「フェイル君……」

 戦いを見守りつつも周囲への警戒を常に怠らなかったアルマが、思わず駆け寄ろうと一歩足を踏み出す。
 トライデントの一撃には、それほどのインパクトがあった。

「止めておくべきですな。今は介入すべきではありませぬ」

 そのアルマの肩に、クラウがそっと手を置く。
 引き留めるにしては、その手にはまるで力が入っておらず、添えるという表現の方が正しいほどだった。

「でも、さっきのはとっても痛いよ」

「でしょうな。恐らくは右上腕骨が砕けたかと。ヒビなら肩のみの痛みと可動域に制限がかかる程度ですが、完全に折れた場合は神経が損傷し手首まで痛みが生じるでしょう」

「詳しいんだね」

「人体については、それなりに」

 そのクラウの言葉は、アルマの心の中に深く響いた。
 そして同時に、アルマにとってクラウがどういう立場なのかを理解する上での大きな手掛かりともなった。

「そういう事だったんだね」

「そういう事ですな。故に私は貴女に反旗を翻すような真似は絶対にしないのです」

「だったら、お願いを聞いてくれるかな?」

 アルマの目は、真っ直ぐにクラウを向いていた。
 駆け引きなど皆無の、全てを透過しそうなほど純粋な視線。
 クラウの口元が自然と緩む。

「あの二人の戦いに介入せよというのであれば、それもまた止めておいた方が良いでしょうな」

「どうして?」

「彼が今の一撃で心折れたならば、或いはそうすべきかもしれませぬが、どうやらそうではないらしい。だとすれば、私や貴女の介入は彼の誇りを傷付けますし、それ以上に彼の戦略の邪魔をしてしまう」

 戦略――――クラウはその言葉に仰々しい響きを含めなかった。
 それだけ自然に、フェイルには次の打つ手があると理解していた。

「ただし敵もさる事ながら、トライデント……槍使いの方も警戒を強めていますが」

「そうなんだ。不思議だね。フェイル君、凄く痛そうなのに」

「ですな。油断など一切しないと自分に言い聞かせているように見えます。それによって、自分自身を縛っているようにも――――」

 


 呼吸が荒い。
 心音が明瞭に聞こえる。
 四肢からの強い痛みは――――ない。

 フェイルは自分の状態を、肩の痛みの度合いだけでなく身体全体の変調から察していた。

 肩から上腕にかけての骨が損傷。
 ただし完全には折れていない。
 やや深めのヒビ――――そう結論付けた。

 とはいえ、骨だけが痛んでいる筈もなく、その周辺の組織もトライデントの一撃によって破壊されている。
 右肩はもう上がらない。
 少なくとも、この戦いの間中は。

 弓使いにとって肩は重要な役割を担う。
 発射台の位置調整だ。
 肩が動かせない上に激痛が続くようでは、まともに矢を射る事など出来る筈もない。

 普通ならばここで詰み。
 しかしフェイルにとって、この負傷は致命傷ではなかった。
 まだ戦えるだけの引き出しは幾つか残っている。

 問題は――――

「回避能力の高さは以前と変わらないな」

 不意に、それまでずっと沈黙のまま戦っていたトライデントが口を開く。
 その意図は明白だった。

 吹き飛ばされたフェイルとトライデントとの距離は槍の射程外だが、魔術の射程内ではある。
 一方のフェイルは矢が撃てない状態とあって、完全に攻撃の範囲外。
 トライデントにとって最も厄介なのは、間髪入れず決死の特攻を仕掛けられる事だった。

 ただ声を掛けるだけで、その可能性を潰した格好だ。

「だが動きのキレ、躍動感は以前ほどではない。加齢で衰える年齢でもないだろう。日々の修練を怠ったか」

 フェイルにとっての問題は、長期戦は最早不可能という点。
 既に意識が混濁しそうなほどの激痛からズキズキと襲われている。
 長引けば長引くほど不利になるのは明白だ。

「君は何故、この狂乱に首を突っ込む? 当事者とも思えないが……」

 逆にトライデントにとっては、この距離を保ち続けるだけで安全に勝率を上げられる。
 勝つ為には手段を選ばない――――などといった陳腐なものではない。
 ただ純粋に、己が生き残る為の手段を講じているだけだ。

 それだけ、フェイルを軽んじていない証だ。

「当事者みたいなものだよ。そっちこそ、なんで病院で暴れてるのさ」

 痛みは少しずつ増している。
 せめて痛み止めを――――ナタルを使えればという思いが一瞬脳裏を過ぎったが、無意味な希望は即座に心の下層に放り込んだ。

 会話に敢えて乗ったのは、トライデントの隙を探る為。
 このまま黙ってトライデントの言葉に耳を傾けていても、戦況は何も変わらない。
 不意打ちで仕掛けるのも不可能となった今、出来るのはそれくらいしかない。

 両者の思惑が噛み合った故の睨み合いだった。

「まさかと思うけど、僕を誘き出す為なの?」

 フェイルの口調に幼さが宿る。
 それは――――王宮にいた頃のフェイルだった。

「この病院に僕の関係者がいるのを知っていて、僕が危機感を持つと思ったの? だったら随分と安い手を使ったもんだね」

「だが現実に君はここへ来た。その衰えた無様な姿を晒してまでアニス=シュロスベリーを守りたかったとすれば、それは無駄だったと言わざるを得ない」

「……アニスを何処へやった」

「自分は知らない。他の入院患者同様、違う場所に移動させられた……といったところだろう」

 死の雨の影響で、街中への避難は考えられない状況。
 ならば、この院内から移動出来る安全な場所は――――

「メトロ・ノームか」

「異な事を言う。ここもメトロ・ノームそのものだというのに」

「……それはもう知ってるよ」

 苛立ちではなく、激痛とのせめぎ合いがフェイルの言葉を若干遅らせた。

 トライデントに隙はない。
 彼が衝撃を受けるような情報も、フェイルは持っていない。
 逆に、トライデントはフェイルの知らない情報を握っている可能性が十分にある。

 挑発すべきか。
 会話の中からトライデントの動揺を誘う言葉を探すか。
 舌戦を切り上げるタイミングを計りながら、フェイルの顔には無数の冷や汗が浮かんでいた。
 
「貴方は知ってるのか。スティレットが何をしようとしているのか」

 出した結論は、後者。
 微弱ながら好奇心や探求心が働く話題を選んだ事で、自分自身に隙が生じる可能性もあるが――――

「デュランダル=カレイラとこの国が、何をしようとしているのか」

「知っている。全ては"契約"に基づいた国策であると」

 中枢にまで届くもう一つの可能性に、賭ける。
 フェイルはそう決意していた。







 

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