他の殆どの人物にとってそうであるように、ファルシオンの目にも
 アルマ=ローランは驚異的に美しく、そして不思議な少女に映っていた。
 そこにいるだけで場の空気が和らぐ――――そんな人間は何処にでもいる。
 けれどアルマは、そうじゃない。
 彼女は何もしなくても、或いは言葉を発するだけで、場の空気がアルマに馴染む。
 敢えて言語化するならば、支配力。
 これほど朗らかな女性が、ある意味では最も獰猛な能力を有している。
 メトロ・ノームの管理人。
 その役職と関係しているのか、とファルシオンは訝しむ一方で、アルマに馴染んだ後の
 空気は決して嫌いではなかった。
「喧嘩じゃない。ただの罵り合いだ」
『それは喧嘩だよ。きっとね』
 ヴァールとアルマのやり取りは、明らかに噛み合っていなかった――――が、
 不思議と違和感なく両者とも話している。
 ファルシオンに対しては常に強気で、見下そうとするきらいすらあるヴァールだが、
 アルマに対しては微妙に認めている節があった。
「アルマさん。今は余り外に出ない方がいいです。フェイルさん不在の中で
 もし貴女がここにいると知れたら……」
『此方を心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ』
 アルマは今、普段使用している杖型の魔具を持っていない。
 保護という名目ではあるが、半ば強引にメトロ・ノームから地上へ連れ出されたのだから
 魔具を手にする余裕などなかった。
 にも拘らず――――アルマは今、魔術を使用した。
 空中にルーンを描いているのは、アルマの指。
 その指には、古びた魔具がはめられていた。
 アルマの綴ったルーンは瞬時に霧散し、周囲に淡い光を生む。
 結界である事は、遠巻きに様子を見ていた剣士のフランベルジュでも瞬時に理解するほど
 明らかだったが、通常の結界のような『わかりやすい形状』はなく、まるで煙のように
 アルマの周囲へ広がり、やがて店内を満たした。
『此方を守るのが一番上手なのは、此方だからね』
 メトロ・ノームの空間を封術で管理する為に魔力を大量に消耗し続けなければならない
 その性質上、地上では普段使いの魔術は使用不可能と思われていただけに、
 ファルシオンは驚きを隠せずにいた。
 だがそれ以上に驚いたのは、アルマが指にはめている魔具。
 ファルシオンには微かに見覚えがあった。
「その魔具は……」
「なんだ、この魔術は。結界か? 防御効果はあるのか?」
 問い掛けの途中、ヴァールに割り込まれる。
 やはり彼女とは相性が悪い――――そう思わざるを得ない一幕だった。
『この魔具はね、借りたんだよ』
 幸いにも、アルマは先に問いかけたファルシオンの質問を優先して答えた。
 尤も、非常に不可解な回答ではあったが。
 昨日、フェイル達が保護してから今までの間、アルマがフェイルとここにいる面々以外に
 接点を持つ機会などなかった。
 なら当然、保護する前に誰かから借りた事になる。
 諜報ギルドのデルなのか、別の人物なのか――――
『これは、此方やここにいるみんなの気配を消してくれる、あんまり魔力は消費しない魔術だよ。
 それでも昨日は疲れてて使えなかったから、夜は少し怖かったかな』
 追加で質問したい気持ちはあったが、筆記による対応しか出来ない今のアルマに
 矢継ぎ早に問う気にはなれず、ファルシオンは自重を選択した。
 それに、ヴァールへの回答も魔術士としてのファルシオンの好奇心を大いに刺激する内容だった。
 気配を消失させる魔術というのは、ファルシオンの知識の中にはない。
「初めて聞く魔術だ。おい、そこの二人。こっちの気配は本当に消えているのか?」
 ヴァールも同様だったらしく、元々世の中の全てを訝しがるような目をしているが
 更にその目を尖らせ、フランベルジュ達に確認をしていた。
「そう言われても――――」
「保証してやるぜ。確かに気配が消えちまったよ」

