魔術はバランスで成り立っている。
 圧倒的な殺傷力を有したり広大な範囲に効果を及したりする上級魔術は消費する魔力量と命令構成の為のルーン数が夥しくなるし、初級魔術であればその逆になる。

 バランスが作用するのは費用対効果だけではない。
 使用頻度や局面に関しても同様だ。

 腕利きの魔術士が常に中級・上級の魔術を使用するかというと、そうではない。
 寧ろ初級魔術を積極的に使用する者も多い。
 これは、オートルーリングが普及してルーリングに時間がかからなくなった現代においても変化はない。

 理由は至極単純。
『大勢の敵を一度に攻撃する』という、従来魔術士が最も輝いたとされる戦いが極端に減ったからだ。

 国家間の大きな戦争がなくなり、また組織同士の抗争も全面的ではなく水面下での局地戦が増えて、魔術士が関与する争いも一対一や少数同士の状況が多くなっている。
 オートルーリングはその時代の変化に魔術士が適応する上で非常に有用な技術となったが、『ルーン数が多い魔術をリスクなく使用出来るメリット』においては、使いどころが極端に減少した事で余り発揮出来ずにいるのが現状だ。

 特に一対一においては、初級魔術の担う役割は大きい。
 一撃で相手を粉砕出来なくとも、大きな傷を負わせれば戦局は大きく傾くし、四肢のいずれかにダメージを与えるだけでも多大な恩恵が得られる。
 そして、初級魔術であっても、それらは十分に可能な威力を有しているのが通常だ。

 まして、魔術以外に攻撃手段を持つ者なら尚更その恩恵は勝利に直結する。
 トライデント=レキュールの用いる戦術もまた、例外ではなかった。

「つっ……!」

 緑魔術【噴風】の直撃を受け、フェイルは後方へと吹き飛ばされる。
 初級魔術であり、『大の大人を跳ね飛ばす程度の威力で殺傷能力はほぼ皆無』という全魔術中最低ランクの威力しかないこの魔術を、トライデントは愛用していた。

 だが、かつてフェイルと相対した御前試合においての使用は自ら封印していた。
 理由は極めて単純。
 地味な魔術による地味な戦術は見栄えが悪く、王族の観戦する御前試合において相応しくないと、直属の上司から助言されていたからだ。

 尤も、上司の助言は往々にして命令と同義なのだが――――

「……」

 大きく体勢を崩したフェイルは、そのまま床に倒れ込むか強引に耐えるかの二択を迫られた。

 倒れ込めば直ぐにトライデントが距離を詰めてくる。
 だが槍での一突きに対しては射程外となる。
 尤も、魔術を連発されたら致命打を受けかねない。

 踏ん張って自立体勢を維持した場合は、視野こそ確保出来るが槍の餌食。
 身体の中央に突きを放たれたら、崩れた体勢で完全回避は難しく、弓で防ぐのも困難を極める。

 どちらも芳しくない。
 なら二択の向こうにある、三つ目の選択に賭けるしかない。

 その閃きが、フェイルを――――躍動させた。

 背中が床に叩きつけられるのと同時に、それ以上の衝撃が両足に走る。
 自らの意思で思い切り床を蹴った。

 或いは――――踏みつけた、という表現の方がより近い。
 それによって得る反作用で、身体を強引に一回転させる。
 宙返りだ。

 失敗すればこれ以上なく無様な醜態を晒して殺されるが、フェイルに迷いはなかった。
 王宮にいた頃の自分ならやれる。
 今の自分なら――――

「……っと!」

 華麗に、とはいかなかったが、両足がクルンと廻り、前屈み気味に一回転。
 打突の体勢をとっていたトライデントは、その攻撃を取り止め、即座に魔術のルーリングを始めた。

 御前試合では、魔術がトライデントの切り札だった。
 それを事前にクトゥネシリカから暗に伝えられていた事が勝因だった。

 けれど、あの戦いに勝者はいなかった。
 そして今――――魔術が切り札ではなく戦術の表層となったトライデントを相手に、勝者となる事は叶わない。

 既に弓矢は敗退している。
 オートルーリングの発明と普及によって魔術は遠距離攻撃の絶対的有利性を体現する存在になった。
 今後、弓矢が以前と同等の需要を得る可能性はもう、ない。

 ただ命を拾うだけの戦い?


 ――――否。

 
 右手に握っていた矢を、弓に番える。
 先にルーリングを始めたトライデントよりも早く、速く彼の身体を貫く事は不可能。
 まして先程と同じ緑魔術ならば、矢が風を受け大幅に失速するだろう。

 賭け――――ではなかった。
 フェイルの目は、トライデントの綴るルーンを捉えていた。
 オートルーリングの自動処理によって、ほぼ一瞬で霧散してしまったが、それでもハッキリと視認していた。

 魔術に明るい訳ではない。
 どういう魔術を指定したのかは定かではない。

 が――――先程のルーン配列ではない――――【噴風】ではない事だけは、その目が教えてくれた。

 不思議な感覚だった。
 先程のカバジェロとの戦闘の際にも、感じていた。

 動体視力が異様に上昇している。
 情報処理能力も同様。
 眼の中に捉えたものが、自分でも恐ろしいほどの速度で脳内に滑り込んでくる。

 フェイルはそれを、鷹の目や梟の目の進化とは全く思えなかった。

 去来するのは――――いよいよなのかな、という予感。

 蝋燭の炎と同じだと。

 それでも構わない。
 最後の一瞬、膨れあがる炎の熱が今までにない恩恵をもたらすのなら、それでいい。
 この恩恵をもって一つでも前へ進む――――

 覚悟を込めたフェイルの矢が放たれる。
 一方、トライデントの選んだ魔術は【灼熱閃】だった。

 矢と赤い閃光は、凄まじい速度で接近し――――交錯する事なく通り過ぎる。
 矢を放った瞬間、フェイルは右に跳んでいた。

「……何!?」

 トライデントは――――直立不動のままだった。

 万が一、矢による反撃があったとしても灼熱閃で打ち落とせる。
 フェイルとの距離から、身体に向かって来る矢が閃光に触れずにここまで到達する事はない――――そう考えていた。
 仮に足下を狙われても、閃光の面積内に矢の軌道は収まっていると。

 だが、フェイルの放った矢の矢尻は――――トライデントの遥か手前の床に直撃した。
 床には刺さらず、そのまま跳ねる。

 跳ねた矢は――――回転しながらトライデントの顔めがけて歪な軌道で向かった。

「ぐっ……!」

 渇いた音が、院内に響き渡った。







 

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