声を掛ける事すら躊躇われる異様さを放つリオグランテの目は、
 確かにフェイルの方を見ているのだが、その意識にフェイルの姿が
 本当に映っているかどうかは疑わしかった。
 ハルにとてつもない速度の一撃を食らわせて以降、目立った動きはない。
 相変わらず気配はないし、敵意すら不明瞭。
 そこにあるのは、魔物性とでも言うべき人智を超えた何か。
 リオグランテは静かに、信じ難い静けさで敵であり続けている。
「ぐっ……おい! テメーは一体何なんだ! どうして俺達を襲う!?
 そこの尻尾の仲間じゃなかったのかよ!」
 意識は失っていなかったらしく、顔を抑えながらハルが立ち上がり、叫ぶ。
 フェイルの視界には入っていないが、その鼻からは大量の出血があった。
「……」
 フェイルが聞きたくても聞けなかったその言葉に対するリオグランテの反応は――――
 無。
 単に返答しなかっただけではなく、聞こえていないのではとさえ思うほど、
 全く反応がない。
 フェイルの認識は正しかった。
 既に以前のリオグランテではない。
 エル・バタラ決勝前夜、薬草店【ノート】の中庭で戦った時の、
 指定有害人種特有の異常性を帯びた状態ともまた違う。
 あの時は、クラウ=ソラスと酷似していた。
 今は――――
「まるで"幽霊"だな」
 ハルのその言葉が最もしっくり来る。
 気配もなく生気も感じられず、それでも敵と認識せざるを得ないリオグランテの姿は
 幽鬼とも言うべきものだ。
 そのつもりで戦うのが最善かもしれない。
 フェイルも、そしてハルもそう認識し――――同時に跳んだ。
 今の状態のリオグランテの速度は、待ちの一手でどうにか出来るレベルにない。
 なら先に仕掛けるしかない。
 そうしなければ殺されるだけ。
 そんな強迫観念に背中を押されるようにして、フェイルは右側、リオグランテから見て
 左側へ周りながら、最初の襲撃の際に落とした矢を一本拾う。
 地面に矢が散らばったのは、ある意味では幸運だった。
 矢筒から取り出すのと比べれば余計な動作が必要になるが、
 移動や回避のついでに回収を行えば、決まりきった予備動作をしなくて済む分、寧ろ隙が減るし
 攻撃動作を読まれにくい。
 問題は――――本気で射る事が出来るか否か。
 決意はしていた。
 心の何処かで覚悟もしていた。
 リオグランテが蘇生して、けれどもまともな状態とは程遠く、自分の前に立ち塞がる――――
 そんな予感が、実のところあった。
 それでも、一度死んだ彼をもう一度……となると、余りにも無慈悲過ぎる。
 救いがなさ過ぎる。
 理由を聞きたい。
 問い質したい。
 情けをかけたい。
 戦闘不能に止め、束縛し、こうなった経緯を全て話して欲しい――――
「――――フェイル!」
 そう願いを乞う自分がいる一方で、リオグランテから意識を逸らさず、
 ハルの声にも耳を傾ける自分を保持し続けている。
 そのフェイルの視界から、リオグランテが"消えた"。
 動きは全く見えない。
 が、消えたという事は、攻撃を仕掛けて来たという事。
 そう仮定し、更に右へと跳ぶ。
 刹那――――フェイルの服と右肩が"抉れた"。
 リオグランテの右手が、フェイルの肉を削ぎ取った。
 だが、初撃ほどの深さはなく、致命傷には程遠い。
 回避は一応成功。
 自身の状態をそう判断したフェイルは、着地と同時にようやくリオグランテの現状を掴んだ。
 正確には、自分の中にある情報の中から最も適したものを見つけた。

 ――――アニスだ。

 今のリオグランテの状態は、ハイト=トマーシュを殺害した時のアニスに酷似している。
 同時に、ハイトとも一部が重なる。
 彼もまた、死んだと思っていたが、その実生きていた。
 いわばこの二人の複合が、現在のリオグランテだ。
 そして当然、この全員に"指定有害人種"という共通点がある。
 ただ、本当にそうなのかは疑問の余地がある。
 以前、デュランダルは言っていた。

『この地域一帯の中に、四人の【指定有害人種】の存在が確認されている』

 クラウ=ソラスもその中に含まれると確定しているので、リオグランテ、アニス、
 ハイトを加えると、これだけで四人。
 だが実際には、他にもトリシュ、ファオ=リレー、更にはトライデントと、
 同様の性質を持つと思しき人間が何人もいる。
 単に全員が確認されていた訳ではなかっただけ、と言えばそれまでだが――――
「ハル!」
 どうにも腑に落ちない気持ちは瞬時に切り捨て、フェイルは相棒の名を叫ぶ。
 このままでは勝機はない。
 何しろ動きを視認出来ない相手。
 先程は運良く回避出来たが、そう上手くいく方法ではない。
 なら――――上手くいく方法を実行するのみ。
 フェイルはこの戦いに時間を掛けるつもりはなかった。
 時間をかけられるほど、冷静でい続けられる自信もなかった。
 確実に、この危機を乗り越える。
 その為には、失う事には躊躇はしない。
 決意をした、というのは、そういう事だ。
 着地後直ぐに身体を反転させたフェイルは、右手に持つ弓【ユヌシュエットアルク】を掲げる。
 刹那、反転した事で本来視界に収まるべき場所にいたリオグランテがまた"消える"。
 確率は二分の一。
 ハルへの攻撃か――――自分か。
 自分に来いと、そうフェイルは願った。
 同時に、やや場違いながら、良かったとも思った。
 ここにファルシオンとフランベルジュを連れて来なくて本当に良かった、と。
 これ以上、彼女達の心をグシャグシャにするのは耐えられない。
 その願いを叶えるには、ここで自分が止めるしかない。
 こうなってしまったリオグランテを――――仕留めるしかない。
「……っ!」
 リオグランテは、フェイルの背後に回っていた。
 一体どんな身体能力をしていたら、そんな動きが出来るのか。
 全く理解不能な所からの攻撃は、先程と同じ、右手で肉を抉るという原始的なもの。
 この攻撃手段一つをとっても、今のリオグランテにまともな意識があるようには到底思えない。
 人間としての理性、知性はもうないのかも知れない。
 なら、確実に上手くいく。
 フェイルは急所を――――首を抉られた。
 それと全く同時に――――ほんの一瞬の差もなく同時に――――その攻撃の為に右腕を
 振り切ったばかりのリオグランテの頭部を、弓本体と弦の間、弦の内側に通す。
 攻撃を受けた角度から、ここにリオグランテの頭があるという一瞬の判断。
 攻撃されるのを前提に、いわば相打ちの形で、フェイルはリオグランテの頭部を捉えた。
 このまま全力で右腕を振れば、弓弦がリオグランテの首にめり込む。
 弓弦で首の骨を折る事は出来ないが、頸動脈を深く傷付けるのは十分可能。
 致命傷だ。
 弓による隣接攻撃を訓練したフェイルが行き着いた、最も殺傷力が高く、
 そして最も惨たらしい攻撃。
「ぅ……おおおおおおおおああああああああっ!」
 悲鳴よりも悲痛な声が、メトロ・ノーム内に響き渡った。






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