リッツの唐突な変貌に驚く――――間もなく、警戒心の不足を悔いながらも
 ファルシオンはアルマの首を掴んで今にも締め付けようとしている
 リッツの姿を凝視し隙を探っていた。
 奇妙な雰囲気は常にあった。
 屋敷の中に人の気配がない事。
 それに対するリッツからの説明がない事。
 自分達を恩人と言いながらも、目は笑っていなかった事。
 極めつけは、意図が不明瞭な作り話。
 だから警戒心を持っていなかった訳ではなかった。
 ただ、その矛先はリッツ本人ではなく、他に誰かが潜んでいるかもしれない
 というところへ向いており、眼前の少女本人がアルマを狙うという発想は
 完全に欠如していた。
「わかっている様子ですけど、動かないで下さいね。特にフランベルジュさん。
 貴女は少々怒りっぽい性格のようですから、くれぐれもその腰の物を
 抜かないように。少しでもその素振りを見せれば、この方の首を支える骨は
 素敵な音と共に崩れますわよ」
 堂に入った脅し。
 リッツの言葉は虚仮威しではないと、フランベルジュは悟っていた。
 実際、本来ならリッツがアルマに接触した瞬間に剣を抜くつもりだった。
 体勢は悪いものの、腰を浮かすのと同時に抜けば問題はない。
 狭い空間であっても、抜剣しながら腰を回し、殺傷範囲を最小限にして
 リッツの腕だけを狙う――――それくらいの技術はフランベルジュも有している。
 にも拘らず、動く事さえ出来なかったのは、リッツが瞬間的に放った殺気に
 気圧されたからに他ならない。
 どちらかと言えば驚きや混乱の方が勝っていたが、いずれにせよ完璧な形で
 先手を打たれてしまった。
「おい。貴様、今スティレット様の名を口にしたな。どういう関係だ」
 そんな中、唯一冷静なままでいたのがヴァール。
 不安げな顔で自分の首に手を掛けているリッツを眺めているアルマの危機そのものに
 関心がないのか、或いは他の意図があるのか――――
 平然とした様子で問いかける。
「素性を離すのに飢えているんだろ? 話せ」
「それも方便……とはいきませんのね。貴女にはこの"人質"が効果が薄いようですし」
 まるでファルシオン側の人間関係を把握しているかのような口ぶりで、
 リッツは不意に部屋の扉に目を向けた。
 会話中のヴァールや他の二人に、ではなく。
 だが、ファルシオンはそれを隙だと判断しなかった。
 腕の力は込められたまま。
 油断ではなく、余所見しながらも神経はより研ぎ澄まされている。
「……」
 それ"ら"の不可解な行動から、ファルシオンは或る一つの可能性を想起した。
 もしかしたら――――
「ファルシオンさんも、妙な動きはしない事です。貴女にとっては
 この方は大事な守るべき存在なのではなくて?」
 しかしその思考は瞬時に遮断される。
 リッツの視線は既にファルシオン達のいる空間内へ戻っていた。
「……随分と、こっちの以上に詳しいようですが」
「ええ。スコールズ家が総力をあげて、貴方達"勇者一行"については調べ上げてします。
 これも全て、リオへの愛の成せる業ですのよ」
「アンタ、この期に及んで……!」
 リオグランテの名前が出た事で、フランベルジュは激高――――しかけたが、
 直ぐにその怒気は消失した。
 自分を律したというだけではない。
 目の前の少女が――――常に不敵な笑みを絶やさずにいたリッツが、
 その表情のまま一筋の涙を流したからだ。
「わたくしの素性、という話でしたわね。良いでしょう。それを聞けば、
 "見逃して下さる"可能性もあるでしょうから」
「見逃して欲しいのなら、その手を――――」
「いえ、フラン。違います」
 今のリッツの言葉で、ファルシオンは確信を得た。
 彼女の不可解な行動の全ては、一つの――――たった一人の人物を対象としていた、と。
「考えてもみてください。先程まで私達は彼女を敵視していなかったんです。
 なのにどうして『人質』が必要になるんでしょう」
「あ……」
「もしアルマさんの命が目的なら、首を掴んだ時点で既に彼女の勝ちです。
 けれど、彼女は今もこうして動かずにいる。不自然なんです」
 何より――――首を掴まれたアルマが苦しそうにしていない。
 不安げなだけで、息苦しさを全く訴えてはいない。 
「……チッ」
 舌打ちの音。
 それはリッツではなく、ヴァールが発したものだった。
 彼女も、ここでようやくファルシオンの洞察に追いついた。
 そして同時に、気が付いた。
「私達は『盾』にされたんです」
「は? ファル、一体何を……」
「今向こうの扉の前に立っている人物から、自分の身を守る為――――」
 応接室に、扉の開く音が小さく、鈍く響き渡る。
 未だ、人の気配はなし。
 だがそこには確実に、その男がいた。
「使用人は全員避難させたか。立派な心がけだ」
 或る人は言う――――栄光ある王宮騎士団【銀朱】の最高傑作と。
 また或る人は言う――――エチェベリアの誇りと。
「リッツ=スコールズの代役の少女。用件があって訪ねさせて貰った」
 彼が放つ圧には人を凌駕する巨躯を持つ獣さえも畏怖すると言われ、
 他国にまで名を轟かせる猛者。
 デュランダル=カレイラが飾り気のない姿で入室した。
 飾り気どころではない。
【銀朱】副師団長として、普段は騎士団に支給される比較的派手な意匠の鎧を
 身につけているが、今ファルシオン達の前に現れたその様相は、
 まるで暗殺者と見紛うほど、黒一色。
 首には口元を隠す為か、やはり黒色の襟巻を身につけており、
 得物たるオプスキュリテの剣身を隠すかのように、漆黒のマントで背を覆っている。
 胸当てとして身につけている鎧も革製と思しき物で、重厚さは全くない。
 軽装とさえ言える姿でさえ、ファルシオンもヴァールも、そして――――
「アンタは……!」
 "リオグランテの仇"を目の当たりにし、激高している筈のフランベルジュさえも
 全身に痺れを覚えるほどの緊張を強いられた。
 クラウ=ソラスでさえ比較になり得ない。
 それほどの威容を備えている。
「……生憎と、わたくしは今この客人に素性を話している最中ですの。
 先にそちらを済ませてから、でよろしくて?」
 そう告げるリッツもまた、デュランダルの登場に動揺を隠せない。
 先程までの余裕は影を潜め、唇は瞬時に青ざめ、微かに震えている。
 だがそれは、彼の出現が予測出来なかったから――――ではない。
 寧ろ用意周到、準備を整え迎え入れたとファルシオンは理解していた。
 自分達を敢えて招き入れた理由は、彼の盾になり得ると思ったから。
 アルマを人質にしたのは、デュランダルがアルマを必要としているから。
 作り話は時間稼ぎか、或いは別の狙いがあったのか――――
 ただ一つ確かなのは、リッツは自分が狙われていると知っていた。
「もしかしたら、それを聞いたら貴方の考えも変わるかもしれませんし」
 "狩られる側"だと知っていた。
 その最後の抵抗が今、始まる。






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