暗い、暗い――――けれど闇よりは幾分か明るい、そんな場所だった。
 ファルシオン=レブロフはいつも、そういう景色の中に溶け込んでいる自分を
 目の中とは違う眼差しで見つめていた。
 魔術国家である母国デ・ラ・ペーニャを離れて、エチェベリアで活動する。
 その時点でまず、通常の魔術士としての道を一つ踏み外している。
 そうしなければならない理由は二つあった。
 一つは、賃金。
 お金が必要だった。
 それも即座に。
 自分の為に人生を投げ出してまで学費を支払ってくれた母は、
 ファルシオンの卒業後すぐに体調を崩し、代書人としての仕事も
 辞めなければならなくなってしまった。
 特殊な病にかかった訳ではない。
 長年の無理が祟り、また十分な栄養も摂っていなかった為、
 極端に免疫力が低下し、弱い身体になってしまっていた。
 完全に元通りの身体に戻る為には、早期に治療を行わなければならず、
 いずれ要職に就き安定した収入を得る――――という人生設計では到底不可能。
 先立つものがどうしても必要となった以上、進学という選択肢はなかった。
 しかし就職するにあたっても問題が浮上する。
 アカデミーを卒業した魔術士の働き口が最も多いのは、言うまでもなく
 デ・ラ・ペーニャだが、同時に魔術士人口の多さは他国とは比較にならないほど多く、
 そこには痛烈なまでの格差社会が待ち構えている。
 幾ら首席で卒業しようと、出自が物を言う旧態依然とした体制。
 魔術士としての腕ではなく、年功序列で立場が決まるのも、
 ファルシオンにとって不都合だった。
 ならば、魔術士需要があり、若くとも、また出自に関係なく
 まとまった金額が即座に手に入る働き口のある別の国へ向かうのは必然だった。
 そしてもう一つの理由は――――アウロス=エルガーデンの存在。
 彼の生き様に憧れていたファルシオンは、一度本人に会ってみたいと
 常日頃考えていた。
 国内では死亡した事になっている。
 ならその身は国外に在る、と考えるのが自然。
 隣国であるエチェベリアに、アウロス=エルガーデンがいる可能性は十分あった。
 使命と希望を胸に、ファルシオンは国境を越え、エチェベリアへと足を踏み入れた。
 かつて学術国家と呼ばれていたが、その後は冠を失い、方向性の見えない放浪国家。
 その評価には、ガーナッツ戦争も関係していた。
 僅か十日足らずで終結した、エチェベリアとデ・ラ・ペーニャの間で起こった戦争。
 戦勝国となったのはエチェベリアだった。
 しかし、本来ならば領土なり権利なりを奪える筈のエチェベリアは、
 デ・ラ・ペーニャに対して"何も"要求しなかった。
 ――――表向きは。
 それによって『エチェベリアは戦争に勝利しても敗戦国から何も奪わない、
 とても慈悲深い国だ』……などと思われる訳がない。
 領土を奪うよりも重要な何かがあった。
 それが短期間の内に果たされたから、戦争は直ぐに終わった。
 そう見るのが当然であり、事実両国を含むルンメニゲ大陸の全ての国が
 このガーナッツ戦争を機にエチェベリアへ疑惑の眼差しを向けた。
 一体この国は、何処へ向かおうとしているのか。
 国民さえも、その不安に脅かされているようにファルシオンには映った。
 だから、国王ヴァジーハ8世が勇者を募っているという話を耳にした時も、
 国民にわかりやすい形で希望の光を照らそうとしているのだと納得し、
 特に疑問は抱かなかった。
 そもそも、当初は然程関心はなかった。
 重要なのは、即座にまとまった金額が得られる仕事に就く事。
 戦争を行ったとはいえ、ほんの短い期間だった事、何より戦勝国だった事もあってか、
 エチェベリア国民にはデ・ラ・ペーニャへの悪感情は全くと言っていいほどなく、
 働き口を探すのはそう難しくはなかった。
 けれど、まだ十代の女魔術師が大金を稼ぐには、結局のところ裏の仕事、
 それも女性特有の職業に就くしかないのだと思い知らされるのに、さして時間は掛からなかった。
 ファルシオンには、その選択肢は最初から一切なかった。
 そういう仕事への偏見がないとは言えない――――が、拒絶する理由はそれだけではない。
 母が命を賭けてまで行かせてくれたアカデミーで身につけた『魔術』を活かす為の
 仕事でなければ意味がない、という強い信念があったからだ。
 母に、そして憧れの人に、『私は魔術士です』と胸を張って言える自分でなければ、
 ここまで支えて来て貰った意味がなくなってしまう。
 ファルシオンは幾つもの街を回り、条件に合う仕事を粘り強く探した。
 そして――――
「勇者候補を……見張る?」
 その仕事に、運命に"巡り遭った"。

