明らかに隠し倉庫と思われる空洞内に、何もない。
 その事実は、クレウスに毒を盛った連中が本来ここにあった筈の資料だか素材だかを
 既に発見し、運び終えた後――――という仮説を強く支持するものだった。
「死の雨にしても、今回の件にしても、グランゼ・モルトが使われてる可能性はかなり高いと思う。
 でも、その割に毒性が弱い気がするんだ。触れただけで死ぬ、臭いでも死に至る毒の割にね。
 そこが引っかかってたんだ」
「いかにも薬草屋の視点っつーか発想だな。普通そんなトコ引っかからねーよ」
「かもね。でも……」
 殆ど自嘲に近い感情が湧いてくるものの、笑みは零さずフェイルは続けた。
「死の雨もそうだけど、グランゼ・モルトの毒を弱める実験をしているとしか思えないんだ。
 弱める、薄める事が主目的じゃなく、そうする事で何かへの応用が可能になる……とかね。
 クレウス=ガンソに関しては、実験というより実験の成果を彼で試したのかもしれない。
 つまり、彼がどれくらいの期間で死に至るかを観察していた。そして、その背景には
 彼がグランゼ・モルトの解毒方法を知っていて、自分がその毒を盛られたと気付けば
 その方法を入手しに行くと踏んで、実際その通りになった」
「……えーと、つまり」
「グランゼ・モルトの毒性を薄める試験をしている連中が、その試験の成果を試すのと同時に、
 クレウスの知る『グランゼ・モルトの解毒に関する何か』を見つける。その二つの為に
 彼に毒性を薄めたグランゼ・モルトを盛った」
 簡略化した説明でもまだ理解が及んでいないらしく、ハルは終始顔をしかめていた。
 ただ、説明したフェイルもこれが正しいという確信には至っていない。
 あくまで仮説だ。
 ただ、『グランゼ・モルトの毒性を薄めようとしている』という点には自信があった。
 何故なら――――クレウス=ガンソに毒を盛った犯人は十中八九、ビューグラスだからだ。
 彼はアニスの中にある生物兵器を除去したいと願っている。
 アニスの為なのか、己の薬草士としての矜恃の為なのかは定かではないが、
 とてつもない拘りをそこに抱いているのは疑いようがない。
 そして、その為にグランゼ・モルトを用いようとしているのも、これまでの経緯や
 断片的に得た情報から、ほぼ間違いないと思われる。
 つまり、猛毒を持って体内の生物兵器を殺す。
 生物兵器に『生物』の要素があるのなら、生物に効く毒が効果的という発想だ。
 とはいえ、グランゼ・モルトほどの強い毒は、とてもそのまま使用出来ない。
 生物兵器を取り除く前に、宿主であるアニスが即死してしまう。
 だから、毒を薄めるという方向に研究の矛先が向かうのは必然だ。
「研究は……花葬計画は最終段階に進んだのかも知れない。急ごう。
 スティレットとビューグラスを止めないと、ヴァレロンが壊される」
「お、おい。奴等が何処にいるか、目星が付いたのか?」
「彼らがずっと狙っていた物は、もう手に入れた筈だよ。だとしたら、今は――――
 最低最悪の毒を生み出せる場所にいる」
「病院か?」
 半信半疑といった面持ちで問うハルに対し、フェイルは静かに首を横に振った。
 病院は、薬を調合する場所ではあるが、毒を作る場所ではない。
 毒を作れるのは――――
「ビューグラスの屋敷。きっとそこに連中はいる」
 依然として確信はない。
 ただ、吸い寄せられるような感覚はあった。
 クレウス=ガンソの遺体を見た時から、そのような感覚をフェイルはずっと抱いていた。
 或いはそれは、陳腐な言葉で"運命"と呼ばれる類のものかもしれない。
 同時に、血の仕業かもしれないと思いながら、フェイルは深い溜息を心中に落とした。
「……」
 ふと、視界にクレウスの姿が映る。
 彼に対し、思い入れや思うところは全くない。
 他人が死んだ。
 それだけの事だ。
 だが――――それだけの事と思えない自分も確かにいた。
 ビューグラスが殺したのなら、そうは思えないという自分が。
「水路に運ぼう」
「ああ。せめて水葬ならまだ格好も付くだろうしな。ここで腐るよりは」
 時間がない事は重々承知しながら、二人はクレウスの遺体をアルマ邸から運び出した。

