例えるならそれは――――神々の黄昏。
 余りに醜い地上の争いに辟易した神が落とした怒りの雷。
 天から降り注ぐ無数の閃光に人々は為す術なく滅び、
 残ったのは静寂と闇――――といった光景が、フェイルの頭には
 恐怖とはまるで違う感情を添えて浮かび上がっていた。
 その一方で、夥しい数の柱が光るその景色は幻想的かつ神秘的で、
 思わず見入ってしまう、或いは魅入られてしまうような中毒性も有している。
 まるでここが現実とは異なる別の世界であるかのような錯覚も抱かせる。
 もしあの世へと魂が運ばれたなら、こんな場所に辿り着くのではないかと
 思わせるだけの、ある種の希望さえ灯されていた。
「……」
 そしてその"希望"が、フェイルに平常心を取り戻させるきっかけになった。
 ある意味で、自分は今、地獄に足を踏み入れたようなもの――――
 そう思い出したからだ。
 ここはもう戦場。
 つい先日までとは違い、現在ではアルマが封印していた物を奪い合う、
 そしてデュランダルという"死刑執行人"がいよいよ本格的に狩りを始めている
 血生臭い空間になっている可能性が極めて高い。
 その戦場でフェイルはこれから何をすべきか、改めて頭の中を整理し始めた。
 最優先ですべき事は、標的であるスティレットの捕捉。
 彼女が何処にいるかを一刻も早く把握しなければならない。
 その上で、彼女の真意を探る。
 スティレット本人にそれを問い質す選択肢もあるが、より真相に近づく為には
 当人以外から話を聞くべきだ。
 スティレットの目的を知っている人物――――それはやはり、花葬計画・二を
 共に推し進めているビューグラスが妥当だ。
 問題は――――心。
 ビューグラスと対峙し、果たして平常心でいられるかどうか。
 彼を実の父親だと知った時も、久々の再会を果たした時も、フェイルは
 大きな動揺を自覚していた。
 まして今や、己の目的、己の娘の為に殺人鬼と化していると断定せざるを得ない相手。
 これまでより遥かに揺れ動くであろう自分の心を制御する自信が、フェイルにはなかった。
 とはいえ――――
「……時間もない、か」
 言葉には出すつもりもなく、だが頭の中でだけ響かせるつもりもない、曖昧模糊とした声。
 その声が指し示すように、フェイルの視界は明らかに機能的な問題でぼやけていた。
 一度や二度ではない。
 視力の低下とは一線を画すその現象は、刻一刻と迫り来る"目の寿命"をフェイルへ
 押しつけがましいほどに伝えてくる。
 覚悟はしている。
 この事については、ビューグラスとの対峙とは逆で、既にフェイルの中で消化しきれていた。
 ただ、目の寿命が来てしまっては、スティレットを、そしてビューグラスを止める事は
 叶わなくなる。
「……よし」
 目的地を決めた瞬間、皮肉にも視界は普段の明度に戻った。

 


 情報を集める上で利用する施設と言えば、やはりそれは酒場が最も一般的だ。
 それは、居住する人間が極めて少ないこのメトロ・ノームにおいても例外ではない。
 酒場【ヴァン】は地下街という特殊な空間においても、通常の酒場と同じように
 戦士達の溜まり場として、また情報収集の場として機能している――――筈だった。
 けれど、フェイルが訪れたこの日の【ヴァン】には、今まであったその機能が完全に欠落していた。
 マスターがいない。
 他の酒場ならいざ知らず、店員が彼一人しかいないこの酒場において、マスターの不在は
 特殊な状況といわざるを得ない。
 特に店を閉めている様子もなく、自由に出入りが出来るにもかかわらず。
 そして、それ以上に異様なのは、中の様子だった。
 テーブルの一部と椅子が数個、破壊されている。
 これはかなり中途半端な状況だ。
 何者かが酒場に押し入り、あの『土賊』のように一暴れしたのなら、この程度の破損では済まない。
 かといって、何事もないと言う訳にもいかない。
 単にマスターが誤って転倒し、備品を破壊、予備もしくは修理道具を探しに奥の倉庫へ――――
 というだけなら特に不自然でもないのだが、現在この近辺にマスターの気配はない。
 そして、フェイルが最も不可解かつ不気味に感じていたのが、その"気配"に関してだ。
 人の気配は――――ある。
 ただそれはマスターのものではない。
 個人を特定出来るほどの気配察知能力を身につけている者は、斥候・暗殺の専門家であっても稀。
 フェイルも例外ではないが、極めて特徴的な気配を持つ人物の場合はその限りではない。 
 そして、酒場【ヴァン】のマスター、デュポール=マルブランクはその範疇に入る人物だ。
 通常の人間の四倍はある体積を持つ人物だけに、呼吸から身動き一つに至るまで、
 常人とはまるで違う。
 彼がいるのといないのとでは、この酒場の空気そのものが違うほどに。
 その異質な空気の中、マスターとは異なる何者かの気配が、今この酒場にはある。
 微かな物音も聞こえる。
 動物ではなく、人間の気配だ。
 状況的に敵の可能性は低いが、万が一という事もある。
 フェイルは深く呼吸をし、緊張感をまといつつ背負っていたユヌシュエットアルクを手に取った。
 まだ使い慣れていない弓。
 残念ながら、手に馴染むような感覚もない。
 相性が良い訳ではないようだ。
 けれど、業物である事に変わりはなく、現在のフェイルにとって唯一の相棒なのも動かしようがない。
 矢を使用するかどうかは、相手次第。
 出し惜しみ出来る相手じゃないのなら、惜しげもなく使う必要がある。
 物音は、かつてフェイルが寝泊まりした二階の部屋から聞こえていた。
 潜んでいる様子はないし、隠れようとする気配もない。
 敵である可能性はいよいよ低くなった。
 階段を上がったフェイルは、それでも集中力を切らさず、気配がする部屋の扉の真横に立った。
 誰かがいる。
 それは間違いない。
 問題は、誰か、というよりは、その誰かが一体ここで何をしているかだ。
「そこにいるのは誰だ! こんなところで何をしてるんだ!」
 扉越しにそう叫び、戦闘態勢を整えたフェイルに返ってきたのは――――
「うるせぇ畜生! テメェに俺の気持ちがわかってたまるかバカ野郎!
 父親に一服盛られた俺の気持ちがよぉ!」
 やたら聞き覚えのある声の、やたら投げやりな罵声だった。








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