冠なき国家エチェベリア――――

 その揶揄が揶揄でなくなった時代、国家は水面下で腐敗の道を辿っていると、気付いている者は決して少なくなかった。
 他国に誇るべき技術も産業もない、といった表層的な評価が、却って問題を先延ばししているという側面もあった。

 エチェベリアはかつて学術国家と呼ばれていた。
 しかし現在、その面影を残す施設は少ない。

 理由は至極単純。
 その時代の大半が、隠蔽されているからだ。

 自国のみならず、ルンメニゲ大陸の各国家から数多の有識者が派遣され、メトロ=ノームで行われた『地下研究』は、世界の戦争の在り方を変えた。
 剣と魔法――――人間個人の身に付けた戦闘技術を集団戦に活かす方式はほぼ淘汰され、水面下における殺戮へと変貌を遂げた。

 生物兵器と毒の融合。
 他国への散布。
 大量暗殺。

 その効率的かつ人道に背く行為は、一時期ではあったものの、数度にわたって実行された。


 ――――暗黙戦争。


 世界の裏の歴史を知る人間は、その時代における戦争をそう呼んでいる。
 一般人には一切明かされていない、人類史上類を見ない汚点。

 戦闘訓練を日常的に受け戦場に身を置く者だけではなく、罪なき庶民の命をあまりに容易く摘み取る穢れたやり口を国家ぐるみで行う国が複数存在する――――そんな時代が確かにあった。

 だが、その歴史は然程長い期間続く事なく一旦は幕を閉じる。
 道徳的観点からの自粛ではない。
 単に、生物兵器と結合する毒が尽きたからだ。

 人間の脳を汚染し、自我を崩壊させる媚薬――――ロイヤル・パルフェ。
 人体の自然治癒力を無尽蔵に活性化させ、生命力を極度に摩耗させる薬草――――マンドレイク。
 世界最悪の毒――――グランゼ・モルト。

 最も生物兵器との相性が良いとの研究結果が出たこの三つが世界的に消耗され尽くした時点で、生物兵器を利用した暗黙戦争の時代は終結し、同時に国家間における大規模な戦争は激減した。

 しかし、研究そのものは水面下の更に水面下において、細々と継続されていた。
 そして、この生物兵器を用いた禁忌の侵略は、記録上最後の国家間戦争と言われるガーナッツ戦争においても一部、使用された。

 その計画は、エチェベリアとの国境沿いに位置する魔術国家デ・ラ・ペーニャの第五聖地アンフィールドにて実行された。
 ただしこれは、デ・ラ・ペーニャ国民に対して散布された訳ではない。
 戦争が起こるよりも前に、エチェベリアの一人の騎士に対して行われた、毒殺とは全く異なる新たな試みだった。 

 極めて致死性の高いグランゼ・モルトの毒性をマンドレイクの自然治癒力向上によって抑え、ロイヤル・パルフェによる脳汚染の性質を同時に含有させることで、人体の中で破壊と再生が繰り返させる――――
 指定有害人種の生成。

 幸か不幸か、その騎士と生物兵器との相性は最高だった。
 常に崩壊と再生を続ける脳と肉体は、いわば究極の新陳代謝。
 極限の筋力と生命力を手にした騎士は、元々備えていた国内最高峰の剣術をもって見事自身の変貌を御し、僅か十日足らずでデ・ラ・ペーニャ第一聖地マラカナンの大聖堂を攻め落とした。

 生物兵器と毒を用いた大量殺人は、毒の消耗が激しい為、今後も利用不可能。
 であるならば、残り少ないそれらの毒をどう有効活用するか――――かつて狂信的なまでに生物兵器と毒の融合を研究していた者達の辿り着いた結論は、それだった。

 そして、彼等には研究の継続を可能とするだけの資金を調達する術があった。
 世界各国から軍事費の一部を預かり受け、世界共通の軍事研究環境を整えていた人物がいたからだ。 

 彼等の研究は、世界が出資者だった。

 最も効率的に軍事力を増大させるには、膨大な資金を費やし兵士の数を確保するのではなく、少数の"怪物"を生み出し、その怪物を英雄化する事が肝要。
 子供は誰しも勇者に憧れ、英雄を目指す。
 ならばまずは英雄を、それも決して滅びない、滅ぼされない、それでいて飼い慣らす事が容易な英雄を作り出すのが、軍事管理における新たな王道である――――

「最初は、少なかったらしい。そんな話に耳を貸す王族は」

 カラドボルグの声は、ほんの僅かだが擦れていた。
 まるで喉がそれ以上を拒否するかのように。

「だが、ガーナッツ戦争の戦果が余りにも鮮やかに出た事で風向きが変わった。結果、あいつに……スティレットに資金を回す国家が一気に増えた。当然、秘密裏にな。あいつが資金洗浄を一手に引き受けてるから、公になる心配もない」

「……王家の権力をも凌駕するってヴァールさんの話が大げさじゃない理由、よくわかったよ」

 フェイルも決して半信半疑という訳ではなかった。
 ヴァールがここに来て、スティレットを過大に紹介する理由などない。
 だがそれでも、世界の軍事を牛耳るような規模である事は想像しようがなかった。

「あの、ちょっといいですか?」

 やや遠慮がちに挙手したファルシオンに対し、カラドボルグが無言で頷く。

「カラドボルグさんは、その……いつ彼女と恋人関係に?」

「ずっと前……俺がまだ二十歳やそこらの話さ。あの女が当時何歳だったのかも知らないけどな」

「共謀していたんですか?」

「……あの女が何をしていたのかは、正直わかってなかった。俺にもモノを知らない青い医学生だった時代があったって訳だ」

 肩を竦めるカラドボルグの表情は、諦観ではなく己を卑下した笑み。
 その表情を見たフェイルは、彼の目的が――――人生観がスティレットそのものであると確信した。

「スティレット自身も指定有害人種なんだね。恐らく、ハイト=トマーシュと同様に『死なない身体』の。だから貴方は……」

「あの女を看取りたい。それだけなんだよ。俺の願いはな」

 高稀なる死――――その正体は、カラドボルグの記憶の中にある彼女への手向け。
 フェイルだけでなく、ファルシオンもそう理解し、言葉なく俯いた。

「さっき言ったように、俺があの女とドップリ関わってたのは随分昔だ。今も一応、ちょっとしたコネで顔を合わせる機会はあるが、現状がどうなのかは正確に把握出来ていない。あの女がメトロ・ノームを掌握しようとしているのは確かだが、目的までは知らない」

「確かに……今の話だと、彼女があの地下に拘る意義は薄い気がします」

 仮に――――かつての非人道的な研究、例えば人体実験や大量殺人が行われた実証実験などの資料がメトロ・ノームに隠されているとしても、スティレットの権力ならば隠蔽は容易だ。
 彼女はある意味、各国家の弱味を握っているようなもの。
 軍事費を把握している上に一部を預かっているというのは、そういう事だ。

「だとしたら、彼女は……」

 そこまで言葉を紡いだところで、フェイルは口を噤んだ。
 それより僅かに早く、クラウ=ソラスとヴァールが同時に廊下の方へ視線を向ける。

「客人のようですな」

 人の気配が近付いて来る。
 次第に足音も聞こえて来た。

「随分と……面白そうな話をしているな」

 扉が開く。
 同時に、その男は――――クラウの部下、アロンソ=カーライルは精悍な顔をそのままに、告げた。

「伝言だ。『この病院はもう要らない』。以上」

 刹那、崩壊の轟音が院内を蹂躙した。






 

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