 

 
 ――――――――――――――――
 ――――――――
 ――――
 ……

 


「また……」
 夢を見ているという自覚が途中からあったのは、今尚自分の中に拭いきれない
 罪悪感と同時に、『これしかなかった』という開き直りがある所為だと、
 ファルシオンは自分に呆れながら静かに目を開けた。
 もう何度も見た夢の映像が途切れ、代わりに飛び込んでくるのは――――見慣れぬ天井。
 一瞬でそこが何処であるかを判断するのは容易ではなかった。
 しかしその特定よりも、ファルシオンは今も頭の中から消えてくれない
 残留思念のような夢の続きに悩まされ、大きく溜息を吐く。
 勇者監視の話を持ちかけて来たのは、同世代の魔術士だった。 
 アウロス=エルガーデンの事を知っていて、話が合った事で気が緩んでいた。
 とはいえ、当時の自分が置かれていた状況、精神状態を考慮すると、
 例え過去に戻って同じように声を掛けられたら、同じようにその仕事を
 受けていただろうと諦観の念もある。
 それが、たまらなく情けなかった。
 当然だが、勇者の監視という重要な役割を、流れ者の外国人に一任するという訳ではなかった。
 監視役は100名を優に超えていた。
 勇者一行が向かう全ての町村に配置されていた。
 その監視役の中から、特に適性のある人物が、最も重要な勇者一行の一味として選抜された。
 魔術士である事も、一定水準以上の才能と実力が伴っている事も、選ばれた理由だと説明された。
 当然、報酬は前払い。
 母親の治療費と当面の生活費を十分に賄える額が提示された。
 勇者候補を騙す事になるが、それも仕方がないと割り切っていた為、迷いはなかった。
 そういう経緯もあって、ファルシオンは当初、フランベルジュも自分と同じく
 見張り役だとばかり思っていた。
 そして、それが違うと確信した時、途方もない罪悪感と自分への怒りが込み上げてきた。
 一体、私は何をやっているんだろう。
 もし勇者一行に、リオグランテとフランベルジュに何かあったら、それは自分の所為。
 それなのに、のうのうと仲間として語り合ったり充実した時を過ごしたりしている。
 どうしてこんな人間になってしまったのだろう。
 もういっそ、死んでしまえば楽になれるのかな――――
「……そうか」
 ファルシオンは、自分のいる場所をそこで理解した。
 ここは、死が集う場所。
 そして自分もまた、その時が近付いている。
 だとしたら、それは自業自得。
 天国にいるリオグランテは、きっと手招きをしてくれない。
 それもまた、自業自得だ。

『フランベルジュを庇ったのも、彼女を救う事で自分が救われたかったからでしょう?
 騙していた事への罪滅ぼし。当の本人がそう思ってくれてるとはとても思えませんが。
 ありがた迷惑って、わかっていて押しつけるのが一番悪質だと思いませんか?』

 不意に、そんな声が聞こえてくる。

『そんな事で罪の意識が消えるとでも思いますか? 自分の所為でリオが死んだと
 思っていましたよね。でもリッツ=スコールズの話を信じるならば、もしかしたら
 彼は生きているかもしれない。それで本当に、気が軽くなりましたか?』

 耳障りな声だった。
 だが耳を塞いでも無意味だった。
 
『そんな筈はありませんよね。絶対に、まともな姿ではないでしょうから。指定有害人種?
 確かそういう呼称でしたね。もう人間をやめているかもしれませんね。
 それを「生きている」と表現してもいいのでしょうか?』

 疑問の形をとっているが、疑問の体は成していない。
 これは、会話ではないのだから。

『言えないでしょう? それならきっと、生きてるより辛いんじゃありませんか?
 壊されて、壊れたまま生き恥を晒してるかも。それもこれも全部。そう、全部。
 何もかも全部……』

 その先は、聞かなくてもわかっている。
 何故なら―――― 

『貴女の所為』

 ――――自分の所為だから。
 ファルシオンの目から、光はとうに消えていた。






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