病院は多くの人間にとって、自身の不調を取り除いてくれるありがたい場所。
 しかし、それでありながら、良い印象を持つ者は意外と少ない。
 多くの入院患者が滞在し、毎日のように死者が出ているこの施設には、
 死神が宿っていると揶揄する者もいる。
 だからこそ、夜間の病院は近寄り難い雰囲気を醸し出していると忌避する者や
 怖がる者は多い。
「さて。何処から忍び込むかね」
 しかし、ハルはその例には含まれていないらしく、闇がかった巨大な外壁を前にしても
 一切臆する事なく、鼻息荒く前方を睨み付けていた。
「時間外だから当然、門は閉められている。この壁を乗り越えるのも不可能。
 メトロ・ノームからの侵入を試みたいところだけど……」
 地下に支部まで存在しているのだから、メトロ・ノームから行き来可能なのは確実。
 だがそれは誰にでも想像出来る事であり、当然病院側も侵入経路になり得る事は理解している。
「警戒されてるのは寧ろそっちだろうからな。地下から潜り込もうとして
 狭い場所で待ち伏せされちまったら、対処しきれねえ」
 もしその待ち伏せしている人物が魔術士だったら、完全にお手上げだ。
 回避不能な狭い空間で、前方から魔術を撃たれてしまったら、魔崩剣なき今のハルと
 そもそも魔術に耐性などないフェイルには打つ手がない。
 警戒度が最高潮に達しているであろう今回に限っては、地上からの侵入以外の選択肢はない。
「でも、こっちも中々の難関だね。どうしようか……」
 フェイルがヴァレロン・サントラル医院を訪れたのは、今回で四度目。
 一度目は、提携の話を持ちかける為に勇者一行と訪れた時。
 その際には、リオグランテの顔で入ろうという無謀な作戦で挑んだ結果、すんなり入る事が出来た。
 当然、その背景には勇者計画と花葬計画がある。
 この病院も、その計画の一部であり、場合によっては中枢かもしれないのだから。
 二度目は、エル・バタラを控えていたフランベルジュが、メトロ・ノームで何者かに矢を射られ
 負傷した時。
 そして三度目は、アニスの変貌を目の当たりにした時。
 仕事目的で訪れたのが一度、患者を連れて訪れたのが二度。
 一応、それなりに正当な理由があった。
 今回は違う。
 急患でもなく、夜間に病院へ入る正当な理由など存在しない。
「妹さんが急変したって知らせを聞いた、ってのはどうだ? でっち上げだが、
 今更そんな事を気にしてもしょうがねえし」
「無理だと思う。アニスに会いに来るのは、僕以外には……ノノっていう小さな女の子
 くらいじゃないかな。すぐに特定されるよ」
「なら、そのノノちゃんに協力して貰う……訳にもいかねえか」
 そう呟くハルに対し、フェイルは一つ頷き――――直後にその目を大きく見開いた。
「やってみる価値はあるかもしれない」
「おいおい。小さな女の子を巻き込むなんて、らしくねえぞ? 幾ら非常事態っつっても……」
「ノノにも協力はして貰う。飼い猫を貸して貰うという形で」
 既に覚悟は出来ている。
 やれる事はなんだってやる。
 フェイルの目には、そんな決意と悲壮感が漂っていた。
「クルルの力を借りる」
 

 

 ノノの家は、ヴァレロン・サントラル医院より薬草店ノートの方が近かった為、
 地理的な確認のしやすさもあり、一度店に戻る事になった。
 ファルシオン達に黙って出て行った手前、何も成し遂げないまま戻るのは
 気まずさがないと言えば嘘になるが、そんな感情論で行動を縛るような場合でもない
 という判断だった。
「これってやっぱ……死の雨だっけ、アレが原因だよな」
 レカルテ商店街に差し掛かったところで、ハルは苛立たしげに呟く。
 あの『死の雨』に怯える市民は、ここ数日外出する事が出来ず、商店街も閑散としていた。
 酒場と同じだ。
 特にこの区域では死者が出ている事もあって、今後かつての活気が戻る可能性は極めて低い。
 商店街の未来は、国家の身勝手極まりない政策と、薬草の権威の盲目的愛情および探求心によって
 無残も潰されてしまった。
「ってか、死の雨って一体どういう原理なんだ? 毒を使ったのはわかるが、
 毒の雨なんて降らせる事が人間に出来るとも思えねえ。どんな方法を使いやがった?」
「……僕の憶測だけど、魔術が絡んでると思う」
 例えば、雨雲を召喚して雨を降らせる――――そんな魔術は現在において存在しない。
 その手の儀式が御伽噺などに登場する事はあるが、現実的なものでもない。
 ただ、雨を模した無数の水滴であれば、魔術で生み出す事は不可能ではない。
「それに、ヴァールが使っていた奇妙な魔術……既存の魔術とは違うものもあるとすれば、
 そういう事が出来るかもしれない。例えば、巨大な氷の塊を空中に打ち上げて
 何処かの時点で液体化させる、とか」
「成程な。具体的な方法は兎も角として、やれる可能性は十分あるって訳か。
 にしても、毒入りの魔術ねえ……いよいよもって物騒な世の中になっちまうな」
「毒塗りの矢なんて遥か太古から存在するし、今の時代なら決してあり得なくはないよ」
 魔術も、ここ数年大きな変動を遂げている分野。
 数年前に魔術国家デ・ラ・ペーニャの教皇が代わり、魔術に対する価値観も様変りしたと言われている。
 魔術士はより積極的に国外での活動を行い、他国家、他分野と交わっている。
 魔術だけではない。
 医術も、或いは兵術も、それぞれ独立した技術や学問として専門色を誇示する時代は終わり、
 それぞれが協力し合い、新たなものを生み出している。
 けれどそれは、良い事ばかりではない。
 死の雨のような、大量殺戮が可能な強過ぎる力を生み出す事も可能となる。
「確証はないけど、死の雨の本当の意味での正体は、戦争時の切り札となる兵器なのかもしれない」
 それは決して、突飛な思いつきではなかった。
 勇者計画・花葬計画には国家の意向がかなり強く反映されている。
 既にかなりの部分でその全容が明らかになってきた――――そう思う反面、更に大きな、
 そしてドス黒い何かが蠢いている気がしていた。
 メトロ・ノームでは行えない、それでいて人道に背くような実験が、このヴァレロン新市街地にて
 国家ぐるみで行われているとしたら――――
「おい、フェイル。お前の店……なんだよアレ」
 考え事の途中、ハルの切羽詰まった声がフェイルを揺らす。
 ぼやけた視界が次第に輪郭を帯び、見慣れた自身の店が現れる中――――
 その店の前には、明らかに何者かが壮絶な死闘を繰り広げたと思しき痕跡があった。








  前へ                                                             次へ