戦場に生きる者は、血の臭いに敏感だ。
 それは獣がそうであるのと同じで、血を嗅ぎ分けることが生死を分けるからに他ならない。

 血は肉の呼び水。
 血のある所に肉がある。
 生き延びる為に必要な栄養がある。

 実際にその肉を食べるか否かは問題ではない。
 自身が常に生命の危機に瀕していると理解している時、人は血を嗅ぎ分ける。

 すなわち――――自身が戦場に立っていると自覚している者は、いつでも血の臭いを感じるもの。

 フェイルは瞬時に悟っていた。
 自分の怪我が、負傷箇所がデュランダルに看破されていると。

 無防備な背中はその証。
 撃ちたくても撃てない――――そう見透かされている。

「っ……」

 オプスキュリテの一閃は、デュランダルと完全に同時だった。
 回転する前は、予備動作どころか上段構えすら視認出来なかったというのに、身体を回した時にはもう剣は上から真下へと振り下ろされていた。

 一体どんな修練を積めば、そのような芸当が可能なのか。
 フェイルにわかる筈もない。
 剣の道を究めた達人――――例えば剣聖と呼ばれる人物ですら、持ち合わせていない解なのだから。

「ほう……」

 クラウは反応出来なかった。
 己を真っ二つに切り裂くその剣筋が、自分の身に降りかかる刹那さえも。

 ただ、予見していた。
 デュランダルは必ず、自分の反応出来ない速度で剣を振り下ろしてくると。

 だからフィナアセシーノの三日月型の刃を自身の額の上に置いていたのは、決して偶然ではなかったが、カテゴリーとしては同分類のものではあった。

「良く防いだ、とでも言いたいのでしょう。何、ただの勘ですな。前と同じ処刑方法は好まないというだけの根拠ですが」

 冷や汗が混じっても不思議ではない状況下で、クラウは涼しい顔をしながらデュランダルの剣を突き放した。
 彼もまた、紛れもなく天才――――或いは鬼才。
 天賦の才能なくして実行出来るものではない。

 だが同時に、このたった一つの攻防で両者の実力差は明白となった。

 事も無げに放ったデュランダルの攻撃が、クラウにとっては命がけ。
 絶望的な戦力差は如何ともし難い。
 デュランダルがその気になれば、次の瞬間にクラウの身体は何処かしらを失うだろう。

 しかしそれを実行に移さないのは理由がある――――

 そこまでを考えたのち、フェイルは左肩をグルリと回し、小さく息を吐いた。
 これから自分が実践する事への準備だ。

「思えば、師匠に一発食らわせた事なんて一回もなかったんだっけ」

「……」

「だとしたら、ここでの再会はそういう宿命だったのかもね」

 矢を一本、筒から抜く。
 左手に持った弓の上端を使って矢羽を引っかけるその所作は、既にスープを匙で掬うよりも身近になっていた。

「二人揃って良く喋るな。自覚はないのか?」

「あるから喋ってるんだよ。そっちのギルド代表の人とは違う理由だけどね」

「昔を思い出して情けをかけて欲しい、とでも言いたいのか?」

「それはもう実現してるよ。師匠が僕以外を相手にここまで喋るとは思えないしね」
 
 無論、それはデュランダルが攻撃を躊躇している理由ではない。
 彼は既に、この場を戦場だと認識している。
 ならば、例え相手が誰だろうと情けをかける筈がない。

「僕の口が軽ければ軽いほど、師匠は欲しがる。アルマさんの情報を」

「……この場でお前達を始末して、封術士の娘を手に入れれば良い」

「違うね。だったらそもそも僕とアルマさんが共に行動するのを黙認する必要がない。でしょ?」

 デュランダルは以前、フェイルにアルマを一時預けておくと宣言した。
 そうする理由があったからだ。
 彼が人情や気まぐれで自分の目的――――王からの指令を他人に預けるような真似は絶対にしないと、フェイルは知っていた。

「師匠の本当の目的は、アルマさんに関する何らかの情報。それを炙り出す為に、アルマさんに関してはずっと静観して泳がせていた。簡単な理屈だよ」

 デュランダルならば、アルマの身柄を拘束し、アルマ自身にそれを吐かせようと試みる事は十分に出来た。
 しかし実行していない。
 つまり、無意味だと知っているからだ。

「アルマさん自身は知らない、若しくは知っていても何らかの理由で他人に漏らす事がない情報を、知りたがってる。そうだよね」

「……変われば変わるものだな」

 半ば呆れ気味の声。
 フェイルの言うように、他の人間に対しデュランダルがそのような声を発する事は皆無。

「その言葉、そのまま貴公に対しても向けましょう」

 クラウもまた珍しく、表情に驚きを添えてそう告げた。

「私が王宮にいた頃の印象とは随分と違いますな。先程私に感嘆……ではないのでしょうが、感心したような声をあげた事自体が驚愕に値します。何しろ、一度も見かけた事がありませんでしたので」

「クラウさん、その人と知り合いだったんだね」

 怯えていた訳ではなく、かといって悠然としていた訳でもないのだろうが――――アルマは久々に声を発した。
 同時に、デュランダルの視線が彼女に向けられる。
 ただし"銀仮面"が揺らぐ事は決してない。

「これでもそれなりの地位にいましたのでね。こう見えて私は、【銀朱】初の特殊部隊……暗殺部隊を取り仕切る予定でしたので」

 ついに――――これまでフェイルが要求しても突っぱねてきた『自分語り』を、ついにクラウが始めた。

 理由は一つしかない。
 デュランダルの動揺を誘う為。

 通常の彼には一切通用しない、過去の暴露による精神的な揺らぎ。
 しかし今なら、フェイルと対峙した事で普段とは違う、ある意味では違わない彼ならば――――

「恐らく"後釜"の予定だったフェイル君ならばご存じでしょう。その暗殺部隊を設立したのが、彼。デュランダル=カレイラなのですな。目的は……そう言えば聞かされていませんでしたな」

 揺さぶる意味がある。
 クラウは饒舌に、そして狡猾にこの瞬間を待っていた――――そう言わんばかりの畳みかけだった。

「……」

 銀仮面は揺るがない。
 だが、動かない。

 彼にとって――――

「多分、王宮を通してないよね。王様の命令じゃないし、許可も得ていない。そんな暗殺部隊を作る理由なんて一つしかない」

「複雑な事情なんだね。ちょっと理由を聞くのが恐いかな」

「かもね。とてもじゃないけど良い気分になれる話じゃないし、信じたくなかった。でも、クラウさんが僕の先輩って言うのなら、多分間違いない」

 眼前の三人全員が、間違いなく――――

「王宮内の誰かを秘密裏に始末する為の部隊、だったんじゃない?」


 紛れもなく"天敵"だった。






 

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