花葬計画を実行する組織にとって、フェイルという存在は決して重要でも貴重でもない。
 生物兵器を凌駕する猛毒の開発を行う上で、サンプルは多いに越した事はないが、
 それはあくまでも生物兵器が人間を壊したり、劇的に変貌させたりしたケースに限られる。
 フェイルのような、ある特定の器官にのみ非凡な特徴が備わった程度では
 余り有意義なデータは得られない。
『生物兵器のキャリア』という観点で言えば、フェイルは凡庸な存在だ。
「僕の何処に利用価値があると踏んだの?」
 その当然の疑問に対し、リジルの回答は――――
「生物兵器に関して言えば、ありません。貴方のその目は、少なくとも花葬計画においては
 何も意味を成さないでしょう。要するに、僕は貴方を必要とはしていないんです」
 彼が生物兵器の専門家、そして権威である事の証明でもあった。
「でも、一人どうしても貴方を引き入れたいという人がいまして。誰かわかりますか?」
 まるでこの張り詰めた空気を楽しんでいるかのように、リジルは意味の薄い質問で
 フェイルを揺さぶる。
 ただ、それが却ってフェイルに冷静さを取り戻させた。
 取り戻す余地を、フェイルはどうにか保っていた。
「……」
 その代わりに、ガラディーンの方へ視線を投げる。
 彼がフェイルの身の安全を確保する為に囲い込む事を提案したというのであれば、
 一応筋は通る。
 だがそれは、ガラディーン以外の連中にとって何もメリットがない。
 それどころか、不要な因子を一つ増やすだけでしかない。
 ならば――――
「僕を人質にするつもり、とか?」
 フェイルの出した結論は、自身に対して、更にはガラディーンに対しても
 侮辱的な言葉だった。
 誰に対しての人質か――――それは敢えて口にしなかったが、答えは明白。
 ガラディーンさえも凌駕する、この国で最高の剣士であり、フェイルの師匠でもある
 デュランダル=カレイラに他ならない。
 無論、本来なら決して口に出したくはない可能性。
 それでも敢えて口にしたのは、今の自分は自分であって自分ではないから。
 フェイルの中には今、ファルシオンが在る。
 彼女の思考をトレースする事で、自分を極限まで客観視し、
 この場を俯瞰で見る事が出来る。
 ビューグラスの態度や発言によって発狂寸前にまで膨らんでいた感情の暴走を
 瀬戸際で食い止め、リジルの質問をきっかけに平静を取り戻すだけの余地が
 フェイルの中に残っていたのは、それがあったからだ。
 どれだけ辛い事があっても、自身の変化に戸惑いながらも、理性を保ち続け
 論理的な姿勢を保持していたファルシオンの姿が、フェイルの目にはずっと焼き付いている。
 彼女に救われたな――――そう心から思い、思わず口の端が緩んだ。 
「いいねその発想。いいよ、スゴくいい。どうだ? リジル。この少年は引き入れておいて
 損はないと思うね。自分の恥、自惚れ、その先にある死をも視野に入れた上で、最善の答えを導く。
 中々いない人材だと思わないか?」
 そんなフェイルに対し、拍手を送る者が一人。
 医学の権威、カラドボルグその人だった。
「はい。貴方が肩入れしている理由が良くわかりますよ。確かに視野が広いですね。
 狩人ならではの……と言いますか。僕はどっちかというと、広い人より
 貫通力のある人に惹かれますけどね」
「そこは趣味の違いだが……ま、そういう訳だ」
 言葉の後半は、フェイルに向けてのもの。
 つまり、引き入れたがっているのは――――カラドボルグだった。
「でも生憎、必要なのは人質じゃない。フェイル君みたいなタイプが一人いると、組織の運用は
 グンと楽になる。それがこちら側のメリットだ。そしてフェイル君の方は、俺達やこの国で
 起こっている"密かな内戦"について、より詳しく知る事が出来る。双方にとって悪くない話だと思うぜ?」
 テンション高らかに皮肉めいた笑みを浮かべ、饒舌に語るカラドボルグ。
 その笑みが――――
「本当に、それだけですか?」
 リジルのどうという事のない質問一つで、瞬時に消え去った。
 まるで感情そのものが失せたかのような極端さで。
「……どういう意味だい?」
「貴方がフェイルさんを欲している理由は、本当にそれだけですか、と聞いてみたんですよ。
 カラドボルグ=エーコード」
 ほんの数瞬前までは、緊迫した空気を嘲笑うかのような態度だった二人が、
 今度は唐突に睨み合う。
 その様子を、年配者の2人は気にも留めていない。
 不可解な空間だと、フェイルは首を傾げざるを得なかった。
「生憎、僕にはもう仲間がいる。貴方がたと付き合うつもりはないよ」
「あーらら。おいリジル、お前が変な事言うから断られちまったじゃねーか」
「最初から断られる空気が蔓延してたでしょう。そもそも、自分を捨てた人間のいるところに
 協力をするなんて無理があるんですよ。恨むならビューグラスさんを恨んで下さいね」
「……」
 フェイル以外全員の視線を浴びながらも、ビューグラスは表情一つ変えずにいる。
 先程リジルが言っていた『貫通力』を、彼は確かに持っていた。
「でもフェイルさん。一つだけ言わせてください」
「勧誘の件なら……」
「違います。ビューグラスさんについてです。蒸し返すのは野暮だと承知していますけど」
 先程の揺さぶるような物言いから一転、リジルの声は薄暗い真剣味を帯びていた。
「僕も彼の本心については知りません。語られる事もないでしょう。そういう人です。
 ですが、仮に貴方がた兄妹が生物兵器遺伝の確認の為だけに作られた子供だったとして――――」
 強い口調ではなかった。
 寧ろ穏やかに、まるで子供にでも言い聞かせるような。
「それがどうかしましたか?」
 強い、強い主張だった。
「……何が言いたい」
「いいですか、フェイルさん。この世界で人間が構築してきた文化・技術・学問・智識……
 それらは全て例外なく、挑戦と失敗を繰り返した人間達が生み出したものです。
 失敗するかもしれないとわかっていても挑戦して、失敗を糧に新たな挑戦をしてきたからこそ
 新しいものが生まれる。新しい時代が来るんです」
 熱弁というには、リジルの声には熱量がなさ過ぎた。
 淡々と、というには主張が強過ぎた。
「確かにビューグラスさんのした事は、倫理的に問題があるのでしょう。父親が一般的な子供への
 愛情を一切持たず、祝福とは真逆の中で生を受けたと知れば、憤るのは正当な権利です。
 特に貴方の場合は自分よりも妹さんを案じているようですし、真っ当な反応だと思いますよ。
 でも、だからどうなんです?」
「どう、って……」
「研究者が、常識や社会的責任を放棄して、野心を貫いた。その結果、貴方と妹は生まれた。
 そして死ぬ事なく、今日まで生かされていた。アニスさんは今も、この病院にいますよ。
 向けられる愛情はなくとも、命を紡ぎ、ここにいるんです。その意味がわかりますか?」
 いつの間にか、リジルは椅子に腰を落とし、テーブルに両腕をベッタリと置いていた。
 そのリジルの目を、フェイルは睨むでもなく、じっと視界に収め続けた。
「僕が何を言いたいのか、貴方にわかりますか? フェイル=ノート」
 倫理の先にある何かを、慈しむような、哀れむような、その目を。







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