戦況――――そう呼ぶほど戦闘に発展した事実は、少なくとも今この場所にはない。
 デュランダルは殺気を放った訳ではないし、敵意さえも覗かせていない。
 だがフェイルは、そしてクラウもまた、迷う事なく臨戦態勢を整えていた。

「右腕に気を付ける事ですな。あの男、何かを"飼っている"やもしれませぬ」

「飼う?」

「自分の意思とは関係なく、勝手に……自律した動きをする故に。よって一切の予測が出来ないので」

 それはクラウの経験談だった。
 かつて、エル・バタラの会場内で受けた一撃の記憶が、彼の脳裏には鮮明に残っている。
 当時もまた、デュランダル本人は殺気と無縁だった。

「フェイル。もう一度言う」

 その物憂げな眼が、ゆらりと動く。

「封術士をこちらに渡せ」

「やなこった」

 この瞬間――――フェイルは昔の悪ガキに戻った。
 右肩の負傷も、目の憂慮も、何もかも忘れ、目の前の出来事に没頭していたあの頃に。

「そうか」

 デュランダルの感情なき返事と同時に、視野が開けた。
 院内の薄暗さが瞬間的に消え失せ、空間全体が鮮明に狂い出す。

 奇怪な感覚だった。
 フェイルにとってそれは、何かの予兆としか思えなかった。

 眼前のデュランダルが、景色から浮き出る。
 壁が、床が、周囲の全ての空間がまるで意味をなくしたかのように、存在を薄めていく。
 しかし決して消える訳ではなく。

 デュランダルが何かをした訳ではない。
 明らかな自身の目の変調を感じ取り、それでもフェイルは解釈するのを放棄した。

 デュランダルがハッキリと視える。
 だったら何も問題はない。

「なら仕方がない」

 刹那――――デュランダルの右腕が動いた。

 消えなかった。
 それが何を意味するのか、フェイルは瞬時に理解したが、最早気にも留めなかった。

 何度も経験した感覚だった。
 トリシュは左腕を蛇のようにしならせていた。
 トライデントは右腕を膨張させていた。

 生物学的にはおよそあり得ない状態変化を目の当たりにするのは、既に慣れ過ぎていた。

 風などないこの場所で、風切音が耳を裂く。
 唸りを上げる余韻が今も残像となって鼓膜を揺るがす。

 フェイルは――――回避していた。
 デュランダルの伸びた右腕による一撃を。

 オプスキュリテで突いてきた訳ではない。
 剣を握ったその右手が、そのまま殴りつけてきた。
 フェイルにはそう見えた。

「……まさか、とは思っていたが」

 躱された事への驚愕は、少なくとも表面上は現れていない。
 銀仮面の異名は、だからこそ揺るがない。
 フェイルの視界に収まるデュランダルは、依然として周囲から浮き彫りになったまま、右腕を元の長さに戻していた。

「"これ"の対抗手段を持ち合わせた者がお前だったとはな。因果とは斯くあるものか」

「戦闘中にお喋りとは、随分と余裕ですな」

 そのクラウの声が聞こえるのと同時に、フェイルの視界が変化する。
 瞬時にではなく少しずつ、ゆっくりと景色が元に戻っていった。
 隣にいるアルマの姿も視認出来るように。

「今のが以前、私を仕留めた一撃。本来ならば不可避の一撃なのでしょうが……いやはや、フェイル=ノートとは私が思っていた以上に優れた戦士なのですかな」

「……そんな良い物じゃないよ、今のは」

 フェイルの体感としては、避けたというよりは『退いた』という方が的確だった。
 不意に手で顔を触らせそうになったから、反射で避けた。
 その感覚が最も近い。

 だから、攻撃を回避したという意識は殆どない。
 逆に言えば、あれだけの速度、そして威力を十分に感じさせる一撃だったにも拘わらず、攻撃という認識を身体と頭が持てずにいる。
 デュランダルの右腕は、そういった特異な"何か"が宿っているとフェイルも確信した。

「飼っている……っていうのは適切な表現だね」

「経験者は知る、ですな。さて王宮騎士団【銀朱】副師団長、一つお聞かせ願いたく。貴公がアルマ様を狙うのは、その攻撃を回避出来る手段をアルマ様が持っているから……ですかな?」

 次の一撃が飛んでくる前に、間髪入れずクラウが問う。
 フェイルとの会話は、その為の前振りに過ぎない。
 自分と話しているように見せかけ、即座に会話の相手を切り替える事で標的の意識を一瞬削ぐ――――そのやり口にフェイルは思わず舌を巻いた。

「答える理由はない」

「理由次第では、貴公は戦う事なくアルマ様を手に入れられるかもしれないのですぞ?」

「……」

 不穏な言葉にも拘らず、フェイルも、当の本人であるアルマも顔色を変えなかった。
 仮に――――ここでクラウが裏切ろうと、それはもう予防しようもなければ怒るだけの余裕もない。
 信頼ではなく、単なる割り切りだった。
 
「ないな」

 汗腺が――――
 一瞬にして乱される。

 殺気なのか、敵意程度なのか、それさえも把握出来ない。
 これまで一切の圧力を見せなかったデュランダルが、初めて明確に攻撃態勢をとった。

 それは同時に、先程のあの一撃は連続では実行出来ないと強く推認させる行動でもある。
 フェイルから回避されたとしても、クラウ相手なら確実に通用する。
 デュランダルにとって、一対三も一対二も大して変わりはないと言えばそれまでだが――――フェイルはそうは思わなかった。

「フェイル=ノート。後方支援を願いたい」

 クラウが一歩、前に出る。
 弓使いであるフェイルが支援を担当するのは必然的だが、右肩を負傷しているフェイルは矢を放つ事が出来ない。
 しかし痛みを消している為、デュランダルにはそれを悟られていない――――それがクラウの狙いだ。

 戦力にはなれなくとも、牽制の役割は果たせる。
 デュランダルの意識を一割、或いはその半分以下でもフェイルの方に向けられればそれでいい。

「……了解」

 フェイルもまた、その意識を共有した。

「では先手必勝という事で」

 舞う。
 クラウの仕掛けは、例え高速であっても表現としてはそれが正確だった。
 
 軽やかな所作によってデュランダルの正面まで瞬時に移動したクラウは、また次の瞬間には背後に回っていた。
 同時に、死神の鎌――――フィナアセシーノがデュランダルの首筋を狩る―――寸前で首と刃の間にオプスキュリテが割り込んだ。

 複雑な形状のその剣は、相手の武器を絡め取る事も可能。
 だが鎌状のフィナアセシーノは即座に軌道方向を変え、薙ぐようにオプスキュリテと衝突。
 そのまま絡め取られる事もなく、クラウは後方へ跳んだ。

「む……!」

 後退するクラウの方へ、デュランダルの身体が反転する。
 その速度にクラウは対応出来なかったが――――

 デュランダルの背中は、フェイルに対し完全に無防備だった。

 誘い――――
 瞬間、フェイルの頭にそんな言葉が過ぎった。







 

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