「リッツ=スコールズが……貴様の母親だと?」
 それまでリッツの話に然程興味を示していなかったヴァールが
 思わず顔をしかめそう確認するほど、その示唆は歪で不可思議なものだった。
 王族がそうであるように、貴族が親や祖先の名を継ぐ事自体は、
 エチェベリアにおいて珍しくはない。
 だが母親の名を娘が継ぐのは、通常あり得ない事。
 ヴァールが訝しがるのは自然だった。
「ええ。私のお母様は幼き頃に奇病を煩い、現代の医学では手の施しようがなく、
 最終手段として生物兵器の投与を試みましたの。治験、と言うそうですわね」
「そんな話はどうでもいい。何故貴様は母の名前を名乗る? そもそも、
 さっきはなんであんな嘘を私達に聞かせた?」
「生憎、貴女に聞かせたつもりはありませんの。スティレット様を裏切った
 役立たずな上身の程知らずのゴミ屑になど」
「……貴様」
 一番触れられたくない部分を鷲掴みにされたヴァールの激高は如何ばかりか――――
 だがその怒気さえも、開放される事はなかった。
「……」
 未だ扉の傍から動かない、デュランダルの視線によって。
 一瞬でも神経を別のところに集中させてしまっては、後ろから斬られる。
 そのイメージが、ヴァールの神経を中枢から脅かす。
 幾ら強かろうと、どれだけ実績を積み重ねようと、到底真似出来るものではない。
 騎士という立場など、副師団長という身分など、デュランダルにとっては
 飾りでしかない――――ヴァールは本能でそう察し、リッツへ向けた殺気を鎮めた。
「スティレットさんを随分慕っているようですね」
「ええ。その前に、ファルシオンさん。先程貴女が言った『傭兵ギルド【ウォレス】と結託して』
 という部分だけは訂正させて頂きますわ。スコールズ家が結託しているのは、あくまで
 スティレット様。ウォレスはその付属品に過ぎませんの」
 貴族と流通の皇女の付き合い、それ自体は疑問に挟む余地はない。
 余りによくある組み合わせであり、お互い取引先の一つといったところだ。
 ただ、リッツの言葉の端々にスティレットへの敬意が示されている辺り、
 それもまた通常と仕事関係とは一線を画しているのだろうとファルシオンは目していた。
「昔話の続きをしましょう。デュランダル様、貴方にも是非お聞きになって頂きたく存じます。
 決して無関係ではありませんので」
「……」
 相変わらず表情を無から変えず、頷きもせず、デュランダルはただひっそり佇んでいる。
 しかしその姿は幽鬼の如く、常にこの場を支配していた。
「一命を取り留めたものの、我が母リッツ=スコールズは、生物兵器の影響で壊れてしまいました。
 わたくしを生み、その後も暫くこの家に留まっていましたが……残念ながら回復の気配はなく、
 このままではスコールズ家の名を汚す蛮行に及ぶ可能性が極めて高いと判断され、
 父マドニアは断絶を決意したそうです。体裁を保つ為、名目は"失踪"だったそうですけれども」
「令嬢失踪事件……」
 不意に、ファルシオンはそう呟いていた。
 当時、リッツ=スコールズが失踪したという情報は、街全体が共有していた。
 フェイルの話では、諜報ギルド【ウエスト】に捜索依頼も出されていたという。
 今にして思えば、不可解な話だった。
 体裁を気にする貴族、ましてヴァレロンを代表するスコールズ家が、娘の家出と失踪という
 醜聞を簡単に許すだろうか――――?
「その時の話を聞いていましたから、利用させて頂きましたの。当時を知る人物が
 何かしらの反応を示すと期待して」
 つまり、模倣。
 それはリッツの目的の全容を示唆するものだった。
「わたくしは……ずっと恐れられていましたの。"あの母親の娘も同じようにいつか壊れるに違いない"と。
 病が遺伝するように、生物兵器の影響もまた、遺伝すると。けれどお母様に続いて、
 わたくしまで追放すればいよいよ体裁が保てなくなりますから、常に疑惑の目を向けられたまま
 腫れ物を触るように生かされていましたの」
 けれど――――転機は訪れた。
「そんなわたくしに、勇者計画と花葬計画について教えてくれたのが、スティレット様。
 お母様と同じ血を引くわたくしを殺しに、死神より恐ろしい者が近々現れると。
 だから、今のうちに対策を練らなければならないと導いて下さったのです」
 リッツの視線が、デュランダルへと向く。
 命乞いをするという気はないらしく、露骨に敵意を剥き出しにした目。
 その様子に、ファルシオンは彼女の盲目的な一面を垣間見た。
 そしてそれが、ヴァールと酷似している事も。
「貴方がた王宮の目的は、生物兵器に関わる全ての一掃。二つの計画はその正当性の主張……
 上辺だけの正義に過ぎない。わたくしは、そう伺っています」
「正義、か。誰の正義だ?」
 長らく沈黙を続けていたデュランダルが、重い口を開く。
 それだけで、場にいる全員に再度緊張が走った。
「貴方がたの首謀者ですわ。勇者と生物兵器、その両方が邪魔なのではなくて?
 この国を次に預かる者として」
「……成程。お前の方の首謀者は、そう断定しているのか」
 リッツの狙いは当たった。
 彼女の話に、デュランダルは確かに関心を示した。
 今の状態なら、問答無用で斬り捨てられる事はない。
 その回避に全力を注ぎ、無事成功したようだ。
 だが問題は、この女は殺すべきではないと思わせる事が出来るか否か。
「不用意に動かないで下さいね。貴方がたがこの方を欲しているのは知っていますの。
 ここで失う訳にはいかないのでしょう?」
 なら、彼女はこれから自分がデュランダルの標的外であると証明しなければならない。
 アルマを人質に取ったところで、所詮は一時凌ぎ。
 なら、次に彼女が言うべき言葉は――――
「よくお聞きになって。わたくしは、指定有害人種ではありませんの。
 わたくしにお母様のその性質は……遺伝していませんのよ」
 青ざめた唇から発せられた言葉は、ファルシオンの予想と合致していた。
「わたくし自身、ずっと不安でしたの。もしわたくしが少しでも壊れたと
 判断されれば、貴方から始末される対象となる。スティレット様にも幾度となく
 相談に乗って貰いましたわ。いつ自分が壊れるかわからない恐ろしさ、
 いつ殺されるかという恐ろしさに常日頃脅かされ、生きた心地がしませんでしたの。
 幼少期から今に至るまで、ずっと……」
 それは、同情を買う為の演技――――ではない。
 紛れもなく本心だ。
 だからこそ、リッツはデュランダルに対しても言葉を選んでいないし、
 媚びへつらいもしていない。
 本心だからだ。
 彼女は本当に追い込まれていた。
 だが同時に、貴族らしい『気高さを掲げる美徳』も持っていた。
「わたくしはスティレット様に協力しています。ですがわたくしは、
 生物兵器の被害者なのです。この女……アルマ=ローランが後生大事に
 護り続けている、あの悪の所業の」
 だがそれは決して、本当の美徳ではない。
 まして、気高さとは縁遠いもの。
「この女をお譲りしますわ。その代わり、わたくしに正しき判断を」
 リッツはアルマと引き替えに、自身の安全を得ようとした。
 その瞬間――――フランベルジュとファルシオンの身体が、弾けるように跳んだ。






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