『あのー……わわっ!? うわわわわわーーーーっ!?』

 初対面の瞬間は、余りにも滑稽だった。
 入店と同時に転倒、そして店内の蹂躙。
 陳列していた様々な物を台無しにされた時の絶望感は、今も鮮烈に覚えている。
 細身で小柄な少年。
 表情は忙しなく動き、その大半は年齢相応のあどけなさを含んだものだった。
 何処か小動物のような愛らしさと、常に何かに怯えている不安とが入り交じり
 "勇者候補"という肩書きの割には、ちょっと頼りない。

『フェイルさん、大丈夫です。僕が必ず死守します……勇者の名に賭けて』

 けれども心優しく、一人の人間としては付き合いやすい、好感の持てる子供だった。
 何より、その正義感の強さ、そして未熟ながらも時折覘かせる大器の片鱗は、
 紛れもなく勇者像に一致するものだった。

『大丈夫ですよ。フランさんと今の僕は、違いますから』
『大丈夫です! だって、昨日は簡単な試合でしたから』

 しかしその無垢な光は、少しずつ陰りを見せた。
 当初フェイルは戸惑いの中で、それがエル・バタラを勝ち進んだ事による
 慢心だと解した。
 純粋だからこそ、自分の中に芽生えた感情に素直だったんだろうと。
 実際、異常な速度で上達していくその姿は、第三者の目から見ても
 常人の才能とは違う、選ばれた存在に映った。
 増長するのはある意味当然だと。

『もしかして……僕ってやっぱり何か、おかしな事になってます?』

 だが――――今にして思えば、単なる慢心ではなかったと断言出来る。
 リオの身体には通常の人間には起こり得ない変化が起こっていた。
 なら、その変化が人格にまで浸食していても、何ら不思議じゃない。
 急激な変化ではなく、ゆっくりと、しかし確実に進行していたそれは、
 破滅。
 あの幼稚さすら漂っていた笑顔の裏には、彼の、彼なりの――――
 リオグランテなりの、苦しみを覆い隠す手段だったのかもしれない。

「……」

 けれど今の彼は、何も隠してはいない。
 一目見ただけで現状が手に取るようにわかる。

 最早――――あの頃には戻れないのだと。

 目の前に姿を見せたその少年の全身を注視しつつ、フェイルはそんな思いを
 頭の中の深い部分へ必死で追いやり、感情を封じ込めた。
 そうしなければ、今にも挫けてしまいそうだった。
「おい、フェイル! あいつ……あの"勇者候補のあいつ"で間違いねーよな……?」
 リオグランテから見て、フェイルより後方に位置しているハルが
 困惑しながら訊ねてくる。
 ハルとリオグランテは何度か顔を合わせた仲。
 服装は、勇者候補としてフェイルと行動を共にしていた頃とは異なり、
 エル・バタラ決勝の舞台で身につけていた白の外衣の上下および
 濃い茶色の革鎧という格好で、髪も相当乱れているものの、
 見間違える程の記憶との差異はなく、半ば確信している様子だった。
 当然、リオグランテとフェイルの関係も知っている為、リオグランテが
 フェイルを襲撃した事実へ困惑するのは自然な事。
 だが、ハルの困惑はその事への驚きとは一線を画すものだった。
 裏切りへの驚愕ではなく、もっと遥かに大きな、人間の根本を覆す何かに
 狼狽しているような――――そんな声だ。
「うん。間違いない。彼はリオだ。本来ならもう……この世にはいない筈の」
 そのわかり易い反応に、フェイルは直ぐハルがその事実を知っていると理解した。
 リオグランテの死を中々受け入れられずにいた事もあり、フェイルは
 その死を勇者一向以外の人間に話した事はない。
 けれども――――
「……話はラディから聞いてる。こっちもなんつーか、言い出し難くてな」
 ラディアンス=ルマーニュがその情報を持っていたのは、
 彼女の去り際、彼女自身の口からフェイルも聞いていた。
 エル・バタラという大きな大会の決勝を経て、希望に満ちた勇者候補に訪れた悲劇的な結末。
 それを知るのは、情報屋にとって容易だったのだろう。
「ハル。詳しく説明してる暇はない。恐らくリオは……もう以前のリオじゃない。
 理性が残っているかどうかもわからない」

 実は死んではおらず、何らかの方法で一命を取り留め、何らかの理由で別行動をしていた。
 何らかの事情で死んだ振りをして、暫く身を隠していた。
 実際に死んでいたが奇跡の力で蘇り、ここへ駆けつけた。

 ――――そんな楽観的な空想に身を委ねられたら、どれほど幸せだろうか。

 けれども、現実は常に気難しい。
 これまでの経緯、様々な人から得た情報、リオと同種の人間の言動――――
 フェイルはリオが普通の死人として葬られている訳ではないと、既に知っていた。
 知らなければ、ほんの一時でも夢を見られたかもしれない。
 でもその夢は泡沫。
 しかも猛毒だ。
 今のリオグランテは――――
「僕を襲ってきた以上、敵と見なして蹴散らすしかない。甘い考えは死を招くだけだ」
「……! お前、それは……」
 ハルが思わず絶句してしまう程、フェイルの答えは無情だった。
 ハルの方から、フェイルの表情は見えない。
 冷酷な人間だと呆れられても仕方のない言葉だ。
「……わかったよ。お前がそう言うなら、そうしようじゃねーか」
 けれども、ハルは迷わず剣を構えた。
「ったく、『お前には奴は倒せねー。仲間なんだろ? 俺に任せな』くらい言わせろっつーんだよ。
 今度は馬鹿みてーに冷静になり過ぎやがって」
 そして、フェイルにも聞こえない小声で独りごちる。
 フェイルが先にああ言った以上、単身での戦いを申し出る事は出来なくなった。

 何故なら――――それは無謀だからだ。

「!」

 刹那。
 為す術なく後方へ"吹き飛ぶ"ハル。
 構えていた剣こそ離さなかったが、一瞬の出来事――――顔面への殴打に対する反応としては
 それが精一杯だった。
 ハルがその寸前まで何を考えていたか、フェイルもまた理解していた。
 もし、仮にハルが自分一人で戦うと申し出ても、フェイルは即答で断るつもりだった。
 ハル一人では勝てない。
 フェイル一人でも勝てない。
 二人がかりでも――――わからない。
 そういう相手だと、そういう"敵"だという認識が、申し合わせる必要なく共有されていた。
 元々リオグランテの身体能力には舌を巻いていたハル。
 彼の才能に関しては特別なモノを感じていた。
 けれど、今目の前にいる、剣を手放し無手となったリオグランテからは、気配の代わりに
 底の見えない"不気味さ"が漂っている。
 見るだけで不安を煽り、恐怖を植え付ける、そんな異様な不気味さ。
 強さや手強さとは次元が違う、得体の知れない"臭気"のようなものを感じる。
 ――――本来、この状況でフェイルがすべきなのは、声掛けの筈だった。
 死んだと思っていた仲間が目の前に現れるという経験をする人間は極めて稀だが、
 その稀な状況に遭遇した場合、まず間違いなく
『無事だったのか』『生きていて良かった』『一体何があった』
 といった声を掛けるのが当然すべき行動だ。
 けれど、フェイルにはそれが出来なかった。
 もしそんな仲間意識を見せれば――――気を緩めれば――――瞬時に首を落とされる。
 眼前のリオグランテは、それ程の脅威と狂気を宿した眼差しをフェイルへ向けていた。






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