「弓矢の時代は終わった。今後この武具は狩りの為の道具となり、一線からは退くだろう」

 ――――それは、不意に漏れた敗北宣言。

 幼きフェイルはそれを耳にした瞬間、自分の聴覚をまず疑った。

 ナタル=ノートという名の弓職人は決して弱音を吐くような人物ではなく、言葉そのものを余り好まない人物だった。
 それだけに、重い言葉だった。

 魔術という、魔具さえあれば使用可能な技術が隣国デ・ラ・ペーニャで生み出されたのは遥か太古。
 それでも弓矢が全世界で必要とされ続けたのは、魔術が特別な技術であり、デ・ラ・ペーニャの専売特許だったからだ。
 
 だが、時代は変わるのが常。
 デ・ラ・ペーニャの魔術士は自国の外に魔術士ギルドを設立し、既存の傭兵ギルドと競わせる事で魔術の価値と需要を高めた。

 遠距離攻撃、特に多数の敵を一網打尽にする攻撃は、戦争の規模が拡大すればするほど重要性を増す。
 弓矢がそれを実証していた。
 だからこそ、多くの弓兵が部隊を成し遠征に帯同するし、守備兵としても重宝される。

 特に丘陵などの地形や城のように高所を有した建築物において、弓矢の威力は際立っていた。

 けれど、魔術は高所でなくても、そしてたった一人でも、遠くにいる多数の人間を一度に葬り去る事が出来る。
 魔術士の実力次第では、鋼の甲冑や盾さえも無力化する事が可能。

 そして――――魔術は魔力こそ消費するものの、一晩眠れば直ぐに回復する。
 戦の度に大量の矢を浪費する弓矢とは雲泥の差。
 この費用対効果が決定打となった。

「俺は……間違っていた」

 フェイルが育ての親の声を聞いたのは、それが最後だった。

 ナタル=ノートの死因を、フェイルは知らない。
 職人としての未来に絶望し、自ら命を絶ったのか。
 不慮の事故で無念の死を遂げたのか。

 いずれにせよ、幼いフェイルに真実が告げられる事はなかったし、フェイルもまた、死因を追おうとはしなかった。

 自分の事を語らない人だった。
 なら探りを入れられるのは本意ではない。
 彼の無念をほんの少しでも晴らせるとしたら――――

 弓矢は終わっていない。
 貴方は間違っていなかった。
 その証拠を蒼空に突き付けてやるしかなかった。

 


「……無理だったよ」

 ヴァレロン・サントラル医院のエントランスから空は見えない。
 それでもフェイルは、この戦いにほんの少しだけ夢の残り香を嗅いでいた。
 相手がトライデントだったからに他ならない。

 この戦いで弓矢が魔術に勝利すると証明したとしても、自己満足の域は越えられない。
 そんなものは望んでいない。
 世の中は何も変わらず、魔術が重宝され弓矢の居場所は失われていく。

 皮肉にも、心からそう認めたのが勝因だった。
 もし弓矢で勝つ事に執着していたら、中の矢を全て折らせる覚悟で矢筒を盾代わりにはしなかっただろう。

 弓矢の敗北が、フェイルを前に進ませた。

「……矢筒で……槍の突きを防ぐ……か。最早……奇行の域だ……な。おかげで……手元が……狂った」

「呼吸は落ち着いたみたいだね」

「弓矢である必要は……なかったな」

 トライデントもまた、フェイルが弓矢にこだわっている事は知っていた。
 教えた訳でも、自ら知ろうとした訳でもない。

 二度も戦えば、嫌でも理解出来てしまう。  

「勝ち方にこだわるとばかり……思っていたが……」

「苦しい言い訳だね」

「……そうか」

 既に負けを認めているトライデントは、仰向けのまま立ち上がろうとはしない。
 声は擦れ、甲状軟骨が骨折している可能性もある。
 無論、フェイルにそれを気に留める理由は何もない。

「フェイル君」

「お見事でした。君も多大な代償を払ったようですが」

 ずっと遠巻きに戦いを見守っていたアルマとクラウ=ソラスが対象的な顔でフェイルに歩み寄る。
 アルマは――――少し怒っていた。

「大丈夫。問題ない」

「ですが……折れているでしょう。私とは違い、君には特別な再生能力はないのでは?」

 クラウの言うように、フェイルの右肩は当分治らない。 
 だが――――

「……」

 フェイルは躊躇なく、自身が作り出した痛み止めの【ナタル】を口に含んだ。
 この状態で痛みを消し肩を酷使すれば、更に損傷が激しくなるのは間違いないだろう。

「どうせいつかは骨だけになるんだ」

「ふむ。一理ありますな」

 街であれ荒野であれ、そこが戦場で、そこに身を置く者ならば、当然の決断だった。

「アルマさん。ありがとう。君がいてくれたお陰で戦いに集中出来た」

「此方は褒められても嬉しくないよ」

「……そっか」

「骨になるとしても、自分を大事にしないと自分が可哀想だよ」

 まるで――――年上から諭されているように感じ、フェイルは思わずたじろいだ。
 アルマは確かに怒っていた。
 初めて見る顔だった。

「ふむ。一理ありますな」

「……」

 どっちつかずなクラウの態度に嘆息しつつ――――フェイルの目はトライデントに向けられる。
 呼吸は安定している。
 だが喉には顕著な腫脹が現れている為、暫くしたら話せなくなる可能性が高い。

「知ってるのなら、アニスとスティレットの居場所を教えて」

 トライデントがどういった経緯でヴァレロンへ来たのか、本当は誰に付き従っているのか等、質問なら山ほどあるが――――多くを聞く余裕はない。
 そう判断し、フェイルは勝者の特典を簡素な質問に充てた。

「……アニス……君の妹は……地下にいる……スティレットも……そこに……」

「地下ってどこ?」

「一本だけ……違う場所……より深き所に通じる柱がある……」

 それは、今まで誰からも得る事が出来なかった情報。
 だが同時に、十分に考えられる事でもあった。
 あの無数の柱が、その一本を隠す為のカムフラージュだったといたら――――

「その柱はどこに……」

 最後の質問になる筈の言葉をフェイルが投げかけた刹那。

 空気の切り裂かれる音がした。

 クラウも。
 フェイルも。
 どちらも全く気付けない、完全なる気配の消失をもって――――その場には潜伏者がいた。

 切り裂いたのは矢。
 宙を舞う矢の音を、フェイルは耳の奥で確かに聞いた。

 一撃必殺の矢には、確実に毒が塗られている。
 暗殺を生業としている者であれば、まず間違いなく。

 矢は放たれる瞬間まで、殺気や敵意どころか『撃つ』という意思さえも込めない、究極の暗殺技。

 不可避の矢が――――アルマの心髄を抉った。






 

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