「責任放棄……か。実に耳が痛い。自分の人生を総括されたような気分だ」
 ようやくビューグラスの顔に目を向けたフェイルは、苦虫を噛み潰したような表情で
 そう呟く彼の容姿に驚愕を覚え、思わず息を呑んだ。
 決して長期にわたって顔を合わせていなかった訳ではない。
 寧ろかなりの頻度で何らかの接点を持ち続けていた。
 にも拘らず、ビューグラスの顔はフェイルの記憶のそれよりも遥かに老いていた。
 眉間に刻まれた皺はより深くなり、目元には染みが幾つも見受けられる。
 声も、心なしか嗄れているような艶のなさが感じられた。
 けれど――――この僅か数日でビューグラスが激変する筈がない。
 原因は自分にある。
 自分の目が、正しいビューグラスの姿を捉えていなかった。
 頭の中で勝手に『記憶の中のビューグラス』を作り上げ、それを見ていたのだと
 理解するしかなかった。
「どうします? 御自身の口で説明するのであれば、僕は引っ込みますよ。
 花葬計画は、貴方の計画です。勇者計画とは違う」
 後半部、リジルはこれまでにない鋭い口調でそう捲し立てる。
 勇者計画に対して何らかの不満があるような口振りだったが、
 今その事に気を取られるべきではないとフェイルは判断し、
 ビューグラスから目を逸らさずにいた。
「無論、責任者としての務めは果たす。一から説明する義務があるのだろう。この子には」
 その目に、そして目の奥に、何かを感じ取ったのか。
 或いはその虹彩に映る自分の中に、過去に、何かを見出したのか。
 ビューグラスは両手を組み口元を隠すようにして、フェイルに向かって
 ゆっくりと首を左右へと振り意思表示を行った。
「お前がこの街に……ヴァレロンに帰って来るのは、知っていた」
「え?」
「既にこの場に"彼"がいる時点で明らかだが、儂は王宮に強い縁故を持っている。
 お前の王宮での動向も聞き及んではいた」
 そう話しながらガラディーンを一瞥するビューグラスの表情に、父親としての情感はない。
 薬草学の権威としての、求道者としての厳格さだけが支配している。
「『生物兵器』摂取による異常がお前の身体に起きていないかを観察する必要があった」
 それを見極めていた為、フェイルは驚きこそあれ、失望はなかった。
「出自について知りたいか? お前には知る権利がある。儂が進んで話す事はないが、
 聞かれれば答えよう。それが儂の父としての責任なのだろうからな」
 まるで他人事。
 それでも、フェイルは隣のガラディーンが微かに発した歯軋りのような音に救いを貰い、
 冷静さを多分に保つ事が出来た。
「それが"花葬計画"に僅かでも関与するのなら」
「……」
 その返答はビューグラスにとっても想定外だったらしく、暫し言葉を失っていた。
 一方、部屋の最も奥に位置するリジルは、そんな親子らしからぬ会話に少しおどけた様子で
 興味深そうに聞き入っており、カラドボルグに至っては露骨に破顔し楽しんでいる。
 この空間には、真剣味が欠如していた。
「いいだろう。その認識に誤りはない」
 ようやく何らかの整理を終えたらしきビューグラスが、変わらず厳しい表情でそう断言する。
 これから行われるその述懐には、少なからず自分の人間としての尊厳を破壊する内容が
 含まれている――――その覚悟は、フェイルにはとうに出来ていた。

「お前は、儂がジェラール村に捨てた子供だ」


 ――――それでも。


 ここまでの時間、入念に、何度も反復して積み重ねてきた決意と覚悟が、それでも崩れ落ちそうになる。
 たった一言で。
 どれだけ親としての、子としての情が希薄であっても。
 フェイルは、自分が深く傷付いた事を自覚し、右の拳を強く強く、強く握り締める。
 痛みに救いを求めていた。
「養うのに何か不都合でも? 貴方の財力なら、何の問題もなかったでしょう」
 初耳だったが為に我慢出来ずに――――といった衝動など一切滲ませる事なく、リジルがそう問う。
 それに対するビューグラスの返答は、この上なく単純明快だった。
「問題はない。だが、手元に置く理由もない。婚姻を結んでいた訳ではなかったのでな。
 ならば自然豊かな田舎にでも行って貰った方が、儂としては研究に没頭出来る。それだけの事だ」
 あらゆる補足は無用。
 言葉が全てだと言わんばかりに、淡々と話すビューグラスの目には、気後れなど存在しない。
 フェイルは抉られた胸を鷲掴みする心持ちで、握り締めた右手で胸部を抑えた。
「遊びで作った子が邪魔になって遠ざけた、って訳か。相手は使用人か? おいおい、
 酷ぇ父親もいたもんだな。旦那、冗談抜きで軽蔑するよ、いやマジで」
 相変わらずの軽い口調ではあったが、カラドボルグの目は笑っていなかった。
 死を弄ぶ医者に同情されている。
 その事実も、フェイルを少しずつ蝕んでいく。

 母がいない。

 それは村を出た後にアニスに拾われてシュロスベリー家で世話になっていた時も、
 王宮から帰り意図的にシュロスベリー家と関わるようになった時にも、
 十分過ぎるほど思い知らされた事実だった。
 わかってはいた。
 まともな離別ではないと。
 けれど、あらためて現実として突きつけられてしまうと、その牙にはやはり獰猛な毒が塗布されていた。
「済まないが、母親の所在は儂にはわからん。お前を捨てる前、気付いたら居なくなっていた」
「その女性は、アニスの母親でもあるの?」
「いや」
 事務的なまでに淡々とした返答。
「……そう」
 どう答えていいかわからず、それでも無言でいる事には強い嫌悪感を覚え、フェイルはそれだけを口にした。
 思い返してみれば――――母親というものに対し、自分が妙に素っ気なかったとここに来て自覚せざるを得ない。
 この街に戻ってきたのは、アニスを救う為。
 自分の母親を、アニスの母親を気に掛ける事など一切しなかった。
 それを不自然だと感じる事さえなく、また誰かが自身の母親について言及した際にも、
 自分の母親について連想する事もしなかった。
 明らかに避けていた。
 無意識の内に。
「儂は、もうお前に関わる気はなかった。だが事態は変わった。お前は観察対象として、
 儂にとって意味を持つ人間になっていた」
 それが何を意味するのか――――フェイルの手が自然と、両の目に伸びていた。
 鷹の目。
 梟の目。
 この、ジェラール村で心ならずも摂取してしまった生物兵器による恩恵が、
 ビューグラスの意識を変えたのは間違いない。
「お前がこのヴァレロンに帰って来ているのは知っていた」
 先程と同じ言葉を繰り返すビューグラス。
 けれど、そこには続きがあった。
 もたらしたのは、時系列の確定。
 そして。

「アニスを使いに出し、お前を家へ連れて来るように命じたのは、儂だ」

 思い出の、汚染――――






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