「……」
 ハルの判断に無言で小さく会釈したのち、フェイルは再びリオグランテと対峙する。
 殺気はない。
 最早殺気など、殆どアテにならない。
 今のリオグランテが、クラウ=ソラスやファオ=リレーと同じような状態なら尚更だ。
 ただ、彼等にしても、またアニスやハイト、トリシュにしても、指定有害人種もしくは
 それに近い性質を持っている全員、一様に同じという訳ではない。
 似ているが、違っている。
 体内に取り込まれた生物兵器の性質なのか、浸透度の問題なのか、
 本人の素質・個人差が原因なのか――――
 いずれにせよ、クラウ=ソラス達がそうだからという理由で、今のリオグランテを語る事は出来ない。
 ファオ=リレーやトリシュは妙に好戦的だった。
 ハイトは死にたくても死ねない身体と言っていた。
 アニスには意識の変容、人格への影響が見られた。
 クラウ=ソラスは――――それでも理知的だった。

 なら、リオグランテは?

「……リオ。さっき君は僕を左手で殴ったよね。利き手とは違う手で」
 フェイルがその問い掛けに意義があると判断した理由は、それだった。
 常に剣を持つのは右手だった。
 でも、左で殴った。
 左の方が、今は威力があるから?
 否。
 フェイルはこうして意識を保ち立っている。
 殴られた頭部には痛みがあるし、腫れもしているが、致命傷とは程遠い。
 なら、左でしか殴れない体勢だったかというと、そういう訳でもなかった。
「手加減したの?」

 ――――もしそうなら、話し合う余地がある。

「それなら、僕はもう戦わない。リオがどんな理由で僕に襲いかかろうと」
 確かな根拠を手にした瞬間、フェイルは躊躇なく休戦を選んだ。
 手加減するという事は、躊躇がある。
 躊躇があるという事は――――葛藤がある。
 それは、リオグランテが今も人間である証だ。
「僕にはもう、君を殺す事が出来ない」
 暗殺技能は、『殺す技術』であるのと同時に『殺すべき相手の殺し方』でもある。
 そうではない相手へ発揮するのは、ただの殺戮者に過ぎない。
 これはデュランダルの教えではなく、フェイル自身の信念。
 その錬磨された信念が、今のリオグランテの状態をようやく正確に捉えた。
 殺す気で向き合って、ようやく手に入れた情報。
 もし仮に、次の瞬間リオグランテから攻撃され絶命しても悔いはない――――
 と言えるほどの確信はないが、それでも英断に躊躇はなかった。
「……」
 リオグランテは言葉を発しない。
 ただ、明らかにその目は感情を宿していた。
「……………………」
 感情が、溢れていた。
 その涙を払うように、リオグランテはフェイルから顔を背け、同時にその場を離れる。
 今の彼にとって、それは追跡不可能な逃亡。
 つい先刻まで死闘が繰り広げられていたとは思えない程、一瞬で戦場の空気は消えた。
「……自分の意思で襲って来たんじゃないのか?」
 微かに息を乱したハルが、疲れ切った顔でフェイルへと近寄る。
 一発攻撃を受けただけにも拘わらず、その消耗。
 それだけ、リオグランテの脅威は凄まじかった。
「もしそうなら、僕は今頃事切れてたよ」
 リオグランテの戦闘能力は、最早あのバルムンクやクラウ=ソラスすら凌いでいた。
 ハルという味方がいても、生き残るのは難しい――――そういう手応えだった。
「でも、例えば弱みを握られたとか、そういう風でもなかった。それに、ハルを攻撃したのも
 障害を取り除くって感じだったし、あくまでリオの意思で僕を狙ったようには見えた。
 攻撃も原始的で、理性は希薄だったと思う」
「でも手加減した……か。一貫性がねーな。一端死んで、頭ン中がグチャグチャになってんのか?
 それとも、まさか誰かに洗脳されてるんじゃねーよな?」
「わからない。ただ……」
 抉られ血が滲む首を左手で押さえながら、フェイルは足下に転がっていた剣を拾う。
 リオグランテが投げた剣だ。
 彼の現状を知る手がかりになりそうな物ではないが――――
「……おい。それちょっと貸してくれ」
 何ともなしにフェイルが拾い上げたその剣を、ハルが半ば強引に取り上げる。
 そして何度も角度を変え、凝視し、やがて呆れ気味に嘆息した。
「どうしたの? まさか、その剣に見覚えがあるとか」
「そのまさか……と言いたいトコだけどよ、期待されても困るって程度のモンだ。関連性は微妙だぜ」
「十分だよ。何でも良い。手がかりになりそうなら話して」
 切実に乞うフェイルの顔は、苦渋に満ちていた。
 リオグランテとの戦闘は時間にすればかなり短いものだったが、受けた傷は浅くない。
 だがその痛みより遥かに、彼が襲撃してきた事実の方が重い。
 ある程度の予見はあったとはいえ、仲間だった少年が壊れている様を見なければならないという
 現実の方が、ずっと辛い。
 ハルもその思いを酌み、真剣な面持ちで頷いた。
「この剣は【ウォレス】で稽古用の武器として使われてる奴だ。市販されてるのより一つ型が新しい」
「新しい……?」
 稽古用なら、寧ろ古い物が使用されて然るべき。
 実際、型落ちした武器を安く仕入れて訓練に使うケースは多い。
 武器屋にとっても在庫処理が出来るので、悪い話ではないからだ。
「確か、別の国の武器屋から大量に仕入れたっつってたな。質の高い剣を使えばそれだけ
 実戦に近い感覚で稽古が出来るっつって」
「仕入れたのは、クラウ=ソラス……」
「ああ、旦那だ。ギルドの運営もやってっからな」
 加えて、他国からの輸入。
 そこには確実に仲介人がいる。
 流通について熟知した人間が。
「……なんとなく話は見えてきたね。でも、結局彼女が何処にいるかわからない限り進展は望めない」
 流通の皇女スティレット=キュピリエ。
 もし彼女がリオグランテを洗脳、若しくはそれに近い状態にしたとすれば。
 そしてその洗脳行為に、毒草が絡んでいるとすれば――――
「終わったようだな」
 不意に、ハルとは違う声に鼓膜を揺らされ、フェイルは思わず身構える。
「安心しろ。"敵の敵"を襲う趣味はない」
 その言葉通り、声の主に敵意はなかった。
 だが――――
「本当に貴方はリオ……リオグランテの敵なの?」
 眼前で佇むトライデント=レキュールの姿に、フェイルは強い疑念と同時に、
 何故か微かな安堵感を抱いていた――――






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