予見する材料を一切提供しない、不可避の矢。
 気が付いた時には全てが手遅れ。
 アルマの心髄――――身体の中央、鳩尾辺りを完璧に捉えたその矢は――――

「アルマ……さ……」

 見るも無惨に、粉々に砕け散っていた。

 そんな事は通常あり得ない。
 アルマに矢が刺さらなかった事実への安堵より、フェイルは目の前で起こった不可解極まりない出来事に思わず立ち尽くす。

 だがそれも一瞬。
 今自分がすべきなのは、狙撃手を視認する事。
 未だ気配が何処にあるかさえわからない以上、エントランス全体に目を向けなければならない。

 気配を断った人物を即座に認識するのは、非常に難しい。

 人間には呼吸やそれに伴う僅かな上下運動、心臓の律動、眼球移動、表情などが必ず顕在するし、有機物特有の生暖かい存在感もある。
 その先入観が、視認した刹那に『これは人間だ』という確信を作り、視覚などから得る情報によって補足する。
 最初の一瞬を除けば、視るという行為は全て裏付けとさえ言えるだろう。

 だが、そういった『人である手掛かり』が一切ない相手の場合、最初の一瞬が阻害される。
 人であるという漠然とした理解が乱れる為、本来なら視野に入っているにもかかわらず、認識が遅れてしまう。

 どれだけ意識しようと、この一瞬の阻害を防ぐのは不可能。
 そして、その認識の錯乱が起こっている間に標的から移動され視野の外に逃げられると、最初から見えていなかったと錯覚してしまう。

「っ……」

 辺りを見渡しても、人らしき人物はクラウとアルマしか認識出来ない。
 フェイルは思わず唸り声を上げたい衝動に駆られ、奥歯を噛む。

 このまま、明らかに暗殺技能を有した狙撃手を放置していたら――――

「此方は大丈夫だよ。滅多な事では怪我しないからね」

 ――――その一言は、まるで一片の雪のように、フェイルの顔にふわりと落ちた。

 自分がすべき事。
 自分だけが出来る事。
 それが一瞬で力強く輪郭を描いた。

「クラウさん!」

「ふむ。炙り出すのですな」

 自分に声が掛かった時点で準備済。
 クラウもまた、この状況で自分が何をするのが好ましいかを瞬時に理解していた。

「何者かは存じませぬが、少々おいたが過ぎますぞ」

 放ったのは――――殺気。
 それも高濃度の。
 室内が一瞬で、死刑囚の溜まり場のような空気へと変貌する。

 暗殺技能の中には、状況変化への対応をかなり重視した項目が含まれている。
 舞台を整える事が重要というのが暗殺の鉄則だが、それ以上に『何があっても絶対に身元が露呈してはならない』という大前提を遵守しなければならないからだ。

 暗殺者が身柄を確保されたり特定されたりするのは、不測の事態が起きた時。
 それ故に対策も入念に行うのが常だ。

 だが――――それでもクラウの放った殺気は、狙撃手の防御壁を貫通するかの如く、これまで一切存在しなかったこの場における"第五の存在"の気配を一瞬浮き彫りにした。
 感情の揺れによって生まれた、微かな隙。
 当然狙撃手も自分の潜伏場所が露呈した事に気付く。

 エントランスに並ぶ低い椅子の――――真下。
 狙撃手は瞬時にそこから抜け出し、病院の出口へ離脱を試みた。

 その速度は凄まじく、フェイル達がいる通路に近い場所からは距離がある為、追いかけても間に合わない。
 矢を構える暇さえない。

 フェイルは左目を瞑り、右の鷹の目でその後ろ姿を捉える。
 気配を消す余裕さえない為、視認は円滑に行われた。

「……」

 知っている背中だった。
 知っている弓だった。
 顔が見えた訳ではないが――――

「アバリス……隊長……」
 
 背丈や肉付き、何より気配の種類が、フェイルの記憶内の彼と一致してしまった。
 元宮廷弓兵団隊長、アバリス=ルンメニゲ。
 以前、自分が使っていたライトボウと同じ弓を持っていた。

 胴の部分を金属で造り、弦を羊の腸でこしらえた特製品。
 見間違える筈もない。
 同一の物ではないとすれば――――敢えて同じ外見の弓を用意した事になる。

 フェイルに暗殺の罪を着せる為に。

「貴殿の知り合いでしたか。察するに宮廷弓兵の隊長ですかな」

「……うん」

 クラウの言葉も危うく素通りしてしまうほど、フェイルの心は絶望の棘で無数の穴を開けていた。

 決して、良好な関係ではなかった。
 何度も怒鳴られ、呆れられた。
 しかし誰より自分の才能を買ってくれていた。

 王宮を去る時の光景を、フェイルは忘れる事が出来ない。
 アバリスが先頭に立ち、エチェベリア宮廷弓兵団の面々が自分との別れの為だけに時間を作り、暖かい言葉を掛けてくれた。
 隊長であるアバリスの発案なのは疑いようもない。

 接近戦を身に付ける為の訓練を行わなければならなかった手前、教えを請う機会は殆どなかった。
 それでも、宮廷弓兵団の隊長を任せられるだけあって、弓兵としての実力は確か。
 何より、異分子たる自分に一定の理解を示し、許容してくれる数少ない人物だった。

 彼が隊長でなければ、フェイルは王宮に居場所を見出せなかっただろう。
 デュランダルやガラディーンとは別の意味で、フェイルにとって恩人の一人だ。

「余り気に病まない事です。暗殺者が自分の意思で動く事などないのですから」

 それは、身に沁みてわかっている。
 それでもクラウの言葉に、フェイルは穴を塞ぐ気になれた。

 冷静になれ。
 冷静になれ。

 そう心中で繰り返し、反響させる。
 自己暗示そのものだが、それでも効果はあった。

「トライデントさん。意識はある?」

「……一応」

 声は先程より一層擦れており、聴き取れる範囲の限界に近付いていた。

「貴方にもう少し話を聞きたい。少しそのままで待ってて貰えるかな」

「……敗者に拒否権などないだろう」

 消え入りそうなその声に頷いて見せたのち、フェイルは足下に転がる矢の破片を律儀に拾うアルマの肩に手を置いた。

「アルマさん。その矢はどうして砕けたの? 結界……だよね」

「えっと――――」

「自律魔術……差し詰め自律結界、といったところでしょうか。アルマ様にはそれがあるのですよ」

 アルマの代わりにクラウが答えたその内容は、フェイルにとって馴染みのない言葉で構成されていた。







 

                          前へ   次へ