リッツの行動は全てが本心と直結していた。
 命乞いという、貴族として最大の屈辱を甘んじてでも生き延びたいという本心。
 非力な女性を人質にし、その命と引き替えにしてでも自分の命を繋ぎ止めたい――――
 それはある種の生存本能だったが、同時に『種の保存』という動物学的本能とは
 一線を画すものでもあった。
 まだ成すべき事がある。
 死ぬわけにはいかない。
 その一心で採ったリッツの行動は、彼女にとって一点の曇りもない
 純粋で迷いなき一手だと信じて疑わなかった。

 ――――ごめんね

 不意に聞こえた、その小さな呻きにも似た声を聞くまでは。
 誤算。
 大誤算。
 その認められない言葉が頭を占拠する。
 だってスティレット様は言っていたじゃない――――と。


 アルマ=ローランは、地上では無力。
 力を発揮するどころか、言葉さえ発する事が出来ない。
 だから貴女は、その封術士が地上に行かざるを得ない状況を作る事にのみ
 腐心し、手段を選ばないようにするべきなのよん♪
 そして、『死の雨』の脅威によってあらゆる他国の監視が一時退却せざるを
 得ない現状において、速やかにヴァレロンの全区域を管理し、
 封術士がヴァレロン新市街地に出現したら誰よりも早くそれを察知し、
 速やかに接触を試みること。
 協力は惜しまないからねェん♪
 何処かに隠れているのなら、炙り出す為の手駒を与えましょう。
 幾つかの主要施設に、息のかかった子を配置なさい。
 そうすれば、逃げ込んだアルマ=ローランとの接触は容易なものとなる。
 流石に、貴女の屋敷に逃げ込んでくるというシナリオに期待するのは
 少々都合が良すぎるでしょう?
 大丈夫、きっと上手くいくから。
 与える手駒がアルマ=ローランを勢い余って殺してしまわないか心配?
 大丈夫よん♪
 その駒に、あの女は絶対に殺せないから。
 無力化したアルマ=ローランを手中に収めなさい。
 自分の屋敷に幽閉しておきなさい。
 そうすれば、貴女は無敵のカードを手に入れる事が出来るから――――
 

 スティレットの言葉は絶対だった。
 だからアルマ=ローランを囲っている勇者一行の生き残りが
 直接屋敷を訪れて来た時も、リッツに動揺はなかった。
 ああ言ってはいたが、より確実にアルマが自分の屋敷を訪れる
 何らかの方策を立てていて下さったのだ、と。
 流通の皇女はこれまでも、スティレット家を支えてくれていた。
 だから彼女を疑う理由は何もない――――
 そう確信していたリッツは、アルマを人質に取った時点で
 全てが上手くいったと半ば安堵さえしていた。
 例え勇者一行が反発し、襲いかかってこようとも
 一つ脅しをかければたちまち黙り込むだろう、と。
 それは、けれども慢心だった。
「な、何なの!?」
 異変を最初に感じ取ったのは、他ならぬリッツ。
 そして直ぐに、リッツとアルマを引き離そうと身を乗り出していた
 ファルシオンとフランベルジュも気付く。
 
 アルマの身体に、魔力の霧散現象が起こっていた。

 霧散現象そのものは、魔術が使用された際に必ず起こるもの。
 魔術を使用する際には、体内の魔力を収束する必要があり、その収束する力への
 反作用として、魔力が体外へ放出される事を指すものだからだ。
 ただ、魔術化されていない魔力は本来不可視であり、それは視覚ではなく
 嗅覚や触覚などによって感知されるのが常だ。
 けれども――――今のアルマは、その魔術士の常識を完全に無視した姿になっていた。
 全身が、光に覆われている。
 その光に定まった色はなく、常に複数の色が入り交じりながら変化し続けている。
 魔術によって身体がコーティングされている訳ではない。
 何故なら、アルマは魔術を使用していないからだ。
 ルーンの出現なしに、魔術の出現はあり得ない。
 だが、確かに魔力は感じられ、それはフランベルジュが魔術士と戦った際に
 感じたものや、ファルシオンが自身で何度も体験してきた
 魔力の霧散現象と一致する感触だった。
「アルマ! どうしたの? 何が起こってるの?」
 そう呼びかけたフランベルジュに対し――――
「大した事じゃないよ。いつもの事」
 本来言葉を発する事が出来なかった筈のアルマは、ハッキリとした声でそう応えた。
 その返事と姿にフランベルジュだけでなく、ファルシオン、そしてリッツも
 驚きを隠せなかったが――――この場に一人、平然とした面持ちを崩さずにいる
 人物が存在した。
「……何故、その子が今の今まで無事でいられたか、考えた事があるか?」
 デュランダル=カレイラの声は、他の三人の感情を逆撫でするかのように、
 何処までも深く冷たかった。
「あらゆる禁忌が詰まったメトロ=ノームの管理者。彼女が管理するのは
 地下への侵入経路だけではない。あの場所で行われた全てだ。
 そんな人間が、誰からも命を狙われずに十数年の時を生きて来られたとしたら、
 それは最早御伽噺ですらない。殺意の存在しない理想郷、といったところだ」
「そんな理想郷、残念ですけど存在はしません」
 デュランダルはアルマの"変質"の正体を知っている――――
 そういち早く勘付いたファルシオンが、場の主導権を引き渡す危険性を恐れ
 半ば強引に介入を試みた。
 今、ここでデュランダルの独壇場となれば、彼だけが一段上の場所から
 見下ろすような事になれば、何もかもが崩壊してしまう。
 そんなあやふやな恐怖心が、ファルシオンの背中を押していた。
「貴方も彼女を狙う一人だったんですね。デュランダル=カレイラ。
 でも貴方でさえも、彼女に手出しは出来なかった。つまり……
 戦闘力や技能ではどうにも出来ない、不可侵の力をアルマさんは持っている」
 その場で思い付いた事を言葉として繋ぐ作業。
 ファルシオンは必死に、それを行っていた。
 この女は自分と同じ情報を握っている――――そう思わせる為に。
 そうしなければ、何の価値もない存在だと見なされてしまえば、
 即座に首を切り落とされる。
 ファルシオンは生存本能ではなく、理性でその雰囲気を感じ取っていた。
「……」
 そしてデュランダルもまた、ファルシオンを試すかのように、
 自分から言葉を発するのを止め、彼女の考察に耳を傾けた。







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