ヴァール=トイズトイズ。
 本名とは似ても似つかないその仮の名は、彼女にとって親も同然の恩人――――
 スティレットによって付けられた。
 そこに何らかの秘められた想いがあるのか、それとも単に思い付いた言葉を並べたに
 過ぎないのかは、名付け親にしかわからない。
 ただ、その名前には力が在った。
 スティレットという、経済界への影響力を強く持つ人物が付けた名。
 それだけで、ある種の効力が存在する。
 実際、このヴァレロンにおける闇市などの"暗所"は、全てその名前だけで利用する事が出来る。
 彼女の名前には『スティレット=キュピリエの護衛』という情報も含まれているからだ。
 真っ当な魔術士ではないヴァールにとって、この特権は極めて有意義だった。
 アランテス教会の定めた魔術とは異なる、別の体系の魔術を生み出す為には、正規のルートでは
 手に入らない魔具やその材料が必要。
 ヴァール=トイズトイズという名前は、先細りしそうだった彼女とその一族の生きる道に幾つもの
 小路をもたらした。
 ヴァールにとって、スティレットは恩人という次元で語る人物ではない。
 もし自分に正義があるとすれば、それはスティレットの"覇道"を護る事。
 そしてその道の先に、一族の復讐と安寧の答えがある。
 そう信じていた。
 だがいつしか、盲目的な信仰にも似たヴァールの道は、砂の上に引いた線のように、
 維持する事が困難なものになっていた。


 ――――あたしが人間じゃなくなってるとしたら……ヴァール、貴女はどうする?


「ヴァール……!」
 その攻撃をいち早く察知したファルシオンが、その名を叫ぶ。
 だがそこに抑止力などある筈もなく、ヴァールが生み出した褐色の巨人は既に、二体揃って
 デュランダルへ襲いかかっていた。
 既に先の戦いで明らかになっているように、その人型の生成物はヴァールの魔術。
 魔術でありながら、術者の意思を離れ自らの意思で行動している――――かのように見える。
 だが実際には、まるで自律的に動いているような行動を、ルーンで定めているに過ぎない。
 ファルシオンはそう確信していた。 
 そのようなルーン配列は、少なくともアランテス教会においては教示されていない。
 けれど、ルーンが出力される魔術を司るものである以上、決して不可能ではない。
 ただ、複雑な動きをさせる事は不可能。
 敵に対して放つ場合は、その敵がどう動くかをかなり綿密に計算し、その上でさも術者から
 独立した動きをしているかのようにルーンで定める必要がある。
 高等技術どころの話ではない。
 しかしそんな魔術を目の前にしても尚、デュランダルは無表情だった。
 迫り来る人体を模した魔術は、標的を捉え自爆するまでがその役割。
 初見であるならば、デュランダルにはその脅威はわかる筈もない。
 ファルシオンだけでなく、フランベルジュも爆破に備え身を屈めようとしたその時――――
「魔力の自律進化……あの女の真の狙いは魔術国家か」
 感情の動かない声が、室内をうねるように走る。
 誰かが侵入してきた訳ではない。
 デュランダルの声だ。
 そして、攻撃を受ける直前に発した訳でもない。
 褐色の巨人は、デュランダルの眼前で二体とも一瞬で姿を消していた。
 彼の愛剣・オプスキュリテの一閃によって。
「な……に? 剣で斬ったの?」
「あり得ません。魔術を剣で斬るなんて……」
 その信じ難い光景に、フランベルジュは屈んだまま呻き、ファルシオンは呆然と立ち尽くす。
 だが次の瞬間、事態が既に大きく動いているのを自覚し、忙しなく首を振り状況を把握した。
 ヴァールの姿がない。
 アルマも。
 放心状態のリッツだけがソファの上に留まり、震えながら虚空を見つめている。 
「逃がすと思うか?」
 不意にそのような声が聞こえた気がし、ファルシオンは再びデュランダルへ視界を戻す。
 実際に彼がそう口走ったとは到底思えなかったが、その視線の動きからヴァールの動きを彼が
 捕捉しているのは容易に想像出来た。
「攻撃すれば良い」
 これもまた、ヴァールの実際の声ではない。
 ファルシオンが頭の中で組み立てている、両者の駆け引き。
 高速移動するヴァールを不用意に攻撃すれば、アルマを殺してしまいかねない――――
「フラン、逃げましょう!」
 思考がまとまると同時に、ファルシオンは二つの行動を同時に行った。
 フランベルジュへの指示。
 そしてオートルーリングによる魔術の出力。
 周囲を氷霧で覆う【細氷舞踏】を放ちつつ、一目散に扉を目指す。
 自らも視界を遮られ、視認する事は出来ないが、加減して走るような状況ではない。
 ファルシオンは両手を身体の前で交差させ、激突覚悟で全力疾走を試みた。
 間に合うか――――
「……え」
 だがそんな彼女の決意は、氷霧の消失という最悪の形で意味を失った。
 魔術をキャンセルした訳ではない。
 またも、デュランダルの一振りによって魔術がかき消された。
「魔崩剣よ! フェイルの知り合いの男が使ってた!」
 動揺で思考までも失いかけていたファルシオンが、フランベルジュの一声で我に返る。
 極めて稀な技術だが、この男ならば使いこなしても不思議ではない。
 だが今は、それを検証する必要など皆無。
 魔術が一切通じない相手となれば、ファルシオンに出来るのは――――天井か床を魔術で撃ち、
 間接的なダメージを狙う事のみ。
「だったら……」
 選んだのは、天井。
 床を撃ち一階に落とす方法は、この中で図抜けた身体能力を持つデュランダルには効果がないと
 判断しての事だった。
 天井を【雷槌】で破壊し、瓦礫が落ちてくる間に逃げる。
 まだソファの近くにいるフランベルジュにも危険が及ぶだろうが、示し合わせている余裕などないし、
 彼女を扉までいざなうにはデュランダルに相当な隙を作らなければならない。
「フラン、上手く避けて……!」
 心中でそう願いながら、ファルシオンはデュランダルを睨みながら【雷槌】を綴った。
 宙に描くのは一文字のみ。
 そこからオートルーリングが作用し、文字が連なっていく。
 出力の寸前までデュランダルへ向けて放つと見せて、最後の最後に右手を上へ向け――――
「悪くない」
 それも、デュランダルが発した言葉ではなかった。
 ファルシオンの中に作り上げた彼が呟いた声。
 だがそれは、正確にデュランダル本人の思考を反映していた。

 ――――読まれている。

 表情も目の動きもないが、咄嗟にファルシオンはそう判断した。
 直感的なものだが、決して勘ではない。
 ファルシオンは思い出していた。
 彼が、デュランダルがフェイルの師匠だという事を。 
 自分とフェイルは思考が似ている。
 酷似しているとさえ言える。
 なら、その師匠には全ての戦略が見通されている――――

「ファル、あんたが先に逃げなさい!」
 再びフランベルジュの強い声が、ファルシオンの意識を現実へと引き戻す。
 その瞬間、彼女の目に映ったのは、無謀にもデュランダルへ斬りかかるフランベルジュの姿だった。

 時間稼ぎなど、とても出来る相手では――――

「……!」

 刹那、鮮血が舞った。 






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