――――或いは取り立てて目的のない挑発かもしれない。
 フェイルの脳裏に掠めた警鐘の音がそう告げる。
 今、目の前にいるトリシュと初めて出会ったのは、傭兵ギルド【ウォレス】の
 アロンソ隊作戦室という名の部屋。
 隊長である筈のアロンソよりも、禍々しいほど圧倒的な存在感を放っていた。
 当時から、トリシュに対してのフェイルの印象は彼女によって制御されていた。
 彼女のトリッキーさは、演技ではない。
 ないが――――そうしていないだけで、抑えようと思えば抑えられる。
 今となっては、その可能性を考慮しない訳にはいかない。
 それは、先程スティレットの行動について話した際の引き締まった表情だけが理由ではない。
 これまでのトリシュの全体像がそう語っている。
 彼女は確かに奇矯な振る舞いを主としている。
 けれどもその挙動や発言を全て無視してみたらどうなるか?
 彼女は諜報ギルド【ウエスト】の支隊長でありながら、身分を隠して傭兵ギルドに加入し
 メトロ・ノームにまで足を運んでいる。

 例えば、もしその身分の隠匿が――――
『指定有害人種を淘汰しようとしているデュランダルから身を隠す為』
 ――――なのだとしたら?

 傭兵ギルド【ウォレス】への加入が――――
『同じ指定有害人種のクラウ=ソラスを調査する為』
 ――――であったら?

 その余りに奇奇怪怪とした言動に目を奪われ、これまで彼女を深く洞察する機会はなかった。
 だが身分が明らかになり、彼女の行動に一定の合理性が確認出来た今、
 壊れているのだからまともな事を言う訳がない、といった先入観は邪魔でしかない。
「正直、君がどの程度、諜報ギルド【ウエスト】の支隊長という立場を大事にしているのかは
 想像出来ないし、君自身の言葉も信用が出来ない」
「それはそうでしょう。トリシュ自身、自分で自分を自分とわからない事がよくありますからね。
 他人に信用される筋合いなどございあせん。ケケケ」
「……でも、君がもしスティレットさんも探してるという"ある物"を欲していたとしたら、
 メトロ・ノームに君が出没した意図が見える。それだけじゃない。君の行動には常に、
 何らかの意図があるように思える。今となっては、だけど」
 だとすれば――――こうして颯爽と現れ助言をした事についても、意図があると勘ぐるのが寧ろ自然。
 そう主張するフェイルに対し、トリシュは特に感情を波立たせる事なく、黙って話を聞いていた。
「だから敢えて僕は、君が全て気まぐれや奇行じゃなく、機能的、体系的観点から自分の
 明確な目的の為に動いていると仮定して、君の目的を推定してみようと思う」
「好きにしやがれですよ。そんなのトリシュ、知ったこっちゃねーですからね。勿論正解かどうかを
 教えるつもりもねーですよバカ野郎この野郎」
「だろうね。だから僕もいちいち言わない。ただ、君が何をしようとしているのかは――――大体わかった」
 真顔のフェイル。
 口元を歪ませ笑うトリシュ。
 二人の睨み合いは暫くの間続いたが、お互いの表情に微細な変化さえもなかった。
「……その上で、君が敵じゃないという事もわかった。フランベルジュを気に入ったって言葉も信じるよ。
 僕等の留守中に君が悪さをしない事も。ただし、君の思い通りに事を運ばせやしない」
 眼前のトリシュからこれ以上の情報を得る事は困難と判断し、フェイルが先に口を開く。
 これ以上会話を続ける理由はない。
 ただ、一つだけ確認しておくべき事はあった。
「勝手にしやがれです。ま、せいぜい頑張りやがれってなモンです」
「なら、僕達が頑張ってる間、君にはアルマさんの護衛を頑張って貰いたいんだけど。
 やるよね? "自分の為に"」
「さあて、どうでしょうか。ウケケケケケケケケケ」
 最後に高笑いを残し、トリシュは軽やかな足取りで離れて行く。
 薬草店【ノート】の方へ向けて。
 自分の店が暫く彼女の宿になるのを、フェイルは複雑な思いで黙認し、彼女の背中を見送った。
 彼女について得た確証は何一つない。
 アルマをそんな人物に任せるのは危険かもしれない。
 とはいえ、トリシュがアルマに何かをする意図があるのなら、それこそここに現れる必要などない。
 フェイルに黙って実行に移せば良いだけ。
 彼女には彼女の目的があり、少なくともアルマを危険に晒す行為は目的の中に含まれていない。
 そう判断するには十分過ぎる材料が揃っていた。
 ならば後ろはもう振り返らず、前を見据えなければ。
 フェイルの視線は、メトロ・ノームへと続く道――――諜報ギルド【ウエスト】のある方角へと向けられた。

 


「無様なものね♪ 我が弟ながらよくここまで恥ずかしい姿を晒せるものよン♪」
 その声は、バルムンクには遠くに聞こえた。
 だが声の主は直ぐ傍にいる。
 見えなくとも気配でわかる。
 バルムンクの視界は完全に閉ざされていたが、それでも気配を探る力は機能していた。
 戦士の性。
 他に表現しようのない、ある種の『藻掻き』だ。
「俺は……敗けたのか」
 記憶の断片に、剣の閃きがあった。
 それは最早、迅さと表現する事すら抵抗を覚えるほどの一閃。
 位置の関係上、自分に届く筈のない一撃が、バルムンクの意識を一瞬で奪い取った。
「ええ♪ 惨敗も惨敗、完全敗北ってヤツね♪ 国内最"悪"の剣士が相手じゃ仕方ないんじゃない?」
「……」
 端的に現実を突きつけられ、バルムンクは納得した。
 同時に、自分の人生の終焉も――――
「でも、死ぬのはダメ♪ そんなザマでも一応、アタシの弟なんだし。勝手に死なれちゃ困るのよン♪
 だって、実の弟が一対一で情けをかけられて敗北したままじゃ、カッコ悪すぎでしょ?」
「……何だと?」
「これは決してアタシの推測じゃなくてよン♪ アンタを斬った相手、アンタが標的じゃなかったみたいねん。
 だから――――手加減されたのよ」
 声は冷酷だった。
 その冷酷さは澄んだ水のように、深さを見せつけてくる。
 圧倒的な――――絶望という底を。
「情けをかけられたのよ、アンタ。だから絶命を免れた。殺す価値がなかったってワケよ。
 アタシの愛しい愛しい弟クンはね」
 その言葉は、常に強さを求め、常に己を高めてきた男にとって――――
「う……お……おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉォォォォォオオオオオオオオオオオオ!」
 バルムンクにとって、死刑宣告よりも遥かに非情だった。
「このままじゃ、死んでも死にきれないでしょン? だからアタシが助けてあげる。
 復讐の好機を与えてあげる。嬉しいでしょ? 偉大なお姉様を敬いなさい」
「や……止めろ! 俺を、俺をテメェと同じにすんじゃねぇ! 俺を……」
「足掻いてもムダ。さあ、アタシの"毒"を取り込みなさい。アタシから逃げて
 ギルドの長ごときに留まっていた――――不肖の弟」
「俺を"バケモノ"にするんじゃあねぇええええええええええええええええええええええ!」
 メトロ・ノームに響き渡る、断末魔の声。
 バルムンクにとってそれは、死の終わりを意味し、同時に――――生の終焉をも意味した。







  前へ                                                             次へ