 ――――刹那。

 薬草店【ノート】に、落雷にも等しい衝撃が広がる。
 広げたのは今し方発言した人物。
 その姿を視認した瞬間、最も"彼"がいる入り口に近い場所にいたフランベルジュは、
 吹き飛ばされたかのように反射的に背後へ飛んだ。
 後ろには商品棚があり、必然的にその棚へ背中を叩き付けてしまう事になったが、
 躊躇する余裕など一切ない。
 動かなければ。
 距離を置かなければ。
 ただその一心だった。
 それほどに、突如現れたその人物――――バルムンクの放つ威容は常軌を逸していた。
「流石、管理人ちゃんだ。もう少し来るのが遅れてたら、見つけられなかったかもしれねぇ。
 でもこれが……運命ってヤツかもな。俺らは出会っちまった。そういう事もある。
 それが人生ってヤツだ」
 不可解な点はまだある。
 彼が今手にしている得物は、自身を象徴する巨大剣デストリュクシオンではなく、
 傭兵ギルド【ウォレス】の訓練用の剣だった。
 バルムンクは【ラファイエット】の大隊長。
 商売敵であるウォレスの訓練用剣を持つなど、余りにもあり得ない。
 異様過ぎる空気を纏い、異様な武器を手に、そして以前対峙した時よりも遥かに凶悪な圧を放ち、
 狂気すら孕む血走った目で、バルムンクはノートの扉を開け佇んでいた。
「な……」
 フランベルジュも、そしてファルシオンもまた言葉が出ない。
 バルムンクは確かに敵対した相手だが、ここまで敵意を剥き出しにするような事は
 これまでの数度の遭遇において一度もなかった。
 常に余裕をもって堂々としていた以前の面影はなく、まるで狂戦士のように
 迸る殺気を抑えきれずにいる。
 かといって、未熟な剣士のような荒々しさは微塵もない。
 隅々まで研ぎ澄まされた剣圧を、傍若無人なまでに解き放っている。
 全てがチグハグ。
 そして脅威だ。
「管理人ちゃん。俺と一緒に来てくれや。何、悪いようにはしねぇよ。
 ちょいとばかし、協力して欲しいことがあるんだよ。無理強いはしたくねぇ」
 無理強いはしない――――確かにそう言いながら、バルムンクは徐に剣を抜いた。


『……お、おお。誰かと思えば、管理人ちゃんじゃねぇか。ひ、久し振りだな』


『"バルムンク"、って呼んでくれって言ってるだろ? いや、それより
 "バルちゃん"の方が……いや、すまねぇ。今のは忘れてくれ』


 これまでの彼の言動から、バルムンクがアルマに好意を抱いているのは明白だった。
 異性への好意なのか、別の感情なのかまでは本人でないとわからない。
 本人ですらわからない事もあるだろう。
 ただ、確かなのは――――バルムンクにとって、アルマ=ローランは
 大切に思っている人物だという事。
 にも拘らず、バルムンクはアルマを前にして剣を抜いた。
 言葉と行動が一致しない。
 誰かに脅されて仕方なく、といった雰囲気でもないし、そもそも
 そういった脅しに屈するような人物ではない筈だった。
 異常な精神状態にあるのは間違いない。
 けれどその様子を、ファルシオンは冷静に分析する事が出来なかった。
 気圧されていた。
 急襲に等しいその来訪から始まり、その驚くべき変貌ぶり、そして宿す狂気に
 心が悲鳴をあげていた。
「……」
 その隣にいるヴァールも、動揺を隠せずにいた。
 彼女にとって、スティレットの弟であるバルムンクは知らない仲ではない。
 親しくはないが、それなりに性格も性質も知った相手。
 だからこそ、その変貌に驚かざるを得ない。
 その驚愕は、ヴァールの身体を硬直させていた。
 そんな中――――

『君はキュピリエさんじゃないね』

 アルマは違った。
 他の殆どの人物にとっては、きっとそうではないのだろうが――――
 ファルシオンの目には、彼女の姿が不思議な、そして"強い"少女に映っていた。






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