鮮血は目を惹く。
 色か、匂いか。
 例えそれが自分であろうと敵であろうと、血は人の心を鷲掴みにして離さない。

 フランベルジュもまた、その呪縛から逃れられなかった。

 自身の放った下段構えからの斬撃がオスバルドの脹脛を抉った感触――――それだけで十分な筈だった。
 それ以上の確認作業など必要ない。 
 早々に意識をもう一人の敵、アロンソの方へ向けるべきだった。

 けれどフランベルジュは、オスバルドの脚から吹き出た血飛沫に一瞬、目を奪われてしまった。
 頭でどれだけわかっていても、本能が言う事を聞いてくれない。
 おぞましくも美しい他人の血が、呪いのように意識を吸い寄せる。

 それでも、フランベルジュは次の瞬間には強引に意識を切り替える事に成功した。
 彼女の成長は自他共に認めるところだが、最大の伸びを見せたのは精神面――――すなわち自己の制御。
 血の呪縛を最小限のロスで食い止めた。

 が――――その一瞬が命取りになる。

 アロンソはフランベルジュの狙いを早々に理解し、自分が標的ではないと確信した刹那に動き始めていた。

 敵の隙を突く為の攻撃は、最小限の予備動作で繰り出せる手首だけを使った斬撃が有効。
 手首を返す――――ただそれだけの所作で、アロンソは自身の剣をフランベルジュへ向け払っていた。

 平行に斬る薙ぎ払いとは違い、上から下へ弧を描くように繰り出された剣技は、剣そのものの重量を乗せ、フランベルジュの首元を――――

「!」
 
 裂く寸前で止まった。
 否、止められた。
 結界によって。

 だが――――その直後に驚愕の表情を浮かべたのは、他ならぬ結界を出力したファルシオン。
 アロンソはもう、次の予備動作に入っていた。
 フランベルジュの身体に結界を張られる事を、予め想定していなければ出来ない動きだった。

「ここに来る以前の君達なら、ここまで息は合っていなかっただろう……」

 素晴らしい――――そう続ける前提のような、柔和な声。
 表情も穏やか。
 しかし対照的に、アロンソの全身の筋肉は次の瞬間、唸るように膨張した。

「になああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 剣を両手に持ち替え、大きく振りかぶり、剣に結界を叩き付ける。
 尋常ではない攻撃手段だった。
 だが同時に、物理結界に対する対抗策としては正解の一つだった。

「ぁ――――!」

 耳を劈く衝撃音。
 同時に、フランベルジュの身体は地面に叩き付けられ――――そのまま沈黙した。

「あ……」

 数的有利の状況は一瞬で消失。
 動かなくなったフランベルジュを一瞥したのち、アロンソの獲物を睨む目がファルシオンへ向けられる。

 物理用結界は、対魔術用の結界よりも衝撃吸収率が劣る。
 魔術同士の衝突ではない為、一つ大きな変換作業を挟む必要があり、その分を魔力に割く必要があるからだ。
 要するに、難易度が高い分、質はどうしても落ちる。

 更に、魔術が魔力を源とした技術である以上、供給源である術者と離れれば自然と劣化してしまう。
 加えて一度触れられるとエネルギーの損失も生まれる。

 フランベルジュの奇襲を、ファルシオンは予測していた。
 根拠は一つしかない。
 今のフランベルジュなら、オスバルドと一対一で戦いたいという欲よりも、この場をファルシオンと共に切り抜ける事を優先する――――そんな信頼だけだ。

 事実、フランベルジュはファルシオンの予想通り、最適の方策を選んだ。
 だから、攻撃の隙を結界で支援するのはごくごく当たり前。
 けれどその結界は、離れた場所にいるフランベルジュに使用する分、硬度や衝撃吸収の観点で言えばどうしても質が落ちる。

 そこを突かれた。

 しかも、敢えて一度触れる事で結界を弱め、ファルシオンに“第二の矢”がないと確信している上で、アロンソは弱った結界へ向け全力で剣をぶつけた。
 全てが計算された、無駄のない攻防。
 自分の部下が事実上戦力外となる事さえも含めて。

