――――個人的な見解として、少々生意気で可愛い友人が勝利すると言う結果ならば、
 何ら不満などあろう筈もない

 刹那、フェイルの脳裏を過ぎったのは、以前王宮にて同じようなシチュエーションで
 攻撃を受けた前後の事ではなく、その少し前に言われたガラディーンの科白だった。
 当時は尖っていたし、幼くもあった為、正面からその言葉を受け止めるゆとりはなかった。
 こそばゆくもあった。
 が、嬉しくもあった。
 剣聖という、国内最高の称号を持つ人物から親愛の情を向けられた誇らしさもあった。
 だから、直後の手痛く厳しい"指南"も、温かさを感じられた。

『そこで良いのか?』
『はい』
『なら、終わりだ』

 ――――その時の事が、やたらゆっくりと頭の中で再生されている。

 トライデントとの御前試合を控えたその日、槍による攻撃の厄介さを
 半ば強引に学ばされた。
 その時の経験は、今も尚フェイルの中で活きている。
 単に槍の距離感だけの問題ではない。
 不意に攻撃された際の対処法。
 未知の武器への警戒の仕方。
 不意打ちとも言えたあのガラディーンの一撃は、フェイルの背中をグッと強く押し、
 一つ二つと階段を昇らせた。
 重要なのは、心構え。
 あの時フェイルは、ガラディーンが持ってきた棒を危険度の高い武器と
 認識出来ていなかった。
 だから至極あっさりと不意を突かれた。
 仮に攻撃を想定し、集中力を研ぎ澄ませていたところで、回避は不可能だっただろう。
 けれど、ダメージの軽減くらいは出来たかもしれない。
 そう思い至るようになった事で、フェイルは自身の戦い方について再考し、
 戦術の幅を広げるきっかけを作った。
 トライデントと互角に渡り合い、格上の敵を相手にしても生き延びる術を手に入れ、
 そして――――

「……本当に強くなったものだ」

 あの日躱せなかった打突を、スレスレながら躱せるようになっていた。
 ガラディーンの放った攻撃は、鞘に収まった剣での打突。
 無論、抜き身の剣よりも遥かに攻撃速度は減衰するが、棒とならば良い勝負。
 賭けに敗れながらも、ガラディーンは試験に合格した教え子を見るような
 温かく穏やかな眼差しを向け、口元も微かに緩ませていた。
「なったものだ、じゃないよ……全く」
 それに対し、フェイルは線上の痕がくっきり浮かぶ額を抑えながら、
 心底疲れた面持ちで嘆息。
 実際、生きた心地がしなかった。
 例え鞘に収まっていようと、直撃なら脳震盪は確実。
 最悪、死に至る可能性も十分にあった。
 それほど、ガラディーンの攻撃は鋭く、そして無慈悲だった。
「それで、賭けに勝った僕は何が出来るの? 色々と聞いてもいいの?」
「そう言えば決めていなかったな」
 結局のところ――――ガラディーンは、何も変わってはいなかった。
 その惚けた姿に、素直に安堵出来ない自分の境遇を呪いつつも、
 フェイルは微かに心を綻ばせた。
「ならば、こうするとしよう。一つだけ、お前の言う事を何でも聞く。それで――――」
「隠居して下さい」
 即答。
 一切の迷いなく放たれたフェイルの言葉に、ガラディーンは思わず瞬きを止めた。
「甘いと言われるかもしれませんけど……戦いたくはないんですよ、貴方となんて。
 どこかの田舎にでも引っ込んでいて貰えませんかね。そもそも引退するって言ってましたよね?」
「やれやれ……某に引導を渡すのが奴ではなくその弟子とは。なんという因果か」
 廊下の壁に背中を預け、ガラディーンは天井を仰ぎつつ破顔していた。
 無論、馬鹿正直にフェイルの言う事を聞く気などある筈もない。
 ここで本当に隠居するようなら、最初からこの場所にはいない。
 自分同様、或いはそれ以上の確固たる決意をもって、今という時間に辿り着いた筈――――
 そうフェイルは見抜いていた。
 ならば、何故『何でも聞く』などと言ったのか。
 答えは直ぐに本人の口から語られた。
「てっきり、ビューグラス殿の居場所を聞くのだと思ったのだがな。アテが外れてしまったよ」
「知り合いなんだね。知らなかったよ」
「……昔、世話になった。荒んだ某の心を、彼の処方した薬草は癒やしてくれたのだよ。
 傷を治す病院は山ほどある。だが、砕けた心を再構築してくれたのは、彼だけだった」
 視線を落とし、そのままガラディーンは歩き出す。
 彼と遭遇する直前までフェイルが進んでいた方向に。
「ついて来るがいい。ビューグラス殿に会わせよう。それまで年寄りの昔話に付き合って貰おうか」
 有無を言わせない、極めて強い圧の言葉。
 もとより、フェイルも断る気はなかった。
 拠点を得なくとも、目的の相手に辿り着けるのなら、何も問題はない。
「その昔話が、ガラディーンさんがここにいる理由と繋がるのなら」
「無論。話はガーナッツ戦争まで遡る」
 最早、足音を消す理由もない。
 院内の静寂は規律と共に崩れ、過去から忙しない爆発音を届けた。
 ガーナッツ戦争――――それは魔術国家デ・ラ・ペーニャとの間に起こった十日足らずの死闘。
「結果的にはエチェベリアの圧勝という形で幕を閉じたが、殺傷範囲の広い魔術がもたらした被害は甚大。
 決して快勝と言えたものではなかった」
 最前線で戦争に参加したガラディーンが言うのだから、間違いはない。
 実際に目の当たりにした事のない"戦争"が、フェイルの頭の中で大きな破壊の音を立て続けていた。
「某は戦争に最後まで反対していた。連れがデ・ラ・ペーニャにいたものでな」
 連れ――――それが妻を指した言葉なのは明らか。
 そしてその事実が、先程の『砕けた心』と繋がるのもまた明白だった。
「あの戦争で、某は大事なものを失った。一つや二つではない。得た物もあったのだろうが……
 だからと言って、失ったものが返ってくる筈もなかった」
「……」
 足取りは重く、今にも止まりそうなほど。
 ガラディーンは、古傷を掻き毟るようにして話をしている。
 何故、それを自分に――――?
 そう問いたくなる衝動を堪え、フェイルは昔話という名目の最重要機密に耳を傾け続けた。
「死に場所を求めていた訳ではない……が、剣聖として国民から崇められる度に
 魂を鷲掴みされているような感覚に陥ったよ。大切なものを幾つも壊した屑同然の男が、
 まるで神であるかのように褒め称えられる。どうすれば、償いが出来るのか。
 出来る筈もない。その押し問答が毎日頭に響いていた」
 ガラディーンの述懐は、そのままハルへの懺悔に繋がっている。
 そう思うと、フェイルも身を切るような思いに苛まれた。
「……そんな折、某は薬草学の権威と出会った。彼もまた、深い傷を負った人間だったよ」
 ふと、ガラディーンが扉の前で止まる。
 病棟と、別の棟とを隔てる扉らしく、かなり物々しい作りになっていて、
 大きな錠前が取り付けられている。
「某は、彼を通してこの国の恥部を知った。この街がその"蓋"である事も」
 古めかしい鍵を使い、開いた扉のその先は――――
「この国は……エチェベリアは一度砕けねばならぬ。痛みを伴おうともな」
 病棟よりも明らかに古めかしく、そして荒廃した建物だった。 







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