流通の皇女――――その二つ名が示す意味を、フェイルは完全には把握していなかった。

 通常の感覚であれば、皇女と呼ばれているからといって、彼女と王族を結びつける事はない。
 王族が仕事の為に国内外を飛び回るのはあくまで遊説や外交といった公務の為であって、商いを行う為に市民に混ざって生活するなどあり得る話ではないのだから、当然と言える。

 よって、自然と皇女とは比喩表現の一種であり、その分野において王に匹敵する能力と実績を持った人物だと解釈するのが自然だが――――

「王族以上の権威……?」

 その上を行くというヴァールの言葉は、理解出来る範疇を超えるものだった。

「あながち間違いじゃない。確かにその側面はある」

 ヴァールの発言を受け継ぐ形で、カラドボルグが続く。
 その顔は何処か、寂しげにフェイルには映った。

「当然、王族相手に頭ごなしに命令出来るっていうようなわかり易い格上感はないが……今の王家はスティレットに致命的な弱味を握られてる状態だ。逆らおうにも逆らえないだろうな」

「……そういう場合って、取り込むか排除するかのどっちかなんじゃないの?」

 質問したのはフランベルジュだったが、ファルシオンも、フェイルも似たような疑念を抱いていた。

 幾ら経済分野において突出した才覚を持つ人間だろうと、王族の弱味を握れば最大級の不穏分子として暗殺対象となるのは想像に難くない。
 少なくとも、国内のみならず国外にまで自由に行き来させるなど論外だ。

「ところが、そういう訳にもいかないのさ。そこがあの女の真骨頂でな。王族の連中が気付いた時には、もうどうにも出来ないほど裏で手を回されていたんだろう」

「今一つ要領を得ませんが……もう少し詳しく説明して頂けませんか?」

「そうだな。わかり易く言えば、もしあの女が殺されるような事があれば、高確率でこの国は滅ぼされる。余所の国から一斉に制裁を受けてな」

 制裁――――その言葉が、フェイルとファルシオンに閃きをもたらした。

「……その弱味っていうのは、もう他国の首脳に知れ渡ってるって事?」

「恐らくな。どうだい? スティレットの用心棒さん」

「……」

 カラドボルグからほぼ名指しされた形のヴァールだったが、答える意思はない様子で一切反応を示さなかった。
 尤も、それはカラドボルグにとっても計算の内。
 苦笑いを浮かべながら視線を移す。

「それよりも、問題はそこの可憐なお嬢さんだな。よくもまあ、無傷で逃げ切れたもんだな」

 目はアルマの方に向いたが、質問は変わらずヴァールに向けてのもの。
 今度の返答は沈黙ではなかった。

「そこの封術士は優秀だ。あの男も途中で諦めたのか、本気では追って来なかった」

 ヴァールの言う"あの男"は、デュランダル=カレイラを指している。
 ファルシオンとフランベルジュは、共に訪れたスコールズ家で遭遇したその時の場面を思い浮かべ、同時に深く呼吸した。

 殺気を放ったデュランダルの醸し出す絶望感。
 それは少し記憶に触れるだけでも緊張を伴うほどだった。

「いや……違う」

 一方で、フェイルだけは通常と変わらない空気のまま、ヴァールの発言を真っ向から否定した。

「何が違う? 私が逃亡が上手だったとでも言いたいのか?」

「それは見てないから知らないけど、アルマさんの封術を計算に入れずに単身で乗り込むなんて真似、あの人はしないよ」

 既にファルシオンから事の顛末を聞いているフェイルは、スコールズ家での出来事をほぼ正確に把握していた。
 デュランダルが応接室に現れ、アルマに『人間ではない』と言い放ち襲いかかったその一部始終も、脳内で再現出来ている。

「あの人の目的は、アルマさんを拉致する事じゃなかったんだ」

「だったらなんだと言うんだ?」

「それは……」

 フェイルは一つの答えを持っていた。
 ただ、それは究極の結果論であり、論理的な説明を行うには根拠が足りない。
 だが――――

『アルマ=ローランはお前に任せる』

 以前そうデュランダルが話した事を、フェイルは忘れていなかった。

「ま、その件はここで何言おうと机上の空論にしかならないだろ。それより目下の問題はスティレットだ」

 フェイルの表情から、何かを悟ったのか――――カラドボルグがやや強引に話を変える。
 ヴァールも特に追求するような事はせず、フェイルへ向けた鋭い視線の矛先を変えた。

「あいつがどんな弱味を握っているのか、俺は知らない。ただその弱味の所為で、今この国は二つに割れてる。知ってるかい?」

「現国王ヴァジーハ8世と、第一王子アルベロアですな」

 真っ先に答えたのは、腕組みをしたまま壁にもたれかかるクラウ=ソラスだった。
 その隣にいるフランベルジュが、微かに驚いた様子で周囲を見渡す。

「……それって、周知の事実なの?」

「ある程度は。フランは政治に興味がないから、知る機会もなかったんでしょう」

「私が世間知らずみたいな言い方しないでよ……フェイル、貴方は知ってたの?」

「僕は王宮にいたから」

 国王と第一王子の確執は非常に有名な話。
 フェイルが御前試合を行っていた際にも、アルベロア王子は国王とは離れた場所で観戦していたほど。
 仲睦まじい姿を敢えて示すのが王族のステータスの一つであり、それは常識に属するものだけに、本人達も隠す気はないと王宮内の誰もが理解していた。

 そしてこの確執は、ガラディーン派とデュランダル派の派閥争いを正当化する根拠にもなっていた。
 アルベロア王子がデュランダルに目を掛けているのもまた、王宮内において周知の事実だったからだ。
 尤も、実際にはガラディーンとアルベロア王子の関係も良好だった為、派閥としての大義名分を疑問視する声も多々あったのだが。

「スティレットの言いなりになっているのは国王だ。一方で、第一王子の方はあの女をどうにか切りたいと思っているらしい」

「それって、その……愛人とかそういう事?」

 フランベルジュの率直な疑問は、ある意味では当然とも言えるものだったが――――

「貴様、殺されたいのか?」

 スティレットを慕うヴァールには、紛れもなく殺意の理由となり得た。
 
「い、今の説明だと誰だってそう思うじゃない! フェイルだってそう思うでしょう?」

「……」

「ちょっと! ここで無視は卑怯じゃない!?」

「緊張感がありませんな。若者らしいと言えばそれまでですが」

 両者のやり取りを眺めていたクラウ=ソラスが、何処か愉しげに口元を緩めていた。
 彼が何を考えこの場にいるのか、フェイルも、それ以外の面々も未だに理解出来ずにいた為、その一挙手一投足には嫌でも注目が集まる。

「カラドボルグ殿。貴公はスティレット=キュピリエに随分と詳しいようですが、親しい間柄なのですか?」

「……ああ。あの女は俺の――――」

 だがその注視は一瞬。
 カラドボルグの発言が、その場にいる全員の意識を強引に引き付けた。

「元恋人だ」







 

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