「……意味がわかりません。説明を」
 即座に振り向き、眼を尖らせるファルシオンの表情を確認し、ヴァールは腕組みを解いた。
 その挙動でようやく、ファルシオンは一つの事実に気付く。
 遠く離れたヴァールの挙動がしっかり視認出来るほど、室内は明るい。
 天井を見上げても、部屋を四隅まで眺めてみても、照明らしき物は見当たらないのに。
 心当たりがあるとすれば、それは――――メトロ・ノーム。
 密閉された巨大空間でありながら、あの場所には光があった。
 永陽苔と呼ばれる特殊な植物によるものだと、フェイルは言っていた。
 仮に、それがこの病院にも使用されているとしたら――――
「フェイル=ノートは先程までこの病院の中にいた」
「……え?」
 その思考は、ヴァールの言葉によってかき消される。
 同時に、疑問に思った自分を嘆く。
 考えずとも、決して不可解な事ではなかった。
 フェイルが単独行動に打って出たのは、"流通の皇女"スティレット=キュピリエを
 探し出す為。
 そして、ここヴァレロン・サントラル医院は彼女の拠点には最適な場所だ。
 富裕層以外には立ち入らないという特異性。
 加えて、知り合いのカラドボルグ=エーコードも勤務している。
 どうしてスコールズ邸を出た直後に思い付かなかったのかと後悔する一方で、
 自分がどれだけ平常心を欠いていたかを思い知らされたファルシオンは、
 思わず指の魔具に額を打ち付けていた。
「続きをお願いします」
 額の痛みは、先程の脇腹の激痛と比べれば微々たるもの。
 だがそれは、ファルシオンに落ち着きと覚悟をもたらした。
「それは――――」
 ヴァールが返答しようとした、その刹那。
 ファルシオンの鼓膜は、音によって押し潰された。
 劈くというより、大きな塊が耳の中へ飛び込んで来て頭の中を
 直接砕いてくるような、とてつもない爆発音。
「……っ!」
 思わず蹲りながらも、ファルシオンは両目を塞がず、歯を食いしばりながら
 室内の様子を凝視した。
 変化は――――ない。
 少なくとも、この部屋が襲撃された訳ではないらしい。
 そう判断した直後、先程まで部屋の隅にいたヴァールが駆け出している事に気付く。
「ヴァール……!」
「貴様に構っている暇はなくなった。だがこれだけは言っておく」
 緊急を要する事態なのは明白。
 しかしヴァールは敢えて立ち止まり、ファルシオンの顔をじっと眺める。
「未来を切り拓くのはオートルーリングじゃない。魔力の自律化だ」
「何を……」
「これは『踏み躙られた人間』と『踏み躙った人間』との戦争だ。部外者の貴様に
 これ以上出る幕はない。寝ていろ」
 ――――睨んではいなかった。
 今までの彼女とは違う何かを、その時ファルシオンは感じ取っていた。
 が、それも一瞬。
「私も行きます」
 答える相手はとうにいなかったが、構わず既に開いている扉を潜り、廊下へと出る。
 病院の何処かで、破壊活動が行われた。
 現時点でわかっているのはそれだけ。
 だがこの事実だけで、異常な出来事なのは容易に理解出来る。
 この病院は、ヴァレロンにおける経済活動の一翼を担う施設。
 何より、富豪や貴族にとっての一種の拠り所でもある。
 そこが破壊された。
 以前、諜報ギルド【ウエスト】が襲撃された事があったが、それとは訳が違う。
 目的と場合によっては、内戦の狼煙になりかねない程の事態だ。
「……はっ……はっ……」
 音のした方向はわからない。
 全身を蹂躙されたかのような爆発音だった為、何処から聞こえて来たかは到底察知出来なかった。
 ヴァールの姿も、廊下に出た時点で既に見えなくなっていた。
 彼女は足音すら立てずに移動する為、その後も追えない。
 脇腹の傷がいつ開くかもわかったものではない。
 それでも、ファルシオンは走った。
 誰に、何に導かれるでもなく、院内の廊下を走る。
 室内とは違い薄暗く、視界は殆ど閉ざされているが、恐怖心は強引に握り潰していた。
 
 ――――部外者の貴様にこれ以上出る幕はない

 先程のヴァールの言葉が、ファルシオンを駆り立てていた。
 彼女の示唆する『踏み躙られた人間』が何を意味するのか、ファルシオンはわかっていた。
 差別された人間。
 見捨てられた人間。
 それは例えば指定有害人種のような、排除される人間を指すのかも知れない。
 或いはヴァールのように、そして――――フェイルのように、主流を外れた魔術や技術を
 背負う人間の事かもしれない。
 だとしたら、自分は該当しない。
 部外者だというヴァールの指摘は正しい。
 だからこそ、ファルシオンは走った。
「私を……」
 闇雲に。
 直ぐに息切れし、脚が痙攣するのはわかっているのだけれども。
「置いていかないで……」
 その一心で、足掻くように、前のめりに進む。
 しかし――――気持ちとは裏腹に、身体はついていってはくれなかった
「ケフッ……! ケフッ! う……」
 限界は即座に訪れ、その場に倒れ込む。
 傷が開いた訳でも痛んだ訳でもない。
 鍛えていない身体では、数十秒走るのがやっとだった。
 魔術士に体力は不要、重要なのは魔力と知力――――そんな常識がどれだけ非常識かを
 思い知らされ、息も絶え絶えに前髪を掴む。
「私は……何も出来ない」
 その手に力がこもり、くしゃっと音を立て――――震える。
 無力感は容赦がなかった。
 あっという間にファルシオンを呑み込み、何をすればいいのかわからなくする。
 爆発のあった場所の特定。
 自分をここに運んだであろうフランベルジュ、そしてここにいたというフェイルとの再会。
 ヴァールが手放したアルマの身柄確保。
 すべき事は幾らでもあるというのに。
 ファルシオンは立ち上がれずにいた。

『誰かが手を差し伸べてくれるのを、待っているんじゃないですか?』

 また声が聞こえてくる。

『そういう計算高い女ですから。貴女は』

「私は……」

 そうかもしれないと、顔を上げてみる。
 声の主はいない。
 いる筈もない。
 だが、ファルシオンの目には確かに人の顔が映った。
 会いたい人物だった。
 会ってはいけない人物だった。
 でも、会わなければならない人物だった。
「そう……ですか」
 勇者候補と呼ばれ、共に冒険の旅に出た少年。
 鎧は纏わず、以前通りの軽装。
 思いの外、外見は変わってはいなかった。
「リオ」
 呼びかけには一切応じない。
 声も発しない。
 久々にその姿を目にした彼――――リオグランテが今、何を思い、
 何を感じているのか、ファルシオンには全く理解出来なかった。
 遠い、本当に遠い世界に行ってしまったように、そう思えてしまった。
「だとしたら、許して欲しいとは言えませんね」
 リオグランテは剣を持っていた。
 使い古し、紅く錆びていた。
 その剣先が静かに、自分をめがけて迫ってくる。
 それでもファルシオンは、魔術を綴る事も、回避しようともしなかった。
「ごめんなさい」 
 誰に対しての謝罪なのかは、自身にもよくわからない。
 考えるのを止めたから。
 ここが終着地だと理解したから。

「……さようなら」

 一筋の涙が頬を伝い――――


 リオグランテの身体が一瞬、止まる。

 直後、小さく揺れ――――その場に崩れ落ちた。
 一本の矢が、その小さい身体を貫いていた。

「ごめん。リオ」

 苦しそうにそう呟く声が、闇の向こうから聞こえた。






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