フェイルにとって――――弓矢を時代に留める戦いは最早過去のものだった。
 引導を渡されたのは、トライデントとの御前試合。
 千載一遇の好機は、『見世物』という形で無残な幕引きとなった。

 その時の戦いを、フェイルは何度も何度も振り返り、悔いた。
 どうすれば『弓矢は槍より優れた武器だ』と観客に印象付けられたのか。
 どう戦えば弓矢の有効性や利便性をアピール出来たのか。

 答えは幾つも出た。
 もっと派手に、今までの射手とは完全に一線を画した軽業師のような戦闘にすべきだった。
 もっと堅実に、従来の弓矢の良さを最大限に発揮出来る闘い方をすべきだった。

 トライデントが何も出来ないような圧勝劇は出来なかったのか――――

 けれど、その答えはどれも負け犬の遠吠えに過ぎなかった。
 現実は動かない。
 動かなかったのだから。

 弓矢を巡るフェイルの人生は、そこで一つの区切りを迎えた。
 武器屋となって弓矢の素晴らしさを説いて回る人生も一瞬脳裏を過ぎったが、付け焼き刃にすらならないと悟るのに時間は掛からなかった。
 そんな折、妹のアニスが生物兵器に汚染されていると知り、以後のフェイルの人生は決まった。

 アニスを治したい――――
 でもその想いは果たしてどの程度の熱量だったのか?

 実際、自分に出来る事は殆どないに等しかった。
 アニス本人と薬草の権威たるビューグラスがいるヴァレロンで薬草店を開き、薬草の市場に精通する事で生物兵器を取り除く薬が手に入る可能性を上げる。
 短絡的ではあるが、それ以外に勝算のある方法は思い浮かばなかった。

 その目的には、近付きつつある。

 ビューグラスが非人道的な手段で躍起になっている『死の雨』に代表される生物兵器由来の毒は、アニスの生物兵器を除去する為の"実験"かもしれない。
 ならばスティレットの行動に目を瞑り、実験を続けさせていたら、いずれは指定有害人種の中に根付いた生物兵器さえ除去出来る可能性がある。
 
 黙殺。

 それがフェイルの目的を達成する上で、現状では最善だった。

 その筈だった。

 その筈だった――――

 


「ぐ……がっ!」

 回転する矢の直撃を顎に受け、トライデントの顔が跳ね上がる。
 矢を床に跳ねさせるなど、計算内にある筈もない。
 全く予想していない所からの衝撃は、鮮血こそ舞わなかったが、肉体と同時に精神も大きく揺さぶった。

 攻撃は効いた。
 フェイルは防御を捨て、追撃に全てを注いだ。

 その場で矢を射る。
 距離を詰めて弓で殴る。
 フェイルの選択は――――

「……!?」

 後者だった。
 トライデントが強引に首を曲げ収めた視界に、迷いなき眼で突進して来るフェイルの姿が収まる。

 その戦術が、トライデントの逆鱗に触れた。

「……フェイル=ノートぉぉぉぉぉぉ!」
 
 弓使いでありながら接近戦を試みるフェイルの戦闘スタイルは、トライデントにとって既知のもの。
 だがそれはあくまでも『接近戦"も"出来る』という解釈、すなわちサブスキルという解釈だった。

 この場面、トライデントは自身の劣勢を自覚していた。
 次に仕掛けて来るフェイルの一手が戦局を左右すると。
 そのフェイルが、槍使いである自分を相手に距離を詰めてきた事に、トライデントの平常心は粉々に打ち砕かれた。

 矜恃が燃える。
 燃やし尽くされて灰になる前に、トライデントはその熱をもって反撃に転じた。

「ぉ――――おおお――――オオオオオオ!」

 矢の直撃によって仰け反った身体が、一瞬で戻る。
 浮いた右足を床に叩き付けるようにして踏み留め、後ろに大きく傾いた体重を中心まで戻した為だ。

 その代償は小さくない。
 力を込めていない状態から右足で無理矢理床を叩いた事で、腱に鋭い痛みが生じる。
 当然、足全体にも大きな衝撃が走る。

 その痛みを、トライデントは怒りで押さえ込んだ。

 弓使いが槍使い相手に接近戦を選択した――――その屈辱に対する怒りが、体重移動を更に加速させる。
 フェイルの身体が槍の射程内に入るより前に、トライデントは左足に力を込め前傾姿勢を作っていた。

「オオオオオオオオオオオオオオ――――!」

 咆哮さえも追い風とした、渾身の打突。
 左手を身体の内側に仕舞うようにして背筋を引っ張り、その力を右腕に伝える。
 ねじ込むように突き出された槍は、今までのトライデントの突きを遥かに凌駕する速度でフェイルめがけ一直線に繰り出された。

 それは――――フェイントだった。

 フェイルはトライデントの反撃を読んでいた。
 だから直進しながらもトライデントの目を常に睨んでいた。

 もしその目が生きていたら、彼は必ず突きを放ってくる。
 圧倒的な速度、しかし直線的。
 左に躱し、その場で弓を振り回せば、向こうから突っ込んで来るトライデントの顔に命中させる事は難しくない。

「な……」

 その計算が、途中で止まる打突によって完全に破壊された。
 
 既に弓を振り始めている中、フェイルは即座に回避体勢へと移行しているトライデントの動きに為す術ないまま見入っていた。

 一切の無駄のない、滑らかな動き。
 身体能力の高さだけでなく、常に自身の危機を想定し修練を重ねた人間だけが辿り着く境地――――
 自分が今戦っている相手の背景が、そこから透けて見えた。

「終わりだ」

 実際にそう発言したのか、それとも表情が語っていたのか。
 トライデントの声が一瞬聞こえた気がしたが、真実か否かを判断する間もなく、フェイルは槍の直撃を受けた。

「……!」
 
 声を発する間もなく、その場で驚愕の表情を浮かべたのは――――トライデント。
 フェイルの身体は為す術なく後方へと吹き飛んだが、追撃の一歩が遅れた。

 その一撃で終わる筈だった。
 トライデントが選択したフェイント後の攻撃は、打突ではなく払い。
 既にフェイルと肉薄する位置にいた為、突きは放てないというだけの理由だった。

 それでも、頭部を槍の胴部で殴打すれば十分な致命打になる。
 事実、トライデントはそのつもりで槍を横薙ぎに払った。
 だが、直撃したのはフェイルの頭部ではなく――――右肩だった。

「あの一瞬で身体を傾けて肩をせり上げただと……?」

 心中でそう呟くトライデントの顔には、焦燥さえ浮かんでいた。
 
 肩は確実に砕いた。
 弓はもう使えない。
 この一撃で圧倒的有利の立場に立った。

 それでもトライデントは――――ゆっくりと立ち上がるフェイルの姿に、警戒を更に強めていた。








 

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