煌々と照らされた室内の空気が、また一つ気温を下げる。
 素顔を晒した仮面の男――――リジルと名乗った少年らしき人物に、
 フェイルは全身にまとわりつくような違和感を覚え、思わず歯を食いしばった。
「貴方の名前は色んな局面で耳にしてきました。本来なら勇者計画においても
 花葬計画においても端役に過ぎない、特別重要な宿命を背負っている訳でもない
 貴方が、どうしてこうも目立つのか。不思議で仕方ありませんでしたよ」
 リジルは決して揶揄を意図し発言している訳ではない。
 寧ろ、その立場にありながら真相に迫っている現状を褒め称える目的なのは明白。
 けれど、違和感に付随する嫌悪感は消えてはくれない。
 そしてそれが消えない以上、フェイルは常に警戒の為の消耗を強いられていた。
 情報戦において最も厄介な敵は、自分自身。
 視点を広げ、場合によっては自分さえ俯瞰で見なければならないのに、
 感情の波や疲労によって視点が狭まり、自分の枠組みから抜け出せなくなった時、
 決定的な敗北が待っている。
 それは『暗殺技能』とも直結していた。
 殺さないまでも、毒を塗った矢を射る事で標的を無力化させる『闇撃ち』もまた同じ。
 一人の敵を狙う際、集中するあまり周囲への意識を希薄化させ過ぎると、
 外的要因によって失敗してしまう事がままある。
 かといって、集中力が散漫になってしまえば、肝心の標的を撃ち漏らしてしまう。
 接近戦の戦闘技能を会得した事で、フェイルの視野はかなり広がった。
 弓矢を扱う兵士や狩猟者の中では、自分ほど幅広い戦術を用いる事が可能な人間は
 そうはいないと自負する程に。
 けれど他方、広がり過ぎた視野を一つの戦いにおいて最適化する作業は
 殊の外難しく、自分がどの立ち位置で、どの距離で戦うべきか常に悩みながら
 戦わなければならなくなってしまった。
 情報戦も同じ。
 今の自分の立ち位置はどこか。
 相手との距離はどれくらいか。
 どこまで縮めるべきか。
 どのタイミングで離れるべきか。
 リジルは仮面を取った事で急激に接近してきた。
 自分も歩み寄るべきか。
 後ろへ下がるべきか。
 波瀾万丈の人生経験を持ちながら、人と接する頻度は然程多くないフェイルにとって、
 その戦いは決して得意分野と呼べるものではない。
 こんな時にファルシオンがいてくれたら――――
 一瞬、そんな甘い願望が脳裏を過ぎる。
 
 それが転機となった。

「でも、こうして仮面を介さずに対峙してみると、少しわかった気がします。
 王宮で見かけた時には、まだまだ青臭さが目つきに滲み出ていたのに、
 今は違いますね。貴方は今きっと焦っている筈なのに、全く表面化されていない。
 かといって、無理に隠している様子もない。貴方もまた、その若さで
 大局的な視点を持っているみたいですね」
「僕が焦っていると思う、その根拠は?」
 リジルの言葉尻を捕まえ、そう問う。
 いつものフェイルなら、このような見え透いた誘いには応じなかった。
 罠だと知れば回避する。
 危険だとわかれば遠ざかる。
 生き抜く為には当然の事だ。
 けれど、"彼女"は違った。
 勇者一行の間者――――そういう役目を与えられたファルシオンは、その苦しい現実から
 決して逃げようとはしない。
 本人が『選択権はなかった』というように、若輩の魔術士が王宮に逆らう事など出来ないのだが、
 それでも言い訳は一切せず、責任を一人で背負い込む姿は時に痛々しくもあった。
 長らく仏頂面で過ごしていたのは、彼女の持って生まれた性格だけではない。
 王宮からの命令や自分の運命への不満などでもない。
 与えられてしまった役割と、リオグランテやフランベルジュに対する罪悪感との
 板挟みで自我を保つ事が難しい中、それでも出来るだけ誰も傷付けないように、そして
 自分も壊れないようにと懸命に模索し辿り着いた境地。
 清濁併せ呑む存在たる薬草士として、その生き様には感銘を受けていた。
 ならば、出来る筈。
 彼女がここにいなくとも、彼女の視点で、自分の視点と合わせ二つの"目"で戦う。
 そう思い付いた事で、フェイルは勇気を得た。
「言ったでしょう? 貴方の名前を色んな局面、色んな人から聞いたって。
 この国で最強の剣士デュランダル=カレイラに可愛がられていた元宮廷弓兵。
 勇者一行が貴方を頼っていたのも納得です。気の毒にも、その勇者候補は
 帰らぬ人となったみたいですが」
「帰らぬ人……確かに、もう人には戻れないな。あれじゃ」
 敢えて誘いに乗った事で、カラドボルグが介入し、主導権がフェイルからみるみる離れて行く。
 それで良い。
 自分の戦い方ではないが、今はその方が良い――――フェイルは自分に何度も言い聞かせた。
「ガラディーンの旦那。こいつをここへ連れてきた理由は? 俺としちゃ、サンプルは多い方が好ましい。
 引き込むつもりってんなら、特に反対はしないぜ」
「そういった意図はない。某はただ、案内したに過ぎぬ。近しい人物もいる故にな」
 普段より若干抑えめの声で、ガラディーンは未だ一言も発しないビューグラスに目を向ける。
 しかし、そんな元剣聖の明確な働きかけにも拘わらず、ビューグラスは無言を貫いていた。
 それでも、フェイルは心を揺さぶられないよう自分を強く持たなければならない。
 今、その為に必要なのは――――
「僕は別にガラディーンさんに連れて来られた訳じゃない。花葬計画を止めに来ただけだ」
 鉄、そして銀にも勝る強い意思。
 堂々たる宣戦布告に対し、カラドボルグの口元が歪む。
「成程な。そっちか」
 けれど、敵意など微塵も発しない。
 寧ろ大歓迎といった面持ちで円卓に突っ伏し、扉の前に立つフェイルを覗き込むようにして見上げる。
「首謀者の息子として、ですか」
 そんなカラドボルグとは対照的に、リジルの方は少年然とした穏やかな表情から一変、
 何かに失望したような、闇を据えた瞳でそう問いかけて来た。
「僕はてっきり、賛同を得ているとばかり思っていたんですけどね。違うというのなら、
 その沈黙はただの責任放棄じゃないですか?」
 フェイルにではなく、ビューグラスに。
「……ま、いいです。なら僕が代役を承りますよ。これでも一応、大学に勤務していた
 経歴もありますし、説明は嫌いじゃありませんから」
 無回答は織り込み済み。
 そんな迷いなき発言で、リジルは円卓に片手を付いた。
「つまり、フェイルさん。貴方はここが花葬計画の中枢だと判断し、単身で乗り込んで来た。
 その途中でガラディーンさんと遭遇し、ここへ案内されたと。そういう事情ですね?」
「その通りだよ」
「ならば、何をもって『止める』とするつもりですか?」
 リジルの問いは、花葬計画の全容に対する理解度と、その最終的な着地点を
 フェイルが把握しているかどうか見極める為のもの。
 勇者計画とは何か。
 花葬計画とは何か。
 既にその答えを、フェイルは持っていた。
「妹の為にやっている、この街を使っての人体実験を止めさせる」
「止まらんよ」
 フェイルの目がビューグラスを捉え、ビューグラスが重い口を開く。
 その二つは、完全に同時だった。





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