オプスキュリテの描く直線を視認出来た者は、剣を握る本人を除きその場には誰もいなかった。
 デュランダルには、その速度を必要とする理由があった。
 ほぼ正面から斬り込んできたフランベルジュを退けるだけならば、そこまでする必要はない。
 だが――――背後から何の迷いもなく、その上『自分に近い性質のもの』が飛びかかってきた事に、
 微かな警戒心を生じた事で、デュランダルの一撃に力が宿った。
 軸足を床に残したまま、下半身が上半身を引っ張るようにして回転し、
 振り向きながらなぎ払ったその閃きは、突然の乱入者――――
 トリシュ=ラブラドールの剣を二つに分断し、彼女の身体を深く切り裂いた。
「……え……?」
 一体何が起こったのか理解出来ず、フランベルジュは途中で突進を止めてしまう。
 尤も、そのまま攻撃を続けたところで、デュランダルに通用したとは本人さえ思ってはいない。
 攻撃性の矛先がファルシオンから自分に向けば良いと思っての行動だった。
 そして、それと同種の行動を、この場にいる筈のないトリシュが行った。
 即座に理解出来る筈もなく、崩れゆくトリシュをただ呆然と眺める事しか出来ない。
「お……お母……様?」
 しかし、そんなフランベルジュの硬直も、リッツの声によって即座に解かれる。
 言葉に反応した訳ではない。
 その声を聞いたデュランダルの気配に、戦慄を覚えた。
 これまで一切の感情を表に出さず、常に直線を描いていたデュランダルの気が、初めて波を打った。
「……」
 トリシュは飛びかかる体勢のまま、脱力し床へと倒れ込む。
 剣とは違い、身体までは切断されていなかったが、夥しい量の血があっという間に床を染めていく。
 深い、深い傷である事は誰の目にも明らかだった。
 その傷を一瞥さえもせず、デュランダルは強張った表情でトリシュを凝視したまま
 動かないリッツを見やる。
 アルマ不在となった今、彼のこの空間における目的はただ一つ、リッツの始末のみ。
 一瞬で決着が付く内容だ。
 しかしデュランダルはそれを実行しない。
 母――――その単語をリッツが言い放った瞬間から、デュランダルの金属の質感と良く似た虹彩が
 僅かに揺れ動いているのを、ファルシオンは感じ取っていた。
「……」
 それでも、ついにデュランダルが動く。
 しかしその所作は、周囲に緊張を与えるものではなかった。
 どうした事か、標的である筈のリッツに背を向け、扉の方へ向かい歩み出す。
 もうここには用はないと言わんばかりに。
「待って下さい」
 そのデュランダルの背中に、ファルシオンは手をかざす。
 直後、背後からフランベルジュとリッツの叫声が魂を引っ掻くかのように鳴り響いたが――――
 今は彼女達と感情を共にする訳にはいかなかった。
「幾ら貴方でも、無防備な状態で上級魔術を食らえば、無傷ではいられないでしょう」
 ヴァールの行動。
 アルマの望み。
 それを酌むならば、そうせざるを得ない。
「貴方の本当の目的は、一体なんなんですか? ここでリッツさんを伐たないのであれば、
 指定有害人種の始末とは思えません」
 或いは――――彼女とのやり取りの中で、指定有害人種に該当しないという答えを得た可能性も
 考えられる。
 デュランダルは決して快楽殺人者ではないのだから、理由がなければ命を絶とうとはしないだろう。
 けれど、ファルシオンにはそうは思えなかった。
 明らかにデュランダルは、リッツの言い放った『母』という言葉を境に変化したからだ。
「……」
 デュランダルの足は――――止まらない。
 ファルシオンの問いに答えようともせず、沈黙のまま応接室を出て行こうとする。
「撃ちますよ。私には貴方に怨みがありますから。仲間を殺されているんです」
 ファルシオンが実行していた命令を考えれば、仲間という言葉が如何に白々しいかは、
 王宮側であるデュランダルは勿論、彼女自身も十分に理解している。
 勇者一行という立場は、勇者の動向を見張る為のものに過ぎない。
 余りにもありきたりな裏切り者だ。
 それでもファルシオンは、この件を詰って貰いたくて敢えて口にした。
 時間稼ぎにもなる。
 なにより――――自分の愚行を愚行だと指摘して貰える。
 だが、そんな願いも虚しく、デュランダルは何一つ答えず応接室から出て行った。
 それでも彼の意識は、ほんの僅かながら後ろにいるファルシオンへ向けられた事は間違いない。
 後ろから魔術を放たれれば、相応の対応は必要だ。
 それが出足の遅れに繋がれば、ヴァールとアルマの逃走に微かながら影響を与える。
 その程度の助力しか出来ない己の非力さを嘆く余裕すらなく、ファルシオンはその場に膝を付いた。
 魔力切れ――――などではない。
 限界なのは精神の方だった。
 デュランダルがこの僅かな時間、同じ室内にいたというだけで、獣が棲む山奥で
 一晩過ごした後のような疲弊を覚えていた。
 せめて廊下に出て魔術の一つでも放てば、更なる足止めが出来るというのに、それさえも叶わない。
 ただただ次元が違う。
 これまで自分達がくぐり抜けてきた修羅場など、檻の中にいる猛獣を外から眺めているようなものだと
 理解し、ファルシオンは絶望感さえ抱いていた。
 あの男が今度、明確に自分達の敵として現れたら――――終わりだと。
「トリシュ! トリシュ! しっかりしなさいよ! なんで……こんな!」
 それでも、デュランダルがこの場から立ち去った事で、極度の緊張状態はピークを過ぎたらしく、
 ファルシオンの耳にはフランベルジュの言葉が届くようになった。
 悲痛なその叫喚が示すように、トリシュの出血量は致命傷である事を雄弁に語っている。
 それに、傷は先程のものだけではない。
 あらゆる所に血を滲ませ、四肢には骨折していると思しき大きく腫れ上がった箇所もある。
 バルムンクとの死闘を命からがら切り抜け、満身創痍のままここへ向かって来たと一目でわかる。
「……別に……貴女を助けに来た訳じゃ……ないのですけどね……ケケケ」
 いつもと変わらない軽口が、消え入りそうな声で発せられる。
 出血具合を考えれば、話をさせるべきではない。
 けれど今のトリシュに、そう警告する事は誰も出来なかった。
「どうせなら……最後くらい……おうちで休もうかと……思っただけ……なのです」
「お母様……お母様……」
 消えゆく命を燃やしてでも、伝えたい声がある。
 これまで常に奇々怪々とした言動に終始していたトリシュが最後に見せる姿を、リッツは縋るようにして
 己の眼の中に入れていた。







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