入り口から最も遠い所に座るリジル。
 その右側、入り口から見て左側に鎮座するビューグラス。
 ビューグラスから2人分空けて、同側で手も足も組み椅子の背もたれに
 身体を預けるカラドボルグ。
 入り口の傍、フェイルの隣で立ったままでいるガラディーン。
 四者のそれぞれ全く異なる姿勢を、フェイルは常に視界の中へ収めていた。
「人間は過程を大事にする生き物です。種を残せば生の務めを果たしたと
 満足する人はそう多くありません。何かを成し、実りある人生を求め、
 少しでも長く生きる事を強く望む。これは果たして、人間が元々そういう
 素養を持った種族だったのか? それとも叡智を得た事で進化した結果が
 現在の人間の思考体系なのか。いずれにしても、その多様化が人間の歴史そのもので
 あり、限界でもあります。目的も価値観も異なる数多の生き物が一つになれる筈もなく、
 僕達はここが進化の果てだと思っているんです」
 そのフェイルの警戒に対し、リジルは強化の余地を与えない。
 淡々と、しかし強引に、自身の主張を頭の中から運んで来て、刺激を加えてくる。
 メインの料理を運んでくる高級料理店の店員のように、微かに誇らしげに。
「まあ、それは良いとして……陳腐な言い方ですけど、人それぞれなんです。
 何を好み、何を忌避し、何を求め、何を志すかは。ビューグラスさんは
 自らが選んだ専門学――――薬草学に人生を捧げ、それを唯一の価値と定めた。
 それ以外は、例え肉親だろうと関心がない。関心がなければ倫理観も親子愛も
 適応外。それだけの事なんですよ。悪意や怠惰ではないんです。
 "そういう人"なんですよ、彼は」
 外見上、親と子どころか祖父と孫くらいに離れていても不思議ではない
 リジルとビューグラスだが、両者の間にそのような格差は一切ない。
 それどころか、リジルの方が年上に思えるほど、彼の言葉は一つ一つが
 奇妙な重さを有していた。
「妹さんが心身共に危険な状態なのはお気の毒です。でも、この人に
 親ゆえの何かを求めるのは、建設的とは言えません。諦めた方が良いでしょう」
 重く、そして冷え切っている。
 極寒の地で吹き荒ぶブリザードのような冷たさではない。
 鉄に触れた時のような、少しずつ浸食してくる冷ややかさ。
 フェイルはようやく、目の前のリジルという人物の底知れぬ存在感を正しく理解した。
「感情論で攻め立てようと、親子の情に訴えようと、その人の過去も現在も未来も
 変えられない。それが『人間の成れの果て』の一例って訳だな」
 返す言葉を見つけられずに立ち尽くしていたフェイルは、カラドボルグが
 より簡易的な表現で話すその説明に対しても、上手に反応が出来ない。
 打ちのめされていた。
 二人の会話の内容に、ではない。
 ビューグラスという人物の本質に。
 人間そのものの本質や限界について何かを考えようとする気力など微塵も生まれないほど。
「ええ。そしてそれが、僕が花葬計画を後押しした最たる理由でもあるんですが……
 ま、僕の事はどうでもいいですよね。そういう訳で、僕の話はここでおしまいです。
 後はフェイルさん、貴方が決めて下さい」
「僕が? 何を?」
「アニスさんがここで生きている意味は、既におわかりでしょう。
 恐らく貴方は、彼女を真の意味で救う為にここへ来た。幸せな家庭の中で生きる彼女の未来を願って。
 だけどそれは叶わぬ夢です。そうなった今、貴方がどんな決断を下すのか。それを見せて下さい」
 リジルに断言されるまでもなく――――既に絶望的な状況なのはフェイルも悟っていた。
 ビューグラスは、アニスを救わない。
 にも拘わらず、彼女がこの病院から出されずにいるのは、観察対象としての価値が
 今も残っているからに他ならない。
 仮にアニスの中の生物兵器が暴走し、彼女の生命を脅かしたとしても、観察は続く。
 アニスにはもう、明るい未来など存在しない。
「……」
 覚悟と決意をもって、ここへ乗り込んで来た。
 沢山の人達に助けられ、仲間に支えられ、時に自分も力になり、その事を誇りに思い、
 そうやってここまで辿り着いた。
 花葬計画の首謀者としてのビューグラスの元に辿り着いた。
 それなのに、気力が沸かない。
 これだけ大事な局面にも拘わらず、まるで頭が働かない。
 ――――少なくとも。
 葛藤があると、フェイルは思っていた。
 捨てられた自分は兎も角、家に残したアニスに対しては親子の情があると、そう期待していた。
 願いと言ってもいい。
 それが一欠片さえもないというのなら、ビューグラスの行動は"暴走"ですらない。
 悪人が悪意をもって悪事を起こす動機が自分本意であるのと、何一つ変わらない。
 ただの悪行に過ぎない。
 ビューグラスの披露した薬草学に関する持論は、フェイルにも理解出来る内容だった。
 たかだか数年ではあるが、薬草士として働いてきたその経験から、一部納得せざるを得ないものだった。
 今のままでは、薬草学に発展はない。
 単に薬草そのものが売れないとか、個人店が流行らないとかいう話ではない。
 どれだけ貴重な薬草を見つけようと、優れた薬を生み出そうと、それらは全て富裕層の
 治療・回復手段として用いられ、一般市民が治療技術向上の恩恵を受ける事はない。
 寧ろ、『金にならない』という理由でより一層見放されてしまう未来が待っている。
 そうなれば、怪しげな民間療法が蔓延し、詐欺に遭う者も増える。
 薬草学の練磨が、街の平和と結びつかないどころか、阻害する恐れさえある。 
 ならば、薬草学の権威であるビューグラスが己の全てを掛け、薬草と薬草士の権威を
 取り戻そうとするのは、仕方のない事かもしれない。
 彼の行為は必要悪かもしれない。 
 多少の犠牲はやむを得ない。

「僕はもう、とっくに決めてるよ」

 ――――などと、フェイルは微塵も思っていなかった。
 
 子供に愛情を注がないのは仕方のない事。
 そういう親もいると割り切るしかない。
 アニスを救う気がビューグラスに一切ないのなら、説得は無意味。
 リジルやカラドボルグに言わせれば、時間の無駄なのだろう。
「この人の子供である責任の下に、親の悪行を阻止する。無差別殺人を止めさせて、
 アニスの治療に専念して貰う」
 戦闘態勢をとった訳ではない。
 隣にガラディーンがいる以上、それは自殺行為だ。
 だからフェイルは、敵意を封印した。
「僕は花葬計画を止める。貴方がたは、そんな僕をどうする?」
 そう問い掛けながら――――弓と矢筒を無造作に放り投げる。
 宣戦布告と降伏という、相反する行為を同時に実行した。
「どんな意思表示だよ……? 抵抗する気なら止めておけって。この世で最もつまらない
 無駄死ってのをするだけだ」
 カラドボルグの声に困惑が混じる。
 彼が唯一、この場でフェイルを必要としているのは、これで確定した。
「いえ、カラドボルグさん。違います。彼の狙いは――――」
 リジルの声を遮るように、投げ捨てられた矢筒が床を叩き、そのフタが空く。
 同時に数本の矢が床に散らばる。
 その中の一つを、フェイルは無造作に蹴った。
 大きく振りかぶる事はなく、爪先に軽く当てるようにして。
「……毒矢か!」
 カラドボルグの絶叫を背に、その矢は回転しながらビューグラスの足首めがけて飛んでいく――――







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