傭兵ギルド【ラファイエット】の向かいには、誰が見ても廃屋だと信じて疑わない荒廃した建築物が在る。
 街の景観を著しく損なっているこの建物については、区域外であるレカルテ商店街からも
 撤去の要望が寄せられるほど有名な"汚点"だった。
 にも拘らず、その廃墟はずっとヴァレロン新市街地の一角を汚染し続けている。
 勇者一行と出会う以前、フェイルはその件について特に疑問視した事はなかった。
 だがその後、ある一つの出来事をきっかけに、フェイルの頭の中には小さな違和感が生まれる。

 ――――クルル失踪事件。

 事件そのものは、誰かの陰謀であったり大きな事件の呼び水だったりした訳ではない。
 懇意にしている知り合いの少女の飼い猫が、一時の開放感を目当てに飼い主の元を離れただけ。
 なんという事はない、小さな日常のありふれた出来事に過ぎなかった。
 だがその調査中、フェイルは廃屋で若い女性と密談を交わしているビューグラスの姿を目撃した。
 当時は不倫現場なのではという生々しくも何処か日和った推測をしたものの、
 今となってはそれが余りに軽薄で浅慮な邪推だったと後悔せざるを得ない。
 当時から、既に花葬計画は動いていた。
 ビューグラスと会っていた女性が何者なのかは、今も尚わかっていない。
 少なくとも、フェイルがこれまで出会ってきたどの人物も該当しない。
 けれど、特定の必要はない。
 何故なら、あの廃屋で他者と会い話をしているというだけで、既にその背景は読めるからだ。
 ビューグラスが当時から花葬計画の為に奔走していたのなら、その怪しげな会合も当然、
 花葬計画と無関係ではない。
 可能性として考えられるのは、スティレットの部下か、若しくは――――
 ヴァレロン・サントラル医院の関係者。
 敢えて人が余り寄りつかない廃屋で、しかし日中という時間帯を選んで密会するという事は、
 かなり取り急ぎの用件で、かつ会っている事を誰にも知られたくないという証。
 そしてビューグラスは、諜報ギルド【ウエスト】等に間者を送り込んでいた。
 フェイルが彼から汚れ仕事を引き受けていた頃、明かされた事実だ。
 懐刀のヴァールにさえ心を開いていないスティレットに間者を送り込むのは、明らかに自殺行為。
 よって、総合的に考えればヴァレロン・サントラル医院に送り込んでいた間者と密談していたという
 推察がかなりの確度で成立する。
 密談内容は、報告。
 現在、ビューグラスがヴァレロン・サントラル医院と共同で花葬計画を進めている可能性が
 濃厚である事を考慮すれば、間者の得た情報とは『院内で極秘に行われている生物兵器に関する研究』
 と見るのが妥当だ。
 それは病院にとって弱味となるし、ビューグラスにとっては目的の為のデータベースにもなる。
 ウエストとヴァレロン・サントラル医院。
 情報機関と医療機関。
 薬草学の権威が最も重要視し、手中に収める必要があった両機関は、紛れもなく
 勇者計画と花葬計画を進める上での先導役だ。
 勇者計画は、エル・バタラを軸に進められていた。
 あの大会で勇者候補であるリオグランテを勝ち進めさせ、真の勇者なのではと市民に期待させ、
 その上で叩き落とす。
 この計画を実行するには、大会に参加していた多くの、或いは殆どの上位進出候補に対し
 極めて正確な『段取り』を伝達しておく必要があった。
 国家から派遣された者もいれば、貴族が連れて来た者もいる。
 同じ傭兵ギルドでも、ウォレスとラファイエットという競合相手が混在する大会だった。
 彼等をまとめ上げ、一つのシナリオを押し進めていくには、諜報ギルドのような存在が打って付け。
 事実、ウエストの関係者が会場に姿を見せていたのを、フェイル自身が確認している。
 彼等は余程の事がなければ、エル・バタラの開催されている闘技場といった目立つ場所には留まらない。
 しかしあの時は、彼等がいなければならなかった。
 先導役だからだ。
 この事からも、ウエストという組織が果たしていた役割の大きさ、広さが窺える。
 そして、それと同じ事がヴァレロン・サントラル医院にも言える――――

