼女の事を余り知らない」

「……そうか。ならば今、お前はただの足止め要員に成り果てた」

 オプスキュリテが揺らぐ。
 無念を携え、線を描く。
 その剣先は――――フェイルの眉間に向けられた。

「僕がバルムンクさんを痺れさせた本当の理由を教えようか」

 かつて慕い、かつて目に掛けた者同士の戦いが、今――――

「この毒には時間制限がある」


 始まった。







 

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