経済学の権威であり、エチェベリアだけでなく世界の至る所で物流の管理・調整を行う
 流通の皇女――――スティレット=キュピリエ。
 商品の運送速度および商品を保管する倉庫の立地条件の重要性を説き、
 大陸鉄道に続く二次的な経済基盤施設の充実を掲げ、国家間の流通を格段に進歩させたと
 言われている人物だ。
 当然、流通の皇女が手腕を振るうのは販路の拡大と質の向上だけに留まらない。
 価格帯の安定。
 これも重要な役目だ。
 商品の価格は、その商品を欲しいと思う人間の延べ人数と商品の数で決まる。
 例えば、どんな毒でも治せる薬草があったとして、その薬草を欲しがる人間はどのくらいいるか、
 一人当たりの消費量はどれくらいか、その薬草の群生地は何処か、
 どれくらいの収穫量が見込めるか――――
 こういった情報をしっかりと収集し、この薬草が最も金を生み出す価格を設定する必要性がある。
 価格が安過ぎれば一人当たりの消費額が減り、高過ぎれば消費者そのものが減るからだ。
 かつては商人達が各々で価格を決めていたが、それは非常に非効率的。
 どんな商品についても適正価格を誤らない事が、経済活動の活性化に繋がる。
 ただし、それは容易な事ではない。
 当然、需要と供給は各国家、更には各地域によって異なってくる。
 毒を持つ動植物が多い地域では薬草の必要性は高くなるし、既に似たような薬が出回っている地域では
 大きな需要は見込めないだろう。
 その国の経済状況、個人資産の平均値も大きく関与してくる。
 よって、価格帯の安定を目指すには、世界全体の情勢を定期的に仕入れる為の情報網が必要となる。
 流通の皇女はその情報網を有していた。
 理由は誰も知らない。
 キュピリエ家が代々資産家だという記録はなく、諜報ギルドと懇意にしていたという話もない。
 彼女は一代で"流通の皇女"へと上り詰めたのだが、その過程を知る者はいない。
 例え肉親であっても。
 あらゆる情報に精通しているスティレットは、自身の情報を最大レベルで規制している為、
 関心を抱き調べようとしても無駄。
 何より、この世界の全ての商人がひれ伏すと言われるほどの影響力を持つ人物なので、
 その周辺は最早不可侵領域と化しているのが実情だ。
 わかってるのは、彼女が経済界における重要人物という点、既に死んでいる事。
 まだ人気のない早朝、ヴァレロン新市街地の大通りではなく脇道を歩きながら、
 フェイルは情報の整理を行っていた。
 それでも、ふとした瞬間に先程のファルシオンの姿が記憶に蘇ってくる。
 連れて行ってという訴えを断った時の、悲しげな顔。
 果たしてそんな顔をさせてしまってよかったのかという思いもあった。
 けれど、これは何日かかるかわからない任務。
 場合によっては暗殺の仕事になる。
 それは一人でなければ行えないし、何より仲間には見せたくない姿。
 ただ、ファルシオンはそんなフェイルの心境も理解した上で、敢えて踏み込んで来たような気がしていた。 
 そう目で訴えていたし、何より――――彼女は自らを『暗がりの道を歩く人間』と称していた。
 その根拠に、負い目があったのは間違いない。
 フランベルジュ、そしてリオグランテに対し、ずっと騙していたという負い目だ。
 だからこそ、フェイルは彼女の同行を拒否する決断を下す事が出来た。
 彼女の心の何処かに『逃げ道』を探している欲求があり、フェイルと同じ道を歩む事が
 その欲求に通じているとすれば――――受け入れる訳にはいかない。
 自身の判断に後悔はなかったが、単騎での行動となった場合、戦闘は兎も角として
 調査については多少の時間的問題がある点は否めなかった。
 流通の皇女として揺るぎなき地位を確立しているスティレットが何故、《花葬計画・二》に
 ここまで肩入れしているのか。
 ヴァールは生物兵器の投与により、スティレットは変貌したと言っていた。
 メトロ・ノームを我が物にしようとしている、とも言っていた。
 メトロ・ノームを手に入れ、その先に何を視ているのか。
 それを見極めた上で、成すべき事を成す必要がある。
 だがそのスティレットを探すのは一苦労だ。
 彼女には決まった拠点がない。
 ヴァールでさえも、彼女の現在地を正確に予測するのは困難らしい。
 直接的ではなくとも、何かしら彼女に関する精度の高い情報が要る。
 情報を取り扱う人物と言えば――――
「ケケケ。そろそろトリシュの出番な気がします」
