視認は出来ない。
 だが、目の前の柱に"それ"はいる筈。
 そう予測した上での速度重視の攻撃にも拘わらず、
 フェイルの射た矢は完璧な精度で狙った箇所へと飛ぶ。
 けれど――――それは敵を捉えるには至らず、柱に弾かれた。
「気配全然ねーぞ! 何処にいやがる!?」
 明らかに戸惑った様子で叫ぶハルの言葉の通り、攻撃を仕掛けて来た今ですら、フェイル達の
 周囲に人の気配は全くない。
 一瞬ヴァールの存在を想起するも、その案は即座に切り捨てる。
 彼女が今更フェイルを不意打ちする理由などない。
 ならば、他にここまで完全に気配断ちが出来る存在は―――― 
「指定有害人種かもしれない。ハル、気配の察知は諦めよう」
「マジかよ。ったく、これじゃ何の為の日和見作戦だったんだか。結局戦うハメになんのかよ」
 自虐しつつも、ハルの集中力はみるみる研ぎ澄まされていく。
 気配で察知出来ないのなら、目で追うしかない。
 視認し、そこからどう動くかの判断までは、精神の鋭敏さが物を言う。
 フェイルもまた、自身を戦闘用の精神状態へ誘っていた。
 指定有害人種という仮定が正鵠を射ていれば、ますます敵がトライデントの可能性は高まる。
 とはいえ、もし彼なら先程の攻撃にはどうしても疑問が残る。
 魔術ではなく、実存する武器での攻撃という感触だった。
 まさかトライデントが槍を投げつけてくるとは思えない。
 あの光る柱の前で見せた、指定有害人種特有の"膨張した右腕"もあり得ない。
 明らかに"何か"を投げていたのだから。
 だがその思索も次第に戦闘意識へと塗り潰されていく。
 敵の正体を知るのは重要だが、手がかりの少ない中での思案は集中の欠如に繋がるのみ。
 それより、敵の位置を探る方が遥かに大事だ。
 攻撃の直後、その場から離れた敵の次なる行動は、予測が付かない。
 既にここで何者かと一戦交えた直後と思われる為、逃げた可能性もある。
 早くこの場から立ち去ろうとしていたその時にフェイル達が駆けつけた為、逃げられず身を潜め、
 不意打ちで混乱させその隙に逃げ出す算段をしていた――――という可能性もある。
 だがそれは楽観的な見解に過ぎず、攻撃性を維持し柱のどれかに身を隠している事も
 十分に考えられる。
 この状況では、敵が何者なのかといった思索は邪念でしかない。
 相手が誰であろろうと、降りかかる火の粉は払わなければならない。
 その決意をもって、フェイルの中から雑念が消えた。
 残ったのは、反応による状況処理能力のみ。
 あらゆる敵の攻撃へ、自身の身につけてある技術と闘争心をもって対処する。
 本来在る筈の激痛も、全く感じないまま――――
「っ……後ろだ!」
 そのハルの声より一瞬早く、フェイルは身体を沈めていた。
 沈めながら身を捩り、弓で背後の空間を薙ぐ。
 "攻"と"防"を一体化したその動きに淀みはない。
 だが敵を仕留めるには及ばず、弓は空を切る。
 敵の姿も視認出来ず、直ぐに消え失せてしまった為、状況は変わらないまま。
「光る柱に逃げ込んでやがるのか? にしたって俊敏過ぎるだろ……」
 そう吐き捨てたハルの見解は恐らく正しい。
 けれどもフェイルは共感の言葉は紡がず、次の攻撃に備えていた。
 生半可な相手ではない事は、既に確実。
 一つの間違いも許されない。
 フェイルとハル、二人の集中力による緊張感は、その場の空気を極限まで張り詰めさせていた。
 或いは、その空気が圧力となったのか――――"それ"は三度動いた。
 だが三度目の襲撃は、今までと比べ精彩を欠いた。
 微かなもたつきがあった。
 だから視界の端で、フェイルはその動きを事前に察する事が出来た。
 負傷した左側頭部を狙うかのように、左側から急速接近してきた"それ"に対し、
 フェイルは右手に持っていた弓――――ではなく、左腕の肘を突き出し対処を試みる。
 その肘も当たらない。
 が――――最初から当てる気もなかった。
 左肘を突き出すのと同時に、その勢いを利用し身体を反転させ、敵を視界に入れる。
 それが目的だった。
 こちらへ向かって突っ込んでくるのだから、回避するとすれば――――下。
 フェイルは、"それ"が屈んで避けた瞬間を見逃さなかった。
 人間。
 少なくとも人の形をしたモノ。
 体型は――――トライデントのそれではない。
 得られた情報は、それだけだった。
 凄まじい速度でフェイルの足下をすり抜け、再度視界から消えていく。
 明らかに人の域を超えた速度だ。
「……?」
 不意に、フェイルの目に地面に横たわる"何か"が映る。
 視界を下げた事で偶然映り込んだ。
 少し離れた場所にあったそれは、先程左側頭部に攻撃を受けた武器。
 その正体は――――剣だった。
 短剣ではなく、剣による投擲。
 通常あり得ないその戦術に、フェイルは覚えがあった。

