ヴァレロン・サントラル医院の門前には、二人の警備員が左右に位置取り、
 何処か物々しい雰囲気を作り出していた。
 死の雨がこの場所にまで降り注いだのかは不明だが、話は当然病院にも行き渡っており、
 それでも屋外で仕事をしなければならない為の緊張感――――フランベルジュはそう解釈した。
「ふむ。警備員は普段なら一人だったと記憶していますが」
 だが、クラウ=ソラスの言葉がその解釈を即座に否定してくる。
 フランベルジュ自身、この病院を訪れた事はあったが、印象に残っていたのは
 周囲を囲む巨大な外壁で、警備員に関しては殆ど記憶になかった。
 だが、クラウ=ソラスの言う通りならば、それは死の雨による緊張とは
 違う理由での増員なのは明らか。
 嫌な予感を覚えつつも、毛布でくるんだままファルシオンを背中に抱え、
 急いで馬車を降りる。
「急患よ! この子が矢で射られて、突き刺さったままなの!」
 そして警備員に向かって、言葉を整理する間も作らず叫んだ。
「早く医者に取り次いで頂戴!」
「初診か? ならば紹介状を提示されよ。紹介状なしではここで診察は受けられない」
 ここがそういう病院なのは、フランベルジュも知ってはいた。
 ただ、急患となれば流石に話は別だろう――――そう思っていたからこそ、
 この病院へ運ぶというクラウ=ソラスの言葉に賛成したのだが、
 現実は彼女の想像以上に腐り切っていた。
 重症患者を門前払いする病院。
 最早それはアイデンティティの崩壊に他ならない。
「アンタら……!」
「ここは私の顔を立てて頂けないでしょうか」
 激高し、がなり立てようとしたフランベルジュを制し、御者台から降りてきた
 クラウ=ソラスが足音なく警備員の二人に近付いていく。
 その顔を確認した刹那、二人の顔色が露骨に変化した。
「おま……貴方は……!」
「私もこう見えて、それなりの立場にいますのでね。事を荒立てるのは得策ではないのです。
 尤も……」
 対照的に、その両者の姿を目の中に映した、紳士然とした男の表情は――――
「"ここに警備員はいなかった"。それが一番、波風の立たない通り方なのですが、ね」
 背中越しに眺めるフランベルジュには見えなかったが、想像は容易かった。
「ひ……い……命だけは! 命だけはどうか!」
「あ……ああ……あああああ」
 一人は滑稽なほど震え、一人は地面に崩れ落ち降伏を表現した警備員の姿が、
 何より雄弁に物語っている。
 悪魔の出現。
 他に形容のしようがなかった。
「入りましょう。腕の良い外科医が通勤していればいいのですが」
「……」
 この人物に借りを作るのが、果たして正しいのか。
 ファルシオンが目覚めた時、怒られる――――ならまだしも、絶望的な顔で俯くのではないか。
 そんな不安がフランベルジュの脳裏に過ぎる。
 しかしそれも一瞬。
 街の診療所や施療院に駆け込んでも、刺さった矢を綺麗に抜き、感染症もなく傷を塞げる医者が
 いるとは到底考えられない。
 仮にそれだけの凄腕の医者がいたとしても、消毒する為の薬がない。
 市場に出回る良薬の殆ど、或いは全てをこの病院が吸い上げているのだから。
 だから、絶対に間違っていない。
 そう自分へ発破をかけ、フランベルジュは病院の門を潜った。
「……」
 ファルシオンの呼吸は浅い。
 背負っていても、毛布越しに伝わってくるのは体温ではなく――――不安。
 フランベルジュにはわかっていた。
 今、ファルシオンに意識はなくとも、彼女は自分の現状を正確に把握していると。
 だからこそ、死と対面し、怯えていると。
 その切迫感に身を焦がす思いで、足早に院内へと入った。
「人の気配がありませんな」
「……え?」
 受付に着いたところで、クラウ=ソラスが不穏な言葉を発する。
 実際そこには誰もいなかったが、彼が言っているのはその事ではない。
 気配を消す達人は、気配を読む達人。
 つまり――――
「少なくとも、この周辺には誰もいないようですな。一階には病室もあった筈ですが」
「なんで……?」
 あり得ない。
 病院に、まして病室に患者も医師もいないなど、あり得る筈がない。
 だが、クラウ=ソラスがそんな嘘を吐く意味もまた、全くない。
 そうなると『あり得ない事が起こる理由が存在するか否か』というところに帰結する。
「あの雨を恐れて、避難させたのかもしれませんな」
 そのクラウ=ソラスの推察は、とても理に適ったものではなかった。
 幾ら死の雨とはいえ、屋根のある建築物の中にまで影響を与えるものではない。
 少なくとも、院内から他の場所へ避難する理由はない。
 だが、それはあくまで『理に適う』という観点で見た場合の話だ。
「そうね。ここにいるのは貴族とか富豪とか、その手の連中ばかりだから……」
「もっと安全な場所を提供しろ、と病院側に詰め寄ったのかもしれません。
 ままある事、故」
 傭兵ギルドもその仕事の性質上、富裕層の護衛や警備を請け負う場合がある。
 彼等の性質は十分理解の範疇にあると、クラウ=ソラスの目は語っていた。
「でも、それなら何処に向かったの? まさか外に出る筈もないし……」
「雨は上から降ってくるもの。ならばより安全な場所となると、下ですな」
「下? まさか……」
 フランベルジュにも、その場所は直ぐにピンと来た。
 もう何度も足を踏み入れた、馴染みのある空間――――
「メトロ・ノーム?」
「その可能性は十分ありますな」
「確かに、あそこなら隠れ家には最適でしょうけど……無法地帯よ?」
「寧ろ願ったり叶ったりでしょう。法の穴を金貨で埋めるような者達故に」
 随分と上手い事を言う、と一瞬感心しそうになったフランベルジュだが、
 背中越しに聞こえるファルシオンの弱々しい鼓動で我に返る。
「それより治療をしないと! 医者がいないのなら、どうしたら……!」
「ふむ。探すしかないでしょうな。素人が処置出来る負傷ではありませぬ故。
 ならば、私が見て回って来ましょう」
 その申し出は、通常考えられないものだった。
 傭兵ギルド【ウォレス】の長であるクラウ=ソラスが。
 この国でも有数の実力者である人物が、まるで小間使いのような役割を自ら買って出る。
 最早、疑問視するのさえ馬鹿らしくなるほどの献身ぶりだった。
「貴公は患者を病室へ。どの部屋にいるかは気配でわかります故」
「……でしょうね。ならお言葉に甘えさせて貰うとしますか。
 私までファルから離れる訳にはいかないから」
 その言葉を聞いた直後、クラウ=ソラスの姿が気配と共に消える。
 まるで隠密術のような移動に、フランベルジュは心からの感嘆の息を吐き、
 直ぐに最寄りの病室へと向かった。






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