「……院内に動物が侵入した?」

 その医院は、街中にある施療院とは比較にならないほど複雑で巨大な構造の建築物であり、
 同時に衛生面への配慮も相応のものが求められる。
 貴族や富豪ばかりを相手にしている以上、彼等が支払う多額の医療費に見合うだけの
 サービスが維持出来なければ、直ぐに非難の的となるだろう。
 場合によっては、存続の危機に繋がりかねない。
「はい。知り合いの猫が門を潜ってそっちに入っちゃったみたいで。ほら、あそこに」
 その為、動物が病院内に入り込むなど以ての外。
 門前で警備をしていた男性にフェイルがそう伝えたところ、案の定その警備員の顔は
 みるみると強張っていった。
「確かに……いるな。小さい猫だ」
「もし病院の中にでも入ってしまったらマズいですよね。そうなる前に捕まえないと」
「言われなくともわかっている! 全く、厄介な事をしてくれたモンだ!」
 警備員から発せられた緊張感――――そして危機感は、ヴァレロン・サントラル医院の
 体質をそのまま表しているかのようだった。
 そんな精神状態で、俊敏な猫を捕まえるなどそう出来るものではなく、
 困り果てた警備員は程なく――――
「もういい、お前が捕まえてくれ。出来るだろう? いや、やって貰わないとこっちが困る。
 もし院内への侵入を許したら責任は取って貰うぞ」
 フェイルにそう打診し、門を開いて中へと通した。
 打診というよりは命令、そして脅迫に近いものだったが、フェイルにとってはどれでも問題なかった。
「わかりました。では、貴方はここで暫く休んでいて下さい」
「何……? を――――」
 通常は矢に塗布する痺れ薬を染み込ませていた布で、警備員の口を塞ぐ。
 即効性は極めて高く、即座に全身が弛緩し動けなくなった。
「命に別状はないから、心配しないで下さい。一時間ほど経ったら動けますよ」
 そう言い残し、フェイルはその視線を先に敷地内へ入っていたクルルに向け、
 こっちへ戻るよう手招きする。
 フェイルに懐いているクルルは、その仕草を見た瞬間に駆け寄ってきた。
「ありがとう。これでクルルのお仕事は終わり。ちゃんとノノの元に戻るんだよ」
 何度もその頭を撫でつつ、フェイルはこれが本当の意味で日常との決別を意味しているようで、
 若干その別れを惜しんだりもした。
 けれど、それも一瞬。
 クルルを門の下部にある僅かな隙間の前まで連れて行き、その隙間から外へ出て行ったクルルを
 少しの間だけ眺めた後、病院内へ向けて歩き出した。
 侵入成功。
 ここまでは順調だ。
  
 ――――ウエストが勇者計画を先導している組織なのに対し、ここは花葬計画を先導している組織。
 ならば今、ビューグラスが院内にいる可能性は決して低くはない。
 間者を使い、禁忌の研究が行われている実態について知り、秘密を暴露しない代わりに
 己の研究――――生物兵器の完全除去、すなわちアニスの完治を確約させる。
 生物兵器の除去がどれほど困難か、フェイルはその全容を把握している訳ではないが、
 少なくとも薬草だけでどうにか出来るものではないという事だけは理解している。
 人体に対するアプローチである以上、医学との協力は不可欠だし、仮に除去出来たとしても
 その後のケアは病院を頼らなければならない。
 生物兵器に侵された身体が、その生物兵器を失った時、どんな状態になるのかは誰もわからなのだから、
 医学の専門家と医療機関そのものを引き入れておくのは必須事項だ。
 これらの事を全て独力で行うのは困難を極める。
 ビューグラスがどれだけの犠牲を払って、どれほどの財を投げ打ってここまで漕ぎ着けたのか――――
 フェイルには知る由もない。
 知りたくもない、という本音もあった。
 彼のしている事は、アニスの命を免罪符とした無差別殺人なのだから。
「やりきれない話だよね、全く」
 誰にともなく、そして言葉にする事もなく、フェイルは心中でそう独りごちた。







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