フェイルの身体は、あの日のように左へと跳んだ。
 そこまでは、当時をなぞる儀式にも似た所作。
 トライデントもそれを理解していた為、読んでいたものの仕掛けはしなかった。

 罠の危険性あり。
 そう判断した彼の自重は不正解だった。

 とはいえ、それが判断ミスとなる訳でもない。
 フェイルとトライデントとの間に、槍の届かない範囲の距離が出来ただけの事。
 魔術を操るトラインデントにとって、それは何の問題にもならない。

 ――――そこまで思考を動かしたところで、フェイルの足が地面に着く。
 直後、床を蹴り再び、同時に弓の上部の弦で矢筒の中にある矢を一本引っ掛け、右手に収めた。

 接近戦習得の訓練の際、何度も何度も繰り返したムーブの一つ。
 移動しながら、且つ右手を後ろに伸ばさずに矢を手中に収める事で、隙を極限まで減らす。
 最低限、これが出来なければ弓矢での接近戦など机上の空論でしかない。

 接近戦は、弓だけで行う訳ではない。
 寧ろ矢の方が本命ですらある。
 弓には剣や槍と違い刃も鋭く尖った先端もない為、致命傷を与えるのは極めて難しいのに対し、矢には一撃で敵を仕留められる殺傷力があるからだ。

 弓矢の接近戦は、的に接近しながら矢を活用出来るか否かに懸かっている――――と言っても過言ではない。

 では、敵との距離が極めて短い状態で矢を活かす方法とは何か。
 一つは矢に毒を塗る事。
 仮に深く刺さらなくても、かすり傷さえ負わせれば戦局がほぼ決定する。

 実際、現在フェイルが持参している矢の半数は毒塗りの矢。
 毒と言っても全身を痺れさせる程度のものだが、戦いを制するには十分だ。

 これは御前試合ではなかった、生死を賭けた戦いならではの要素。
 トラインデントもそれは十分に理解しているらしく、御前試合の時と比較し矢への集中の度合いが違う。
 フェイルが矢を掴んだ瞬間、トライデントの目付きが明らかに変わった。

 ――――それは、フェイルが主導権を握った瞬間でもあった。

「!」

 御前試合では、ここからフェイルはトライデントとの距離を保ちつつ彼を軸としてその周囲を回り、左回りから右回りに切り替える刹那に矢を放つという戦術を用いた。
 トライデントもそれを警戒している筈。
 だからこそ、フェイルは――――次に着地した瞬間、トライデントめがけて前進を試みた。

 明らかな予想外の攻撃。

 だが、トライデントに動揺は見られない。
 槍で弓を受け止める所作ではなく、飛び込んでくるフェイルを串刺しにしようと半身の構えをとり、槍を引く。
 その予備動作は一切の無駄がなく、反応の鋭さはさる事ながら、迷いの無さも明朗に示していた。

 或いは、予想していたのか――――その迷いがフェイルの身体を一瞬、硬直させる。
 動きそのものに影響はなかったが、次の一手を考える時間がほんの少し、遅れてしまった。

 トライデントの槍が、閃光と化す。
 それほどの速度の突き。
 一直線に、突っ込んでくるフェイルの顔面めがけて突き出された光は――――

「……っ」

 咆哮のような音と共に、空を切った。
 体勢を大きく崩しながら、フェイルは首を捻り槍を躱した。
 
 だが次の一手がない。
 事前に考える事が出来なかった上、これだけバランスが崩れ身体が開いている状態では、弓を振る事も出来ない。
 トライデントめがけて進む推進力もまだ残っており、このままだと身体ごとぶつかりに行くしかない。

 細身のフェイルとは違い、トライデントの身体は分厚い。
 体当たりしたところで、跳ね返されるのは目に見えていた。
 まして不意打ちにならないのであれば尚更。

「……!」

 それは、考えてのムーブではなかった。
 為す術なくトライデントのぶつかろうとした瞬間、フェイルは――――矢を掴んでいた右手を下から上に突き上げ、トライデントの首を狙った。

 その攻撃は、とても攻撃と言えるほど洗練されたものではない。
 腕の力だけを使って矢尻を突き刺そうとする、原始的な一撃。

 そしてそれは――――弓使いの矜恃を捨てた攻撃だった。

「貴様……!」

 無論、そのような荒い攻撃を食らうほどトライデントは甘くない。
 フェイルの右手と矢は空を切る。
 だがその回避によってトライデントの身体は自然とフェイルの進行方向から逸れ、フェイルの身体はトライデントとの衝突を避ける結果となった。

 そのまま勢いを利用し、トライデントとの距離を再びとる。
 トライデントもまた、フェイルを追わずにその場で身構える。

 追撃するだけの準備が、彼の脳内で出来ていなかった。

「……お互い、年を取ったものだな」

 代わりに、フェイルには聞こえない声でそう呟く。
 運動能力が衰える年齢ではない。
 だが御前試合の時のような、己の信念をぶつけ合う戦いではなくなっていた。

 過ぎ去った時間が、積み重ねてきた時間が、両者から大きな物を奪い、小さな物を沢山背負わせていた。

 


「こうも動き回る戦いとなると、助太刀がし辛いのではないですかな?」

 両者の戦闘を見守っていたアルマの傍に、クラウがいつの間にか立っていた。
 さながら守護者のように。

「もしアルマ様がフェイル=ノートを守ろうとしているのであれば、控えるよう進言致しますぞ」

「どうしてかな?」

「あの両名、信念ではなく己の中にあるものを剥き出しにして競っているように見えますな。手出しすれば、例えそれが命を救う行為であろうと邪魔になるでしょう」

 まるで懐かしむように、慈しむように――――クラウはそう語る。
 アルマはその表情を、キョトンとした顔で眺めていた。

「よくわからないけど、此方はフェイル君には死んで欲しくないから、ずっと傍観は出来ないかな」

「ふむ……難しいところですな。ならばこうしましょう」
 
 困惑した様子など微塵も感じさせず、クラウは柔らかい口調で語りかける。
 視線は常に、フェイル達――――の周辺に散らしながら。

「この院内には今、私ですら気配を察知出来ない者が潜んでいる可能性があります」

「そうなんだ。凄い人だね」

「あくまで推察の域を出ないのですが……恐らくはこの戦いの最中、何らかの形で介入する人物がいると私は睨んでいます」

 このエントランスは広々としている一方で、椅子やカウンターなど身を隠せる場所は多い。
 アルマもその可能性を完全には否定出来ない程度には。

「その人物から、フェイル=ノートを守る。それをアルマ様にお任せしていいですかな?」

「クラウさんは、何をするのかな?」

 核心――――
 クラウの顔が微かに緩む。

「私は貴女をお守りします。貴女だけが、私を……この国に巣くう全ての生物兵器を終わらせる為の希望、故」


 刹那――――フェイルの身体が、後方へと吹き飛んだ。


 








 

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