以前訪れた際の諜報ギルド【ウエスト】は、まさに地獄絵図と言うべき様相を呈していた。
 多くのギルド員が遺体となって這いつくばり、その中にはソーテックの姿もあった。
 彼は支隊長代理であるデル=グランラインの右腕と思しき人間だったが、
 そんな人物さえもここで命を落としていた。
 彼は死の間際『感染する可能性も完全否定出来ない』と言っていた。
 そして、こうも言っていた。

『病では……ありません……強いて言えば……毒……いや……薬なのでしょうが』

 今、ヴァレロンが置かれている状況から考えて、ビューグラス達《花葬計画・二》の
 勢力の仕業なのは間違いない。
 ただ実行犯が誰だったのかは現状ではわからない。
 以前はバルムンクが襲撃したと断定したが、それはデルの『六十五点』の解釈次第で変わってくる。
 バルムンクが全く絡んでいない事はないにせよ、彼の襲撃ではなく、彼が"襲撃とは別の形で関与した"
 という事なのかもしれない。
 いずれにせよ、敵の勢力そのものはほぼ特定出来たとはいえ、勢力内の戦力は未だ不透明。
 ウエストに足を踏み入れたフェイルは、最大級の警戒をしながらメトロ・ノームへと続く倉庫へ
 向かっていた。
 本来なら、つい先日虐殺があったばかりの場所へ向かうのは気が進まなかったが、
 幾つもの出入り口が封鎖されているメトロ・ノームへ確実に入り込めるのは、封鎖が解除されていると
 確定しているこの場所のみ。
 それ以外の出入り口を片端から当たってみる、といった方法では時間が掛かり過ぎる。
 何より――――その他の出入り口がここより安全という保証もない。
 既にアルマもいないこの場所を再び《花葬計画・二》勢力が襲う可能性はほぼないと見ていい。
 それでも警戒は怠らず、神経を磨り減らしながら――――フェイルは無事に倉庫まで辿り着いた。
「ふぅ……」
 自覚は薄かったが、相当に気を張り詰めていたらしく、倉庫の扉を閉めた途端に
 無意識の溜息が落ちる。
 幾つもの修羅場を掻い潜って来たつもりでも、先日の地獄絵図は相当精神的に
 堪えていたようだった。
 現在は全ての遺体が外へ運ばれ、建物内に当時の名残はないが、それでも目を瞑れば
 直ぐに思い出せる。
 フェイルにとってその光景は、更に以前――――ウェズ=ブラウンが倒れていたあの日をも
 思い出させるものでもあった。
 倉庫内に人の気配はないし、ここに誰かが潜む理由もない。
 一旦休憩し、先程のトリシュについて考察する時間を作る事にした。
 彼女の目的に関しては、眠れなかった事もあり、昨晩既に考えていた。
 指定有害人種、若しくはそれに限りなく近いというトリシュの性質を考えた場合、
 彼女が欲するのはやはり『指定有害人種に関する資料』が妥当。
 より広義的には『人間に生物兵器を投与する技術』全般の資料だ。
 それがあれば、もしかしたら自分の中に埋め込まれた『人でなくしたモノ』を取り除けるかもしれない。
 若しくは、より強化出来るかもしれない。
 いずれにせよ、生物兵器に侵された人間は、生物兵器からは逃れられない。
 染まるか、色を落とす為に何度も擦るか。
 フェイルは前者を選んだが、それは選んだというより、他に選択肢がなかったからだ。
 トリシュは違う。
 フェイルより遥かに、生物兵器や指定有害人種に関する情報は持っているだろう。
 "人"に戻りたいにせよ、自身の能力をより高めたいにせよ、自分を侵すモノをより知りたいと
 思う欲求は必ずある筈。
 ならば、トリシュが言っていた"ある物"というのは、生物兵器の人体投与に関する
 資料を意味する――――
 とはまだ断定出来ないが、可能性はかなり高い。
 メトロ・ノームでは生物兵器の研究が行われていたし、《花葬計画・二》に関与しているスティレットが
 それを欲しがるのも必然。
《花葬計画・二》は、指定有害人種であるアニスを元に戻す為の計画なのだから。
 だとしたら、トリシュがフェイルにやって欲しい事は、その資料をメトロ・ノームで見つける事。
 その推察が可能だ。
 フェイルにはアニスという妹がいて、ビューグラスとは親子関係にある。
 その情報をトリシュが掴んでいれば、フェイルが生物兵器の人体投与に関する資料に
 強い関心を持つのは容易に想像出来る。
 ならばどうして、素直に『資料を探しているから見つけて欲しい。報酬は支払うし写本を渡しても良い』と
 言わなかったのか?
 その答えについてフェイルは、これまでのどの推察よりも強い自信を持っていた。
 トリシュはフェイルを信用していない。
 彼女にとって、『指定有害人種狩り』を行っているデュランダルは最大の天敵。
 そのデュランダルとフェイルの関係は、既に掴んでいる可能性大。
 直接依頼を出来る程の信用がないのは当然だ。
 しかも、彼女が敢えてウエストから離れ、単独で行動している事から、
 ウエストはデュランダルの配下にある――――という突飛な想像すら非現実的とは言い難い。
 デュランダルは今も、メトロ・ノームにいると思われる。
 トリシュにとって、そのメトロ・ノームで資料を探すのは危険な行為なのだろう。
 だから、フェイルが手に入れる可能性に賭け、助言をした。
 そう考えれば、辻褄は合う。
 トリシュは、アルマがメトロ・ノームから離れたことで封術が弱まっていると言っていた。
 それが事実なら、アルマの意思に関係なく封術が解除出来るかもしれない。

 もし、その封術が"ある物"――――人体への生物兵器投与に関する資料を封印しているとしたら?

 メトロ・ノームは今、封術の解除と資料の捜索で混沌としている事だろう。
 他の指定有害人種と見なされた面々や生物兵器を投与された連中も、資料を手に入れるべく
 群がっているかもしれない。
 当然、指定有害人種を狩ろうとしているデュランダルも活発に動くだろう。
 ただ、トリシュの仮説が正しいとはまだ断定出来ない。
 彼女はウエストで支隊長を務めていたほど情報に精通しているし、人格が壊れていてもその部分には
 何ら問題はないようだったが、アルマのような封術士が世界全体を見渡しても二人いるかどうかという
 極めて稀有な存在だろうと考えると、前例のほぼない規模の封術の性質に対し、そう容易に
 推測出来るものだろうか、という疑問が残る。
 ふと、フェイルは昨夜、アルマが『ファルシオンと二人で話したい事がある』と言っていた事を思い出した。
 魔術士であるファルシオンに、何か相談したかったのでは?
 そんな邪推が頭を掠めたが、それを確認する為に今更引き返すのは無理がある。
 そもそも、そんな事をすれば一人で出て来た意味がない。
 フランベルジュ辺りに見つかれば、自分も行くと言い出しかねないし、彼女がファルシオンのように
 聞き分け良く引いてくれるとは限らないのだから。
「……だよね」
 その様子を想像し、思わず笑みを零したフェイルは、精神的な消耗が回復したと判断し、腰を上げた。
 既に使い慣れしつつある、メトロ・ノームへ続く柱内部の梯子を円滑な所作で下降し、無事着地。
 再度メトロ・ノームへと足を踏み入れる。
「な……」
 その瞬間、絶句した。
 誰かがいた訳ではないし、自分の身に何かあった訳でもない。
 何かあったのはメトロ・ノームの方だった。
 この地下街と地上を繋ぐ無数の柱。
 その一本一本が――――暗闇の中、煌々と光輝いていた。








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