自身を慕っていた、ヴァレロンで三本の指に入るほどの腕を持つ大柄な剣士が
 異様な殺気を放つ中、アルマは常に毅然としていた。
 冷静か否か――――
 それはファルシオンにはわからなかったが、傍で見る限りでは普段と変わらない様子で
 アルマは筆談用の紙に己の言葉を書き、掲げる。 

『君はだれなのかな?』

 そして、問う。
 バルムンクは直ぐに反応を示した。
 問われた事に対する答え――――ではない。
「そうか……わかっちまうのか。やっぱ俺の見込んだ女は只者じゃねぇ」
 震えていた。
 戦慄である筈もない。
 歓喜とも違う。
 亢奮――――それが最も近い。
 バルムンクは亢進状態にあった。
 前後関係や自身の本来あるべき感情、想いなどが正常に働いていない。
 アルマの言うように――――本当にバルムンクかどうかすら怪しい。
 もし以前の彼でないとすれば、アルマに何をするかわかったものではない。
 そしてそれは、彼女を連れ出した後に、ではない。
 今まさに、ここで何をするかわからない。
 抜き身になっている剣を、アルマへ向けて振り下ろすかもしれない。
「さあ、来てくれ。俺と一緒に。俺を――――救ってくれ」
「駄目です。させません」
 その懸念、そして何よりもフェイル不在の中でアルマを危険に晒してはいけないという
 思いが、ファルシオンの足を一歩前に進ませた。
「今の貴方にアルマさんを預ける事は出来ません。お帰り下さい」
「邪魔……すんのかい?」
「断固拒否します」
 先手必勝。
 ファルシオンは即座に魔術を綴り、いち早く戦闘態勢をとった――――つもりだった。 
「ファル!」
 だがその見通しは甘かった。
 そしてバルムンクは、ファルシオンの想定以上に狂っていた。
 会話の途中で既に、剣は振り上げられていた。
 最早、話の通じる相手ではなかった。
「――――っ」
 オートルーリングにより、魔術の編綴速度は以前より遥かに増した。
 それでも、先手を取られた場合は分が悪い。
 結界に切り替えようにも、それすら間に合わない。
 フランベルジュが必死に二人の間に割って入ろうと駆け出すも、初動の遅れは
 致命的だった。
 間に合わない。
 一刀両断。
 鮮血が飛び散り、見るも無惨なファルシオンの亡骸が――――
「……!?」
 薬草店【ノート】に、大きな金属同士の衝突音が響き渡る。
 魔術は間に合わなかった。
 が、ファルシオンは斬られなかった。
「やれやれ。壊れてますねー。こりゃもうダメですね」
 彼女の目の前には、トリシュがいた。
 鋭く光る剣を両腕だけでなく身体全体で支えるようにして、バルムンクの渾身の一撃を
 受け止めていた。
「壊れ者同士、仲良く遊びましょう。ウケケケケ」
 相変わらずの口調。
 余裕の現れ――――である筈もない。
 バルムンクの巨躯が体重を乗せるだけでも凄まじい威力の攻撃になるのに、
 今の彼には手加減するような器用さは感じられない。
 実際、その剣と剣の衝突音は、至近距離にいたファルシオンが一瞬意識を失いそうに
 なるほどの音量だった。
「テメェも……邪魔するのかァ!?」
 止められた剣に対する矜恃の暴走ではない。
 単に言葉通り、邪魔をされた事への嫌悪と不快感。
 それのみで繰り出された二撃目は、トリシュの身体を捉える事なく、その手前の
 床に叩き付けられた。
「っ……!」
 離れた場所にいたフランベルジュが声にならない呻きをあげるほどの衝撃。
 実際、店内は地震が発生したかのような揺れを観測した。
 その破壊力は――――剣での一撃でありながら、その何倍もの面積の穴を
 床に空けるほど。
 もしまともに食らえば、人の形のままで絶命するのは叶わないだろう。
 けれども――――
「"精密破壊者"の面影すらないな」
 ボソッと漏らしたヴァールの言葉通り、精度を著しく欠いた攻撃だったのも事実。
 この事実一つをとっても、今のバルムンクは以前の彼とは違っている。
 アルマに対して紳士的である保証など一切ない。
 なら――――
「ここはトリシュに任せて、さっさと逃げるのです。ケケケ」
 次の一手をどうするか、ファルシオンが考えていた今まさにその時、
 トリシュがそう訴える。
 これも、信じ難い発言だった。
 これまでの人間性が全て崩れていく。
 混乱せずにいられる筈がない。
「な、何バカ言ってんのよ! アンタ一人じゃそいつを止めるのなんて無理よ!」
 実際、フランベルジュのその反射的に口をついた言葉も、狼狽した中での発言だった。
 計算など微塵もない。
 ただ単に、そう思ったから言っただけ。
「あれ、随分偉そうですね。ちょっと強くなったからってトリシュの
 実力を全部見極めてるつもりですか? 甘い甘い甘い甘い。甘甘甘甘ですよ」
 そんなフランベルジュに対し――――トリシュは何処か嬉しそうにそう答えた。
「行くぞ」
 バルムンクの三撃目は、トリシュを正確に捉えていた。
 しかしトリシュはそれを、背中が床に付きそうなほど身体を反って躱す。
 明らかに、バルムンクの攻撃意識はトリシュに向いていた。
 逃げるなら今しかない。
 ヴァールの判断は正しかった。
「今のあの男にアルマ=ローランを奪われたら、フェイル=ノートはどう思うだろうな。
 私は別に、あいつがどう思おうが構わないが」
「……」
 そしてその言葉が、逡巡の中にあったファルシオンの背中を押した。
「アルマさん、逃げましょう」
「此方は……」
「あの人なら大丈夫です。きっと機を見て自分も逃げられます。器用ですから」
 トリシュが実際にそうするかどうか、その力があるかどうか――――
 ファルシオンにはわからない。
 アルマを納得させられる自信もなかったが、最早理屈をこねても無意味。
 トリシュがくれた好機を活かす。
 それのみだ。
「フラン!」
「嫌よ! 私もここで足止めする!」
 フランベルジュのその声は、ファルシオンに向けられたものではなかった。
 トリシュもまた、そう感じていたのだろう。
 重く、そして絶望的なほど強力なバルムンクの攻撃を人間離れした身のこなしで
 捌きながら、一瞬その視線をフランベルジュへ向けた。
「今のテメーじゃ足手まといなのです。弱者はさっさと逃げなさいな。ケケケ」
「な……誰が!」
「フラン! そのやり取りがもう危険なんです!」
 悲鳴にも似たファルシオンの声に、フランベルジュは我に返ったように目を見開いた。
 事実、既にバルムンクの攻撃対象となっているトリシュにとって、外部との――――
 フランベルジュとの会話は致命的な隙を作りかねない。
「くっ……覚えてなさいよ! 絶対見返すんだから、見返されるまで生き残ってなさい!」
 意を決し、誰より率先してフランベルジュがアルマの手を取り、
 薬草店【ノート】から駆け出す。
 その姿を視界に収める事なく――――トリシュは愉快そうに笑顔を作っていた。






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