薬草店【ノート】の建物そのものには、目立った被害はなかった。
 だがその前方、道路の至る所に血液と思しき染みが付着し、削れた痕も散見される。
 一方、ノートだけでなく周囲の建物全てに被害はなく、焦げや冷気の存在も
 認められなかった事から、魔術士が戦いに関与した可能性は低い。
「これってもしかして、アルマの嬢ちゃんが狙われ……おい! フェイル待てって!」
 最悪の事態が脳裏を過ぎり、フェイルの脚を最大出力で突き動かす。
 諜報機関【ウエスト】が関与していた時点で、アルマを匿っている事が
 敵勢力に筒抜けとなるのは覚悟していたが、たった一日でノートを特定されたのは痛恨だった。
 こうなる前に、スティレットと接触して全て終わらせる事が出来ればと
 アルマ達から離れたのが、裏目に出てしまった。
 ファルシオンとフランベルジュだけでなく、ヴァールやトリシュと言った猛者が
 共にいた事も判断の決め手となったが、それも誤りだったとしたら――――
「くそっ……!」
 例え女性陣に不快な思いをさせたとしても、より見つかり難い野宿を選択すべきだった。
 自分はここに残り、他の誰かに調査を任せるべきだった。
 そんな後悔の念が渦巻く中、フェイルは扉を蹴破る勢いで室内へと入る。
 中は――――誰の気配もない。
 そして、抵抗の痕跡もない。
 昨日総掛かりで整理した状態のまま、綺麗に陳列された商品が棚を埋めている。
 念の為に店の奥、裏庭まで入念に見回ったが、変わった様子は何処にもなかった。
「怪我人や遺体もないとなると、考えられるのは一つしかねえな」
 緊張感を纏ったまま、息荒く裏庭を凝視していたフェイルの背後から、
 ハルが普段より低い声で呟く。
「アルマの嬢ちゃんを狙って、誰かが店の前に現れた。そいつを、仲間の誰かが
 食い止めている間にアルマの嬢ちゃんを逃がした。店の前の戦闘痕は、
 その食い止めの最中に出来たモンだ」
「……うん」
 現場は確かにそう告げている。
 だが腑に落ちない点もあった。
 ハルの言う『食い止め』が店の前で行われのだとしたら、少なくともファルシオン達は
 襲撃者を店内に入れる事はなかったと強く推定出来る。
 何故、そんな事が可能だったのか?
 ファルシオン達も厳重に警戒はしていただろうし、店の前に見張り役の誰かが立っていたのは
 間違いない。
 ただ、もし本気で室内に、それも店の奥にいるであろうアルマを狙うつもりなら、
 大人数で押しかければ良い。
 普通ならそうするだろう。
 その場合、見張り役は自然と玄関前で陣取り、店内に入れないような攻防になる。
 だが、痕跡や流血が玄関前に集中しているような様子はなかった。
 裏庭から侵入したような形跡もない。
 一体誰が、どういった形で襲って来たのか――――
「今は考えても仕方がない。ハル、悪いけどアルマさん達が逃げ込みそうな場所を探して。
 ここからは別行動にしよう」
「そりゃ構わねえけど……お前はどうすんだ?」
「僕はヴァレロン・サントラル医院に乗り込む。万が一アルマさんが捕まったとしたら、
 連れて行かれるのはそこだろうから」
 アルマの膨大な魔力が回復するメトロ・ノームに戻る事は考えられない。
 スティレットがアルマを手に入れたなら、最も侵入が難しく、かつ彼女を調べる事が出来る
 病院に匿うのが合理的だ。
 まして、ヴァレロン・サントラル医院は、スティレットの拠点の最有力候補。
 いずれにせよ、目的地に変更はないという事になる。
「アルマさん達と合流出来たら、彼女を武器屋サドンデスに。あそこにはもう、人はいない筈だから」
「誰かが欠けてたらどうする?」
「……出来れば、助けて欲しい」
 フェイルのその懇願が、欠けた人物への温情を指すものではない事をハルは瞬時に理解した。
「愚問だったな。任せときな」
 そんなフェイルの肩を強めに叩き、ハルは先程まで歩いてきた方向へと引き返す。
 アルマを連れて逃げ込める場所の心当たりは、フェイルよりも傭兵であるハルの方がある――――
 そう確信させてくれる、迷いなき足取り。
「無理はしちゃダメだよ!」
 その頼れる背中へ向け、フェイルはノノの家へと向かった。

 


 現在のヴァレロンに漂う絶望感は、住宅街であっても例外ではない。
 墓場を歩くような思いで細い路地を何度も曲がり、フェイルはようやくノノの家へ辿り着いた。
「すいません! フェイル=ノートと言います! ノノちゃんのお家はここで宜しいでしょうか!」
 威圧感を与えないよう、扉を叩く事はせず、大声で呼びかける。
 だが――――返事はない。
 無理もない話ではあった。
 この状況の中、家を訪ねてくるような人物に対し素直に対応しろというのが酷。
 まして、子供に会いに来ているとなれば尚更だ。
 諦めて、他の手を考えるべきか。
 そう考え始めたフェイルは、目の前の扉が控えめに開く事に暫く気付かずにいた。
「……フェイル……兄様?」
「あっ」
 扉の隙間から覗く、懐かしい顔。
 それほどの年月が経過した訳ではないのだが、何年も会っていないような錯覚を抱きつつ、
 ノノが死の雨の犠牲者となっていなかった事にフェイルは心底安堵を覚えた。
「みゃあ」
 その頭の上には、クルルの姿もある。
 品の良い顔は相変わらずだった。
「フェイル兄様……フェイル兄様ーっ!」
 想いはノノの方も同じだったのか、フェイルの顔を見るなり大声で泣き出してしまった。
 直ぐにでも扉を開けて抱きつきたい。
 でも、それはしない。
 両親から外に出てはいけないという言いつけを受けていると思われる。
 そんな、自分を慕いつつ親の言う事もちゃんと守るノノのいじらしい姿に、
 フェイルは思わず涙ぐみそうになるのを必死に堪えた。
 ――――集中力を切らしてはいけない。
「ノノ、久しぶり。良かった、無事だったんだね」
「フェイル兄様こそ、何処に行っていたんですか!? 何日も家を空けて……」
 怒っているのか、安堵しているのか、嬉しいのか、或いはその全部か。
 子供特有の色んな感情をまぜこぜにした表情は、フェイルにちょっとした罪悪感と
 郷愁を感じさせた。
「ご両親は? いないの?」
「うん……街のみんなで集まって話し合うって、朝から出てった」
 それは、フェイルにとって意外であり、同時に心強い言葉だった。
 余りにも唐突に訪れた謎の――――そして悪魔のような自然現象『死の雨』。
 また同じ雨が降り注ぐかもと怯え、家の外に出られない日々が続く事になれば、
 あっという間に街は滅びるだろう。
 それでもこの街の人々は、早々に動き始めていた。
 強い。
 その強さを分けて貰えたような心持ちになり、フェイルの心に微かな火が灯った。
 それは、自分だけではどうしても灯せない明かり。
「ノノ。お願いがあってきたんだ。ほんの少しだけ、クルルを僕に預けてくれないか」

 ――――決戦の準備は整った。







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