トライデント=レキュールという人物とフェイルとの接点は、線になるほど
 長くはなかった。
 ごく僅かな期間、明確な敵として認識し倒す為の訓練をしただけ。
 とはいえ――――フェイルの人生の中で、倒すべき相手だと認識した人物自体
 ごく僅かしかいないのだから、特別である事は否定し難い。
 事実、このメトロ・ノームで以前再会した時には、奇妙な感覚に囚われて
 平常心ではなくなってしまった。
 そしてまた、その名前が再び現れた。
「いつ頃からこのメトロ・ノームに来たのかは知らねーが、お前が追ってる
 スティレットの仲間なのは間違いねー。土賊かどうかは兎も角な」
 酒瓶が多く転がる部屋を出て、ハルは急ぎ足で酒場の階段を降りながら
 そう捲し立てる。
 その言葉にはかなりの信憑性があると、フェイルは感じていた。
 トライデントがスティレット側の人間なのは、あの光る柱の前に
 彼女やビューグラスと共にいた時点で確定的だし、トライデント自身
 フェイル達に容赦なく攻撃を仕掛けてきた。
 ただ、その一方で諜報ギルド【ウエスト】施設内で再び遭遇した際には、
 友好的とまでは言えないものの、敵対するような素振りは一切なかった。
 メトロ・ノームで再会した時もそうだ。
 スティレット達と一緒にいた時だけ、別人のような攻撃性を見せてきた。
 しかも、あの時にトライデントが見せた攻撃には、指定有害人種を連想させる
 生物兵器の影響下にあると思しき身体変化――――右腕の膨張が確認された。
 彼が何を目的とし、スティレットの仲間、或いは部下となっているのか。
 それも非常に重要な情報だ。
 戦闘に巻き込まれるリスクを背負ってでも、また先程の破壊音が
 トライデントによるものであるという保証がなくとも、確かめに行く価値はある。
 そう判断し、フェイルは一足早く部屋を出て、酒場から外へ向かおうと歩を進めていた。
 そのフェイルの真後ろを、ハルが追いかける。
「ったく……フェイルよう、お前は大人しそうな顔と話し方の割に意外とイケイケな性格だよなー。
 薬草店でも訳わかんねーアイテム作ってたしよ」
「あれは黒歴史だから触れないで」
「なら、弓はどうなんだ?」
 軽口を叩き合いながらも変わらず進んでいたフェイルの足が一瞬、止まる。
「詳しい事は聞いてねーし知らねーけどよ、弓使いが一対一、それも接近戦で闘うなんざ
 まともな神経してたらとてもやろうとは思わねーよ。俺が剣を投げて闘うようなモンだ。
 そういう発想をしたとしても、実戦で使える水準にまで引き上げるってのは考えられねー。
 お前にはそういう、なんつーか、貫通力みてーな意思の力がある」
「……」
「だからこそ、今もこうして戦場に首突っ込むのに躊躇がねーんだろうけどよ、
 危ねーぜ。それがいつでも上手くいくとは限らねー」
 ハルは――――フェイルを止めようとしていた。
 ただし強引にではなく、言葉で。
「昔……っつーほど昔でもねーけどよ、俺がデ・ラ・ペーニャにいた頃、同じように
 ドンドン自分の目的に向かって進もうとする奴がいたよ。研究者の癖して、
 命を賭けて戦うのに躊躇がない。そいつはお前と違って口は悪かったし年上敬わねーし、
 ロクなモンじゃなかったけどな、お前と同じで貫通力がある奴だった。
 でもな……どうしてもお前とは重ならねーんだ」
「それはそうだよ。その人は僕じゃないんだから」
 とっさにそう返した瞬間、フェイルは自覚した。
 頭に血が上っている自分を。
 一体何時から?
 切羽詰まっている事は既に把握していた。
 でもその上で、それでも急がなければならないという状況判断の下、
 多少強引にでもスティレットと――――ビューグラスと対峙しようという意思の中で
 ここ数日は動いていた。
 特に昨日今日に関しては。
 焦りはあるが、それを自覚するだけの冷静さもちゃんと残してある。
 そう思っていた。
 けれど、そうじゃなかった。
 何故、ハルがここで自棄酒をしていたのか――――それを全く考えようとしていない時点で
 既に冷静ではなかった。
 メトロ・ノームが戦場と化しているのは、ハルも十二分に把握している。
 なのに、幾ら父親に剣を奪われたとはいえ、浴びるほど酒を飲むなどあり得ない。
 ハルはそこまで馬鹿な人間ではない。
「そうかもしれねー。でも俺の見解はちーと違う。あいつは目的地に向かって闇雲に走ってた。
 お前は、捨て鉢ってほどじゃねーが……何処かで"もう歩いちまってる"。違うか?」
 心臓を抉られるような感覚――――ハルの言葉には、そんな鋭利さがあった。
 決して攻撃的な物言いではなく、諭すように抉ってくる。
 そういう事が出来る人間は少ない。
「……ズルいな。それ、僕の急所だよ」
 幾分か、フェイルは真の意味での冷静さを取り戻しつつあった。
 ハルはこう言っている。
 最初に描いた目的を追い続けている人間は、強靱な意志という光の中にいる。
 それは人間の能力を限界以上に引き出す、希望の光だ。
 けれど一度"折れた"人間は、光の外へ強制退場させられる。
 光の当たらない中で、それでも何かを成そうとするなら、能力の範囲内で動かなければならない。
 フェイル自身、痛いほどわかっている事。
 だからこそ、自分より強い相手と戦う時には、自分を限界以上に高めるのではなく、
 相手の能力を最大限に発揮させないようにしなければならないと自覚していた。
 それなのに、フェイルは今、戦闘状況を全く考慮せずに向かおうとしていた。
 今の状態で出て行けば、情報を得るどころか命を落とすだろう。
「別に今無理して戦う必要はねーだろ? 戦闘が一段落してから、会うべき相手に会いに行きゃ良い。
 このメトロ・ノームで隠れられる場所はここか柱の中か施療院くれーだ。
 そんで、柱の殆どは未だに封印されたまま。死ぬ覚悟で戦闘の最中に飛び込まなくても、
 戦いが終わって疲弊してるところを抑えりゃいい。どうだ? 俺のこのクレバーな判断。
 決して魔崩剣が使えねーから魔術士が戦ってるトコに行きたくない一心でこんな事
 言ってるんじゃあねーぜ?」
 最後の方に本音が見え隠れしたものの、確かにハルは冷静だった。
 酒を適度な量飲んでいたのも、逸る気持ちを抑える為。
 飲めば戦えない。
 戦えない自分を作り、泥酔してはいけないという自制心を半ば無理矢理作っていた。
 そうする事で、抑止力としていた。
 ハルもまた、決して冷静ではなかったのだろう。
「なんかハルってさ、いつも僕と二人の時だけ妙にちゃんとしてるよね。普段はダメ人間っぽいのに」
「そりゃ、お前が頼りねーからだよ。精進しろや、小僧」
 フェイルの後頭部をコツンと拳で叩き、ハルが前に出る。
 既にフェイルの足は、酒場の入り口の手前で完全に止まっていた。
 ここなら、音や気配で戦闘の終了を察知出来る。
「……そうだね。あと一回、あと一回りだけ、強くなりたい」
 今更技術や身体能力が向上する余地はないし、仮にあっても鍛える時間がない。
 なら、せめて心だけでも――――全盛期を迎えたい。
 それは切実な願いであり、同時に壊れた夢の破片でもあった。

 その五分後――――メトロ・ノーム内の戦闘は一旦鎮静化した。







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