 不意に、フェイルの歩く道の遥か上から声と共に人が降って来る。
 それでも、フェイルは至って冷静な顔で眼前に現れた終始半笑いの女性を眺めていた。
「建物の屋根を伝って尾行……は百歩譲ってわかるとしても、敢えて微弱な気配を発しているのは
 どういう事なのかな。トリシュさん」
「トリシュなりの気遣いなのですよ。そこは察して貰えないと」
 一体何の気遣いなのか――――という疑問は藪蛇だと確信し、フェイルは追求を控えた。
 何より今は、軽口を叩いている精神的余裕はない。
「君はフランベルジュがお気に入りだから僕達と行動を共にしてたと思ったけど、
 彼女から離れてもいいの?」
「お生憎ですが、トリシュはテメーと一緒に行くつもりはないのです。ただ、もし昨晩流通の皇女の
 腰巾着と何か契約を交わして、その契約を履行しに行くのなら、助言くらい差し上げようと思いまして
 馳せ参じたのですよ。ケケケケケ」
「……」
 昨晩、彼女がヴァールとの会話まで盗み聞きしていた可能性は極めて低い。
 それでも、自分が去ったのちフェイルとヴァールが暫く二人きりになっていた事は
 想像に難くないし、先程のファルシオンと話していた内容を何処かで聞いていたのだとしたら、
 スティレットと接触しようとしている事は容易に予想出来るだろう。
 まして彼女は諜報ギルドの幹部。
 壊れてしまっているとはいえ、洞察と分析に関しては健在のようだ。
 問題は――――
「君が僕に助言をするメリットが見えない。もう情報は売らないんだよね?」
 気まぐれにしては用意周到過ぎる。
 この早朝にわざわざ尾行までして現れた以上、そこには必ず何らかの理由がある筈だ。
「ウケケ、助言にまで値段は付けませんですことよ。他人の好意をありがたく
 受け取れない猜疑心まみれの汚物にはわからないでしょうが、トリシュはとっても慈悲深い人。
 女神のような心の広さで手助けしてやるっつってるんですよ」
「……絶対嘘だよね。ま、いいけど」
 昨晩既に『目的は話さない』と断言されている以上、押し問答を続ける意味もない為、
 フェイルはその助言とやらに耳を傾ける事にした。
「スティレットさんについて、何かしらの情報を教えてくれるんだよね?」
「エフフ。あくまでも助言程度ですけどね」
 不気味な笑い声をあげたのち、トリシュは突然表情を引き締める。
 真顔が却って歪に見えた。
「あの女はメトロ・ノームで"ある物"を探してます。それにはあの、ぽわぽわな美少女ちゃんの
 封術が邪魔だったのです。彼女はまだ封術を継続させてますけど、メトロ・ノームから離れた事で
 その力は確実に弱まってます」
「……弱まってる?」
 "ぽわぽわな美少女"というのがアルマを指しているのは間違いない。
 そして現在もアルマが封術を使用しているのは、昨晩確認した通り。
 だが、封術が弱まっているというのは初耳だった。
 フェイルの知る限り、攻撃魔術には術者から離れれば離れるほど威力及び精度が減衰するという
 傾向は確実にある。
 だが封術と攻撃魔術は根本的な性質が異なる。
 何らかの扉や箱に対して封術を施したとして、術者がそこから離れたからといって
 封じる力が弱まるようでは、封術の有効性は非常に小さなものになってしまう。
 素直には信じられない話。
 けれど仮に、メトロ・ノームそのものにアルマの魔力を高める作用があって、
 そこから離れる事でアルマの魔力が減っているのだとしたら?
 その仮説の信憑性は兎も角として、現時点であり得ないと断言する事も出来ない。
 それよりも、問題はトリシュが今ここでフェイルに接触してきた動機だ。
「トリシュの助言はここまでです。彼女について詳しい事情を知りたいなら、自力で調べる事ですね。
 お知り合いを探せばちっとは手がかりが掴めるかもしれませんよ。あの女が何を企んでるのか。
 この国で何をしでかそうとしているのか……ケケケ」
 トリシュは"何かをさせようとしている"。
 そう悟ったフェイルは、薄い闇をまとったトリシュの瞳の奥にある不気味な意思を視認し、
 一つの解答を得た。
「君もスティレットさんが探してるという"ある物"を欲してるんだね?」
「さーて。何の事でしょうね?」
 人の身でありながら、人ならざる物を得た二人が睨み合う――――






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