"死の雨"の影響で街中から人の気配が消え失せてしまったヴァレロン新市街地は、
 まるでこの地下にあるメトロ・ノームと同じような空気を漂わせ、静寂の彼方に
 その道を伸ばし続けている。
 この街の住人ではないファルシオンとフランベルジュにとって、その光景は
 さして悲劇的とは言えない――――筈だった。
 しかしその二人が早足でアロンソ通りを通過しながら感じるのは、途方もない違和感。
 墓地を彷徨い歩く不気味さに似た感覚がまとわり付き、顔も思わず曇る。
「……つまり、フェイルは単身で流通の皇女を仕留める為に私達から離れたって
 貴女は思っているのね?」
「はい。間違いありません。本人は調査しに行くと言っていましたが」
 そんな不快感を抱きかかえるようにして、ファルシオンは隣のフランベルジュと
 目を合わせないまま頷いた。
 ファルシオンにとってこの日の始まりは、何らかの覚悟を決めたフェイルとの会話から始まった。
 アルマの立場を考えれば、あのまま薬草店に引きこもっていても、
 いずれ何者かが攻め込んで来るのは明白。
 実際、我を忘れたバルムンクが襲って来たが、あれが組織的犯行とは考え難かった。
 もしそうなら、バルムンクを陽動に使い、他の誰かがアルマを奪取しに来ただろう。
 バルムンクが単身で乗り込んできたのは、彼の暴走としか考えられなかった。
 その結果、トリシュの命を失ってしまう事になったが――――もしバルムンクが現れなかったら、
 代わりにアルマを狙う勢力が徒党を組んで攻めて来たかもしれない。
 そうなれば、アルマを守りきるのは難しかっただろう。
 誰かを守りながらの籠城戦は、格下相手ならまだしも、そうでない場合は困難を極める。
 仮に、あの場にフェイルが留まっていたとしても、アルマを奪われていた可能性が高い。
 つまり、フェイルのとった行動は決して無謀でも大胆な策でもなく、寧ろ堅実な一手だった。
「でも、それって……あの薬草店に匿ってたのがバレてたっていうのが前提条件なんだけど。
 私達の行動が筒抜けだったってワケ? ヴァールには常に目を光らせていたつもりだけど、
 怪しい行動はなかった筈よ」
「監視役がいたのかもしれません。というより、いるのが自然と見なすべきでしょう」
 自分がそうであったように――――そんな自虐も含まれていたからこそ、
 ファルシオンの発言には説得力があった。
「そんな気配、全く感じなかったけど……私より鋭いフェイルも何も言ってなかったし」
「監視というのは尾行とは違います。気配の有無は問題じゃありません。
 それこそ、通行人のフリではなく通行人そのものの意識で、目の中に対象を捉えて
 記憶に残す事も出来ます」
「……?」
 そのファルシオンの発言の意味を、フランベルジュは半分も理解出来ていない様子。
 しかしこの件を長々と説明するような時間も余裕もなく、ファルシオンは早々に
 話題を次へ移行させる事にした。
「兎に角、真相はわかりません。ただ、私達が危機的状況にある事を悟ったフェイルさんは
 最も危険な役割を買って出たんです。だから……」
「わかってるって。怖くて逃げたとか、安全圏に退避したとか、全然思ってないから。
 一応、あんなでも師匠だし。貴女ほどじゃないにしろ、アイツの事は理解してるつもりよ」
 早朝、フェイルは薬草店ノートから姿を消した。
 その日の内にバルムンクが現れ、アルマを攫おうとした。
 この経緯だけを考えれば、フェイルのとった行動は『自分だけ逃げた』と思われても
 不思議ではない――――が、その結論は二人の共通認識からは逸脱していた。
 しかし、だからこそ合流は容易ではない。
 フェイルがスティレットを追っているとすれば、スティレットがいる場所を想像しなければならない。
 より正確には――――
「でもそれなら、例えヴァールが上司の所に戻ろうとしていたとしても、目的地は同じってワケね。
 話がややこしくなくていいんじゃない?」
「『フェイルが思う流通の皇女の現在地』が正確であるなら……という注釈付きですけどね」
 そういう事になる。
 ヴァールはスティレットの右腕なのだから、彼女の現在地を想像出来ない筈がない。
 だがフェイルには、スティレットの行きそうな場所を予測は出来ても、確証を得ているか否かは未知数。
「だとしたら……何処に行く?」
「メトロ・ノームに行きましょう。最後に流通の皇女を見たのもそこでしたし、"死の雨"から
 身を守るという意味でも、地下に潜っていると考えるのが妥当です」
「成程ね。でも何処から行――――」
 フランベルジュの言葉が不自然な箇所で止まる。
 それは強制的な停止であり、フランベルジュは発声どころか身体の自由さえ一瞬失った。
 突然、ファルシオンに押されて。
 完全な不意打ちとあって、非力な彼女ではあってもフランベルジュの足は宙を舞い、
 そのまま倒れそうになるが、瞬時に体重移動を行い踏ん張る。
 何するのよ、と激高する為だった。
 けれどその怒りは、発する間もなく消え失せる。
 代わりに生まれた感情は――――困惑。
 フランベルジュの視界に、ファルシオンの姿はなかった。
 ただし、それも一瞬の事。
 彼女の身体は、フランベルジュが想定していたより遥か下方――――道路に横たわっていた。
 左脇腹に矢が突き刺さった状態で。
「……え?」
 余りに突然の出来事。
 しかしフランベルジュは、瞬時に理解していた。
 何者かが自分達を狙い、矢を射た事。
 自分を庇ってファルシオンがその矢を受けた事。
 だが、頭でどれだけ理解していても、精神が受け入れてくれない。
 心がその事実を拒絶している。
 矢の刺さった脇腹付近に紅い液体が染み渡っていく光景を、現実のものとして認識する事が
 フランベルジュには出来なかった。
「勇者一行の残党は、矢を射られ死亡。犯人は彼等と行動を共にしていた人物で、
 その名をフェイル=ノート。元宮廷弓兵団の一員で、王宮騎士団【銀朱】副師団長
 デュランダル=カレイラの愛弟子。つまりは……デュランダルがそれを"やらせた"」
 ――――混乱の理由はファルシオンの姿だけにあらず。
 突如現れた謎の気配、その余りにも不自然な声の出現が、袋小路へといざなう。
 聞き覚えのある声だった。
 それだけに、混乱は加速する。
 何故――――ここに?
「そんなところですな、奴の狙いは。恐らくは矢もフェイル=ノートと同じ物を使用している。
 或いは、何らかの方法でフェイル=ノート"に"同じ物を使わせた……やもしれませぬが。
 魔術による結界が間に合わないほどの不意打ちと合わせて、見事なお手並みですな」
「クラウ=ソラス……!」
 混沌に弄ばれるフランベルジュの視界内で、横たわったまま微動だにしないファルシオン。
 その目に宿る光が、静かに萎み始めていた。






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