「……おいおい。どういう事なんだよ?」
 人間の遺体を見る事に"慣れ"はない。
 傭兵として多くの死者を見送ってきたハルであっても、それは決して例外ではなかった。
 だが、その生理的な厭忌さえも塗り潰すほどの衝撃が、眼前の光景にはあった。

 絶命していたのは――――クレウス=ガンソ。

 王宮から派遣された魔術士であり、稀有な存在である封術士の一人だ。
 アルマの代わりにこのメトロ・ノームの管理を出来る可能性が
 あるかどうかを検証していた人物でもある。
 その彼が、アルマ邸で死体になっていた。
「訳わかんねーぞ。なんでコイツがここで死んでるんだ?」
「訳わからなくはない……と思う。あくまで推察だけど」
 物言わぬクレウスの顔は、それでも何かを言おうと口を開いているように
 フェイルには見えた。
 瞼も閉じきってはいない。
 絶命からどれくらいの時間が経過しているのかは不明だが、
 死臭は至近距離でないと確認出来ないほど微弱。 
 それほど前の出来事ではない事がわかる。
 クレウスの表情は、苦悶と呼べるほど険しい顔つきではなかった。
 尤も、それが無念の度合いを示すかどうかは甚だ疑問であり、
 そこから死の寸前の感情を読み取る事は難しい。
「恐らく彼は、足掻いていたんだ」
 それでもフェイルは、限られた情報と状況の中から答えを見出した。
「別の場所で誰かにやられて、死の間際に足掻いてここに辿り着いたってか?」
「いや。きっとやられた自覚はなかったと思うよ」
 その根拠は――――
「出血がない。誰かに斬られたり突かれたりした訳じゃない」
「その痣みてーなのは死斑か」
「うん。これは外傷じゃない」
 クレウスの遺体が物語っていた。
 その身体には、出血を伴う外傷が全く見当たらない。
 もし死に直結するほどの出血があれば、この家に入った時点で気付いただろう。
 なら、死因はかなり絞られる。
「病死、って事はねーよな? 幾らなんでも」
 自分ですら気付かない内に病魔が浸食し、ある日突然倒れ、帰らぬ人となる。
 そういう病気は幾らでもある。
 だが、病気の存在を疑う積極的な理由が存在しない以上、他の可能性よりも上位に
 持ってくる道理はない。
 そして――――
「うん。違うよ。間違いない毒が原因だ。死斑の色が明るい赤みを帯びている。幾つかの毒で見られる現象だ」
 それは薬草士ならではの視点。
 クレウス=ガンソは、毒殺された。
 そしてその方法は、武器に塗られた毒によるものではない。
「口、若しくは鼻からの摂取による毒死だ」
「鼻? 臭いだけで死ぬ毒なんてのもあんのかよ?」
「あるよ。至近距離で臭いを嗅ぐと死に至る、そういう毒もある。例えば……グランゼ・モルト」
 あの『死の雨』にも使われたと強く推察される、世界最悪の毒。
 "偉大なる死"の異名でも知られる、圧倒的な毒性で知られている劇薬だ。
「ただ、この場で彼がグランゼ・モルトを摂取したり臭いを嗅いだりしたとは思えない。
 毒を体内に入れたのは、恐らくずっと前の事だと思う」
「? どういう事だよ」
「ハルは、毒殺にどういうイメージを持ってる? 武器への塗布以外で」
 不意に問われたハルは、苦手な頭脳労働に思わず顔をしかめる。
 それでもどうにか一つの答えを捻り出し、それを口にした。
「謀略だな。俺らにゃ一生縁のない、政治の世界でよくある手法って感じだ」
「うん。実際、毒の需要は暗殺者を除けばそっちの需要が圧倒的に多い。薬草店の中には
 毒専門の窓口を構えて、王族貴族や政治家を相手に商売している所もあるって話だよ」
「……って事は、コイツも政治絡みで消されたってのか?」
 王宮から派遣された宮廷魔術士。
 加えて、このメトロ・ノームにおいて重要な役割を担う可能性があった人物。
 クレウスに政治色が皆無とは言えない。
「いや。多分、殺された理由はそれじゃない」
「あ? だったらさっきの話とどう繋がるんだよ」
「それは――――」
 答えようとしたフェイルの目に、違和感が生まれる。
 その違和感を一瞬、『またか』と解釈しようとしたフェイルだったが、
 違和感の質が違う事に気付き、その正体が自分ではなく映し出されている
 視界の中にあると理解し、床に寝そべった。
「おいおい、何して……」
 一瞬それが奇行に映ったハルが驚愕の表情を浮かべるが、直ぐにそれも消える。
 フェイルが寝そべったのは、居間の壁に横たわるクレウスの死体のすぐ傍の床だった。
 微かに――――盛り上がっている。
「隠し扉か!」
「ただ、取っ手みたいな物はないね。どうやって開けるのか……」
「任せな。傭兵ってのは冒険者みてーな真似事させられる事も多いからよ。こういうの慣れてんだ」
 嘘か誠か判断に迷うようなハルの発言を取り敢えず信じ、フェイルはハルに場所を譲る。
 するとハルは、僅かに浮き出た床の段差部分に剣先を突き立て、柄頭を足で踏みつけるようにして
 段差部分に打ち込んだ。
 更に今度は両手でグイグイと手前に引き始める。
「そんな事したら剣が折れるよ……?」
「俺の剣じゃねーから別に良いさ。床の蓋が分厚くねーのを祈ってな」
 そう告げた瞬間――――床が持ち上がり、人の手を滑り込ませるほどの隙間が出来た。
「隠し部屋……って感じだな。アルマの嬢ちゃんが何か隠してんのかね?」
「いや。アルマさんの私物だったらクレウス=ガンソがここへ来た理由がない」
 浮いた床を更に上へ持ち上げて剥がそうとしながら、フェイルはそう唱える。
 その内容は推察に過ぎない。
 ただ――――筋は通っていた。
「彼はいつからか、毒を盛られた事を自覚した。それでここへ来たんだ。そしてそれは、
 毒殺を目論んで実行に移した連中にとって、狙い通りの行動だった」
「……どういう事だよ? 俺にわかるように話せよ」
 床が完全に持ち上がり、その下にある空洞が露わになる。
「クレウス=ガンソは知っていたんだ。このアルマさんの家に、グランゼ・モルトの毒性を
 薄める、若しくは完全に消滅させる為の資料、若しくは素材があると。だから、
 毒を盛られたと知ってここへ来た。資料を手に入れる為に」
 そう話しながら、フェイルは空洞の中に目を向ける。
 無数の柱が光を放っているとはいえ、その明度は地上の日中ほどではなく、
 屋内という事もあって、視界は良好とは言えない。
 ただ、それでも空洞内の様子はある程度視認出来る。
「な、なんでそんな物がアルマの嬢ちゃんの家にあんだよ」
「彼女がメトロ・ノームの管理人だからだよ」
 空洞の中には――――何もなかった。
「メトロ・ノームは生物兵器の実験空間であるのと同時に、ヴァレロン・サントラル医院の
 資料室でもあったんだ。勿論、秘匿された……ね」
「その資料を探す為に、クレウスに毒を盛って泳がせた奴がいる、ってのか?」
 流石にここまで材料が出揃えば、ハルでもそう気付く。
 フェイルは深く頷き、持ち上げた床を再び下ろした。





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