「……一ギルドの隊長とは思えない力ですね」

 第二の矢がない理由は至極単純。
 魔力切れだ。
 ファルシオンは既に、昏倒寸前になるほど魔力を消費していた。

 最早勝機はない。
 自分に出来るのは――――

「貴方は一体何者なんですか……? 王宮とこの街を繋ぐパイプ役……にしては、目立ち過ぎています」

 時間稼ぎのみ。
 フランベルジュの生死はまだ不明なのだから、ここで時間を使えばフェイル達が駆けつけてくれるかもしれない――――そんな一縷の望みを賭けた声がけだった。

「無駄だね。付き合う意味がない」

 それさえも看過されてしまう。
 絶望は直ぐ目の前にあった。

 アロンソの足が一歩、二歩と近付いて来る。
 絶望がすり寄ってくる。


 ――――不思議な事に、ファルシオンに恐怖はなかった。


「調整、という言葉を先程使っていたようですが、私がやっていた事の親玉が貴方だったんですね。両計画を円滑に進める為の調整役……それだけではなさそうですが」

「無駄だと言っている。君の妄言に価値などない」

「スコールズ家を不幸に追いやったのも貴方の仕業なんですね」

 その足は絶対に止める。
 止まるという確信ではなく、止めるという強固な意志。
 魔力を失う前から、ファルシオンは覚悟を決めていた。

「……何?」

 絶望の足が止まる。
 それは予想出来た。

「貴方がスコールズ家に深く関わっていたのは知っています。そして私達は"リッツ=スコールズを名乗っていたあの子"から真相を聞かされています」

「……」

 アロンソが言っていた『ウエストは自分達の傘下』という言葉が真実なら、彼は情報の専門家。
 既にリッツ本人に対してあの時の――――デュランダルから襲撃を受けた際の事を、部下を使って調査している可能性が高い。
 だからこそ、『リッツ=スコールズを名乗っていたあの子』という言葉には確実に食い付くという算段がファルシオンにはあった。

「貴方は、流通の皇女とスコールズ家を繋ぐパイプ役でもあった。その縁でスコールズ家と懇意になり、その情報網を使って没落の理由を知った。そして……それを利用しようとした。違いますか?」

「違う。僕はそんな卑劣な真似はしない」

「トリシュ=ラブラドールの正体が生物兵器に汚染されたリッツ=スコールズだと知って、彼女をウエストからウォレスに移籍させて囲いましたね? 壊れかけていた彼女を人質にして、母の名を借りていたリッツの娘を脅し、流通の皇女に籠絡させて、スコールズ家の"人脈"を奪った。違いますか?」

 既に貴族として没落していたスコールズ家には、財産は然程残っていないと推察される。
 だがかつて栄華を極め、今もこのヴァレロンの地に大きな影響力を残しているのは確かで、その大きな要因は人脈の広さに尽きる。

 貴族の盛衰は人脈が全てと言っても過言ではない。
 どの勢力と、どの組織と、どの国家と――――どの程度の太さで繋がるかによって、その後の運命が決まる。

 地盤を固め自身の領地のみで統治を行う堅実な貴族など殆ど存在しない。
 甘い汁を吸い続ける為には、その枝がいつか枯れる事を想定しておかなければならないからだ。

「リッツの娘が……彼女がそう言ったというのか。そんな筈はない!」

「彼女は何も言っていません。ですが、一つ言える事があります」

 ファルシオンを突き動かしているのは、生き残らなければならないという使命感。
 生き残って、この病院に放置したままの――――また動き出すかもしれないリオグランテを、ちゃんと天国へ送り出すという使命感。

 そして、もう一つ。

「彼女はずっと孤独でした。もし私達が偶然駆けつけていなければ、デュランダル=カレイラに狩られていたでしょう。誰からも守って貰えずに。それが全てです」
 
 それは――――怒り。







 

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