――――戦争。

 国家間における侵略と防衛のせめぎ合いをそう呼ぶ場合、そこには明確な勝者と敗者が存在する。
 勝利した国は領土を広げ、敗北した国は滅びる。
 太古より、ルンメニゲ大陸はそうやって栄枯盛衰の舞台となり続けた。

 しかしガーナッツ戦争以降、この大陸からは戦争が消えた。
 侵略行為が消え、世の中に平和が訪れた。

 エチェベリアとデ・ラ・ペーニャの間に新たな平和協定が結ばれたという記録はない。
 平和宣言が大々的に発表された訳でもない。

 にも拘らず、不気味な程に世界は波立たなくなった。

「何故、この国……エチェベリアは戦争で勝利したにも拘わらずデ・ラ・ペーニャから領土を奪わなかったのか。何故ガーナッツ戦争以降、大きな戦争が起こらなくなったのか。君は疑問に思った事はないか?」

 トライデントの質問は、フェイルにとって麻薬にも似た匂いを発していた。
 この答えを彼が持っているのだとしたら、それを素通りするのは極めて難しい。
 だが聞けば必ず感情が揺れ動く――――そういう予感と危機感がフェイルの中に渦巻いていた。

 単に勇者計画、花葬計画だけの問題ではない。
 この国、そして――――ルンメニゲ大陸全ての闇が、エチェベリアの空を覆おうとしていた。

「理由は単純極まりない。エチェベリアは侵略しなかったのではない。出来なかっただけだ」

「……戦争には勝ったのに?」

 声が自然と出てしまう。
 トライデントのもたらす情報には、それだけの誘力があった。 

「勝たせて貰った。それが真実だ」

 それは――――不可解な話ではなかった。
 寧ろ納得のいく説明だった。

 当時のエチェベリアとデ・ラ・ペーニャの戦力差を考慮するならば、エチェベリアが十日足らずで勝利するとは到底考え難い。
 幾ら【銀朱】と言えど、ほぼ一度も苦戦せずにデ・ラ・ペーニャの第一聖地マラカナンにある大聖堂まで攻め入るなど、普通に考えれば不可能だ。

 そこには必ず協力者がいる。
 ガーナッツ戦争の内情を知る人間ならば、その結論に辿り着くのは寧ろ普通だ。

 だが、この仮説が掘り下げられる事はなかった。
 敗戦国となったデ・ラ・ペーニャも、その周辺諸国も、ガーナッツ戦争の分析を表立って行わなかったからだ。
 結果として、【銀朱】の師団長ガラディーン=ヴォルスと副師団長デュランダル=カレイラが国内において英雄となり、彼等の超人的な活躍によって戦争は終結したという風潮が定着した。

 事実、この二人にはそれだけの力がある。
 国内最高峰の戦闘力に加え、的確な判断力、そして味方を魅了するカリスマ性を両者とも有していた。
 性格はそれぞれ異なるが、いずれも一国の英雄に相応しい人物である事は、二人を一時間近で見ていたフェイルも十二分に理解していた。

 ――――だからこそ。

 そこに、一つの小さな疑念があった。

「エチェベリアの勝利は、デ・ラ・ペーニャ国内にひっそりと息吹いていた"とある勢力"の助力があってこそのものだった」

「……生物兵器」

 デュランダル=カレイラには、明らかに生物兵器が投与されている。
 あれほどの実力者が、何故そのような事にならなければならないのか。

 彼もまた実験台にされたのか?
 救国の英雄を?

 あり得ない。
 デュランダルは【銀朱】の次期師団長であり、剣聖の称号も内定している。
 そんな人物を汚すような真似を、王が行う筈がない。

 エチェベリア国王ヴァジーハ8世にとって、デュランダルは切り札であり右腕。
 勇者計画自体、彼という英雄を絶対視させる為のものだ。
 もし生物兵器に汚染された力でその地位を得たとなれば、国民からの支持は得られないだろう。

 そのようなリスクを冒すまでもなく、デュランダルには剣聖となるだけの力がある。
 才能ではなく力が。

 だが――――

「そうだ。生物兵器を生み出し、魔術士から迫害された過去の復讐を目論んでいたトゥールト族の生き残りが、エチェベリアと結託していた。遥か昔からな」

「昔……? 戦争の直前に手を組んだんじゃないの……?」

「ガーナッツ戦争は契約の一部に過ぎない。奴等の目的はこのメトロ・ノームで研究されていた『邪術』の封印を解く事にあった」

 邪術。
 ビューグラスも使っていた言葉。
 フェイルの頭の中に、その時の場面が鮮やかに蘇った。

『戦争がなくなり、平和な世の中になったと言われ久しい現代において、抑止力がより重要性を増している。そうだな、ガラディーン』

 あの時――――ガラディーンがどう答えたのか、フェイルの記憶にはない。
 表情もまた、見てはいなかった。

 ビューグラスは同意を求めていた訳ではない。
 寧ろ、ガラディーンの持論にビューグラスが同意していた。
 そういうニュアンスの発言だった。

「魔術と魔術士を滅ぼす為に研究されたその『邪術』は、今もメトロ・ノームに封印されている。だがこの邪術はデ・ラ・ペーニャだけの脅威ではない。世界そのものを揺るがすものだ」

「……それが……メトロ・ノームに封印されているものの正体」

「そうだ。勇者計画も花葬計画も、全てはその封印を解く為に利用されたに過ぎない」

 トライデントの述懐は、極めて断片的だった。
 だがそれでも、フェイルは既に各情報を統合しつつあった。
 エチェベリアに、そしてメトロ・ノームに魔術と魔術士を滅ぼす邪術が眠っているとすれば、確かに辻褄が合う事象が幾つもある。

 トゥールト族は魔術士を淘汰しようとしている。
 デ・ラ・ペーニャを統べるのは魔術士であり、彼等にとってデ・ラ・ペーニャという国家そのものが悪だ。

 なら、彼等を倒す為には別の国家を焚き付けるしかない。
 その為に、エチェベリアにガーナッツ戦争を起こさせた。

 デ・ラ・ペーニャに住み、各地域の情報を把握しているトゥールト族は、何処を攻めれば有効なのかがわかっている。
 邪術とは別の、対魔術士用の生物兵器もあるだろう。
 エチェベリアにとってはこれ以上ない協力者となる。

 問題は、エチェベリアがデ・ラ・ペーニャと戦争をするメリットだ。
 領土を得られるのなら、それが最大のメリットになる。
 だが結果はそうはならなかった。

 トゥールト族が止めた?
 それはあり得ない。
 彼等の目的と相反する。

 ならば――――

「何か交換条件があった……それがさっき言っていた契約なのか」

「……」

 フェイルの目は、トライデントを捉えていた。
 だがその思考は彼のもたらした情報の整理に向けられていた。

 トライデントの口元が、薄く緩んだ。







 

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