つい先日まで"剣聖"の称号を背負っていた人物。
 そして何より、その称号に関係なく国家の為、国民の為、
 エチェベリアという存在の為に剣を鍛え、血で染めてきた男――――
 それがフェイルの知る、そして全国民が知るガラディーン=ヴォルスという
 唯一無二の英雄だった。
 その一方で、人柄は至って温厚。
 王族への忠誠も厚く、簡単に他人を裏切ったり寝返ったりする性格ではない。
 寧ろそのような人間とは真逆に位置する――――そういう清廉さを持っている筈だった。
「その噂が流れてきたのは、もう二年くらい前になるか。俺は当時隣の国……
 魔術国家デ・ラ・ペーニャで悠々自適に傭兵稼業を営んでてな。
 そこで偶々耳にしたって訳だ。親父が、デ・ラ・ペーニャで悪事を働いていた
 教会の元幹部と接触してるってな」
「教会って、当然あのアランテス教会だよね?」
 ハルは乱れた髪を無造作に整えながら、大きく頷く。
 世に数多の魔術士を輩出し、デ・ラ・ペーニャだけでなく世界各国に
 その勢力を拡大し続けているアランテス教会。
 このエチェベリアにも主要都市全てに教会堂を設けている。
 魔術国家デ・ラ・ペーニャにおける政権を担う存在でもある為、
 外交使節団としての役割も持つその教会の幹部と、エチェベリアが誇る
 王宮騎士団【銀朱】師団長のガラディーンが単独で接触する事の意味は余りに大きい。
 その行為だけで反逆罪を疑われても仕方がない程。
 とはいえ、噂は噂。
 まして剣聖のような特別な称号を持つ人物について根も葉もない噂が立てられる事など
 如何なる時代であっても珍しくない。
「ま、当然ガセだろうとは思ったさ。だから、噂の出所を探って潰してやろうと思ってな。
 俺にとっちゃ、ガキの頃は顔すら見てないような父親で、親って感覚も特にないんだが、
 母親にとっちゃ誇りだったみてーだからよ」
 遠い目をして語るハルの感情を、フェイルは掴みかねた。
 複雑な家庭事情、孤独な幼少期を過ごしたのはフェイルも同じ。
 父親が権威者というのも類似している。
 それでも、ハルが親に対しどんな思いを抱いているのかは"わからない"。
 それだけ繊細で厄介な問題だ。
 だからフェイルはそれ以上込み入った事情を聞く事は出来なかった。
「けど、どうにも調べていく内にキナ臭い情報が幾つも出て来てな。
 逆に不自然に思った訳よ。エチェベリアを代表する剣士の負の情報が、
 こんな簡単に漏洩する訳ねーってな」
「確かに妙だね。まして外国でっていうのも」
 国内なら、現王制に不満を持つ勢力がその手の悪評を振りまくのは寧ろ常套手段だが、
 国外にまで流れる事などまずない。
 その前に情報規正されるのが常だ。
「結論から言えば、親父は梯子を外されたんだ。だから悪評を規正する情報管理機関が
 動かなかった。寧ろ、傍観する事で親父の求心力を削ごうとしてやがったんだ」
「……王族が剣聖の求心力を嫌った、って事?」
 恨みを買うような人物ではなく、まして進んで国家を裏切る筈もないガラディーンを
 貶める必要があるとすれば、それ以外考えられない。
 フェイルのその推論に対し、ハルは肯定も否定もせず虚空を睨むように眼球を固定したまま
 沈黙を守った。
「でも、それなら引退勧告をすれば良かったんじゃ……? 王族にはその権限があるし、
 怪我や病気を理由にすれば国民の納得も得られるよね」
 噂が流れたのは二年前。
 既に次期剣聖候補として、デュランダルが盤石の地位を固めていた時期だ。
 ガラディーンなら多少の不満があったとしても、決して表面に出さず受理し、
 デュランダルにその地位を譲っただろう。
 ガラディーン――――当人は。
「そうか……派閥争いか」
 王宮は一枚岩ではない。
 僅かな期間ではあったが、王宮に限りなく近い職場にいたフェイルも、
 そんな空気は感じ取っていた。
 ガラディーンを貶めるのが、ガラディーン本人の名誉を傷付ける目的ではなく、
 彼の上に立つ人物――――例えば大臣や王族の中の一人であったとすれば、辻褄が合う。
「詳しい事は俺にもわからねー。王位継承は継承順第一位アルベロア王子で一本化されてるって
 話だから、継承問題じゃなさそうだが……これも怪しいもんだ。何にしても、親父は
 身内のゴタゴタに巻き込まれて、人格や実績に関係なく名誉をズタズタに傷付けられ続けてたって訳だ。
 もう反抗するしか道が残されてねーんだよ。俺はそのフザけた流れを、どうにか食い止めたかった」
「だから、エチェベリアに来たんだね」
「一応は故郷って事になるらしいからな。ガキの頃にここにいた記憶なんて微塵もねーが。
【ウォレス】に加入した理由は単純だ。【ウエスト】と裏では仲良しこよしって聞いたからな。
 傭兵が情報を集めるなら、最適な環境ってこった」
「……」
 ハルの発言は、ギルドの常識を根底から覆すものだった。
 傭兵ギルドと諜報ギルドが友好関係にある――――それは通常あり得ない事だ。
 そもそも、諜報ギルドが特定の集団と懇意にする事自体が不可解。
 もしそうなれば公平性を著しく欠き、情報を扱う組織としての信用が失墜するのだから
 自殺行為に他ならない。
 表向きには中立の立場でありながら、裏ではその限りではない――――
 そんな組織は山ほどあるが、諜報ギルドがそれをするのはリスクが大きすぎる。
 仮に自分達が秘密を遵守しても、相手が誰かに漏らせば終わり。
 事実、こうして元ウォレス所属のハルがフェイルへ漏らしている。
 こういう事は往々にしてあり得るのだから、どれだけ上手くやろうとしても
 関係の機密性を完全に保つのは不可能だ。
 けれども、フェイルは特に驚きを覚える事はしなかった。
【ウォレス】には、【ウエスト】の支隊長であるトリシュ=ラブラドールが所属していた。
 通常の傭兵ギルドと諜報ギルドの関係とは一線を画していると強く示唆する事実だ。
 常識では計り知れない、歪な関係性が、このヴァレロンには渦巻いている。
「ま、結局ムダになっちまったがな。親父はもう――――」
 いつの間にか、顔の赤みも取れすっかり素面になったハルが歯痒そうな顔で瞑目した
 その刹那。
 何かが爆発したと思しき轟音が遠方で鳴り響くのを、フェイル達の聴覚が感知した。







  前へ                                                             次へ