 薬草店【ノート】の中庭。

 "その人物"との戦いは、フェイルの方から望んだ。
 その戦いの二日前、"彼"はケープレル=トゥーレに襲撃されたらしいが、
 今となっては襲撃の理由も理解出来る。
 ケープレルは人間ではなく、魔術だった。
 そしてその魔術を使用したであろう人物――――ヴァールとの戦いの際にも、
 突如として剣が飛んできた。
 最初はフランベルジュがそれをしたのかと思い問いかけたが、違っていた。
 そもそも、幾ら追い詰められようと、彼女に剣を投げるという選択肢はないだろう。
 投擲用のナイフでもない限り、剣を投げるという発想は通常、剣士はしない。
 彼らにとって、愛剣を手放すほど不安になる事はないのだから。
 それでも、そんな攻撃をするのは、相当な変わり者か"天才"。
 常人の枠に囚われず、無形の発想で戦闘を行う、そんな人間だ。
 フェイルの身の回りに、一人だけ該当者がいた。
「あの時のあの剣は、やっぱりそうか。やっぱり……僕を助けた訳じゃなかったんだね」
 ヴァールとの戦闘の勝敗を左右した、飛来してきた剣の正体。
 それは『敵意』だった。
 その判明と同時に、フェイルは絶望にも似た重く暗い感情の去来を自覚し、
 胸を左手で鷲掴みにした。
 そうしなければ、耐えられそうになかった。
「フェイル、おい。傷が痛むんなら……」
「大丈夫だよ。僕は大丈夫」
 心配するハルをそう制し、この場にいる、しかし姿の見えない相手に対し、
 フェイルは決して大きくない声で呼びかける。
「理由は問わない。今の"君"の現状も問わない。きっとそれをしても、得るのは
 死にたくなるほどの悲しみだけだ。だから――――」
 それが精一杯だった。
「僕を殺したいのなら、決着を付けたいのなら、出て来い」
 その絞り出すような声に対する反応は、鈍かった。
 葛藤とは思えず、フェイルは顔をしかめ歯を食いしばる。
 最初の不意打ちで負った怪我が、ここに来て痛み出した。
 左目の瞼も腫れ、視界が奪われている。
 集中力の欠如は明らかだったが、それを改善する余裕は、今のフェイルにはなかった。

「おい。嘘だろ……」

 初めて"それ"の足音が聞こえた刹那、ハルが悲壮な顔でそう呟く。
 嘘ではなかった。
 いや――――深い所では、その存在は"嘘"なのかもしれなかった。

「……リオ」

 かつて勇者候補と呼ばれていた少年が、光る柱を背に佇んでいた。





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