臙脂色の屋根が覆う二階建ての屋敷――――
 ファルシオンは以前、リオグランテが通い詰めていた頃の
 スコールズ家の印象を今の屋敷と重ね、同時に猛烈な違和感に襲われていた。
 外見上は何も変わらない。
 巨大な建築物は、その巨大さ故に全体像が見えにくく、見えない部分に
 自分自身の心理状態が反映されてみたり、天候によって違う印象を受けたり
 しがちな事があるにはある――――が、ファルシオンが感じた異様な雰囲気は
 それらの性質とは明らかに一線を画していた。
「人の気配が……」
「ないな。貴様ら素人でもわかるという事は、本当に誰もいない可能性がある」
 相変わらず悪態をつくヴァールだったが、その一方で率先してより正確に
 気配を探ろうと神経を集中させている為、口論する訳にもいかず、
 ファルシオンはフランベルジュへと視線を向ける。
「……」
 フランベルジュは何も言わず頷き、隣で佇んでいるアルマの手を強く握った。
 不可解。
 現状を一言で表現するなら、その言葉に尽きる。
 スコールズ家はヴァレロンを代表する名家であり、多くの使用人を抱える貴族。
 その規模は、アニスやビューグラスの住むシュロスベリー家でさえ比較にならない。
 屋敷そのものの大きさこそ大差はないが、働く人の数は遥かに多いだろう。
 というのも、本職は学者であるビューグラスの家と、貴族であるスコールズ家では
 根本的に屋敷の在り方が異なる。
 ここは、ただの住処ではない。
 ヴァレロンを象徴する建物であり存在だ。
 そんな場所に、人気がないなど――――ある筈がない。
 貴族というのは常に体面を気にする身分。
 より多くの人を住まわせ、より多くの僕を引き連れる事に快感を得る人種と
 言い切ってしまっても、然程差し支えがない。
 また、ヴァレロン新市街地はその歴史の中で、旧市街地から移動してきた経歴がある為、
 "暗さ"や"活気のなさ"を卑下する傾向にある。
 貴族が自身の住まう屋敷から人を追い払い、まるで幽霊屋敷のようにしてしまうなど、
 例え一夜であっても、決してあってはならないと考えるだろう。
 ――――そうファルシオンは理解していた。
 それだけに、目の前の人気のない屋敷に戸惑いさえ覚え、判断を迷わせていた。
 ここに逃げ込んだのは、果たして正解だったのか?
 或いはバルムンクの脅威さえも上回る危機が、ここには潜んでいるのではないか?
 飛躍した捉え方だと半ば自身に呆れつつ、一方で確かな警鐘の音を聞いていた。 
「どうする? 別の場所に逃げ込むのはもう……」
 そう言いつつも、フランベルジュもまたこの屋敷に漂う不穏な空気を感じ取っていたのか、
 逡巡の表情を浮かべていた。
「あの猛獣が迫ってくる気配は今のところない。隠れる場所を変えるなら、今の内だ」
 一通り周囲のチェックを終えたヴァールも、そう進言してきた。
 そして――――
「……」
 物言わぬアルマも、不安げな瞳をファルシオンに向けている。
 全員一致。
 あの状態のバルムンクがヴァールに悟られずここへ接近する可能性はまずないと考えるなら、
 時間のロスを考慮してでも殆どリスクなく移動出来る。
 ここは良くない――――そう判断し、ファルシオンは屋敷の敷地内から出るよう結論付けた。
「お久しぶりです、お姉様方」
 だが、その結論を口にする前に、その場にいる全員が予想だにしなかった声に急襲され、
 感情を揺さぶられた。
 アルマだけが殆ど表情を変えなかったが、それでも驚いていない訳ではなく、
 声のした方から一歩、後退る。
「貴女は……」
「歓迎致します。ようこそ、我がスコールズ家に」
 声の主そのものは、驚くに値しなかった。
 何故なら彼女の言うように、ここは彼女の家でもあるからだ。
 リッツ=スコールズ。
 そう呼ばれている少女が、屋敷の扉の前に立っていた。
 まだヴァレロンが平和だった頃――――
 勇者一行だったファルシオン達はフェイルと共に、失踪した彼女をメトロ・ノームで発見、
 無事保護した。
 少なくとも表面上は、リッツにとってファルシオン達は恩人という事になる。
 けれど今となっては、そんな真実など存在しないと断定する事が出来る。
 何より――――ヴァールにさえ気配を悟られずに接近してきた目の前の令嬢を、
 ただの幼い貴族令嬢だと思える筈がない。
「どうなされたのかしら? 早くお入りになられて。生憎、お父様もお母様も留守にしているけれど、
 わたくしがいれば何一つ問題なくもてなす事ができますの」
 屈託のない笑顔で、リッツはそう歓待の言葉を紡ぐ。
 表面上はやはり、恩人を相手に礼を尽くしている体を保ってはいる――――が、
 そのまとう空気は最早、常人のそれからは逸脱していた。
「それに、リオのお話も聞かせて頂きたいですから」

 ――――刹那。

 二つの閃きがスコールズ家の空気を裂いた。
 フランベルジュの剣は空を切る。
 ファルシオンの放った緑魔術【舞刃】もまた、虚空を刻むのみ。
 感情の暴走で力みが入った事を考慮しても、二人の鋭い攻撃に対するリッツの反応速度は
 常軌を逸していた。
「あら、随分ですこと。わたくしとリオの仲を知らないわけじゃないでしょう?
 わたくしが彼の話を聞きたいと思うのは自然な――――」
「フザ……けんな!」
 息を切らし、今にも己の歯をかみ砕きかねないほど歯を食いしばり、フランベルジュは吼える。
 その目には、涙すら浮かべて。
「この状況で平然と『リオの話を聞きたい』と言っている時点で、貴女の立場は明らかです」
 ファルシオンもまた、口調こそ穏やかだが怒りを隠せず眉間に皺を寄せ、リッツを睨む。
 実際――――明らかだった。
 ファルシオン達は、リッツがスコールズ家の令嬢であるという以上の情報は持たない。
 彼女の異常性は、先程始めて知った。
 けれど、もしリッツが普通の令嬢で、リオグランテと懇意にしているという
 その表面上のままの関係だったとしたら――――この場にリオがいない時点で彼女の言う筈の言葉は
『リオは来ていないのですか?』しかない。
 また、実は彼女はリオグランテの事を実は余り好きではなく、リオグランテに言い寄られて
 迷惑している――――そんな場合でも、或いはその他のどのような関係性だとしても、
 何の言及もなくいきなり『リオの話を聞かせて欲しい』等と言う筈がない。
 この言葉が示す意図は一つしかない。
 たった一つのみ。
 リッツがリオの死を知っていて、そして――――挑発する場合にのみ使用される言葉だ。
「ま、いいですわ。わたくし、これでもスコールズ家の"現当主"ですの。広い心をもって
 来客をお迎えするのも務めのうち。先程の無礼はなかった事にしてあげますから、
 早くお入りになって」
 そして案の定、明確な攻撃と殺意を向けられたにも拘らず、リッツはまるで動じず、
 寧ろ歓喜さえ浮かべ、再び屋敷内へ入りその扉を閉めた。





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