 


 同時刻――――
「……アイツ、ロクに掃除もしないで何処に行ったのやら。自分の店って自覚あるのかしら?」
 薬草店【ノート】の売り場で棚を丁寧に拭くフランベルジュの姿を眺めながら、
 ファルシオンは穏やかに微笑んでいた。
「何よ」
「いえ。随分手慣れたものだと思って」
「不本意よ。剣士が雑用に慣れてどうするって話」
 そう愚痴を零すフランベルジュだったが、掃除をしろと誰に言われた訳でもなく
 率先して行っているところに、彼女の気持ちが現れている。
 憎まれ口を叩きながらも、フェイルには感謝している――――そんな気持ちが。
「トリシュお腹空きました。この辺の草、全部食らっても構わないですよね? ケケケ」
「あのね……薬草なんか食べても空腹は満たされないと思うんだけど」
 やたら懐かれているトリシュとのやり取りも、妙に馴染んできた。
 フランベルジュ自身、このヴァレロンへ来て大きく変わった。
 成長した。
 その事を、ファルシオンは素直に嬉しく思っていた。
「何をにやけている」
 そんな緑道の木漏れ日にも似た一時は、背後から音もなく現れたヴァールによって
 暗雲立ちこめる冬の林道へ強制的に移行させられてしまう。
 しかし現在置かれているファルシオン達の立場がどちらに近いかと言われれば、明らかに後者。
 その意味では、現実に引き戻してくれたとさえ言える。
「別ににやけていません」
「嘘を吐くな。明らかに顔の下半分が弛緩していた」
 それでも、感謝する気には到底なれず、ファルシオンは振り返りつつ
 ヴァールの目を突き刺すように、鋭利な視線を向けた。
 共闘もしたし、今は行動を共にしているが、気を許すつもりは全くない。
 それどころか、まだ彼女が"敵"である可能性も十二分にある。
 それがファルシオンの抱いている偽りなき心証だ。
 フェイルはヴァールに対し信頼とは少し違うものの、ある程度信用している。
 その件については、意見の相違があった。
 尤も、その意見を突き合わせて議論しようにも、相手が不在ではどうしようもないのだが。
「……貴女に聞きたい事があります。フェイルさんが何処へ行ったか知っていますか?」
 その苛々をぶつけるかのように、ファルシオンは叩き付けるような口調で問いかける。
 この日、朝方からフェイルの姿は店にも自室にもなかった。
 何を告げるでもなく出て行った事は、少なからずファルシオンの心中に不安を芽吹かせた。
 アルマを保護した今、無闇にここから離れるとも思えない。
 だが、丸一日いなくなったのなら兎も角、午前中姿を見せなかっただけで
 大騒ぎするのは、心配のし過ぎと他の面々から白い目で見られてしまうだろう――――
 と自重していたが、ヴァールの顔を見た途端に我慢の限界を越えてしまった。
「さあな。私は知らない。何故私に聞く? 向こうにいるキチガイ女にでも聞けばいい。
 諜報ギルドの偉いヤツらしいじゃないか」
「全員に聞きますけど、まずは貴女です。心当たりは?」
 睨み合う、魔術士と魔術士。
 ヴァールからの明確な回答は、ない。
 即座に回答しない事に意味があるのか、あるとすればどんな意味があるのか――――
『喧嘩は良くないよ。空気が悪いと、お客さんが来なくなるからね』
 そんな剣呑とした雰囲気の中。
 店の奥から現れたアルマが柔らかい書体の文字を綴った紙を掲げ、
 ゆったりとした足取りで近付いて来た。






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