生物兵器。
 元々はトゥールト族という少数民族が、魔術国家デ・ラ・ペーニャにおいて
 魔術士に対抗すべく生み出した技術だった。
 主流だったのが、動物を組み合わせて『合成獣』とでもいうべき存在を開発する方法。
 魔術を完全無効化するのは困難でも、人間とは比較にならないほど並外れた耐久力を持つ
 生物を生み出すことで、攻撃魔術、そして魔術士への脅威とする。
 その手法はかなり長期にわたり検討が重ねられたが、合成獣に一定水準以上の知能を
 持たせる事は非常に困難であり、命令通りに動かすのはほぼ不可能と結論付ける事となった。
 だが、生物兵器の可能性はそこで途絶えなかった。
 生物とは、この世に生きる全ての者を指す言葉。
 当然そこには人間も含まれる。
 生物兵器を、人間の強化および"進化"に応用出来るならば、敵を魔術士に限定せず、
 それどころか戦闘の枠内にさえ囚われない、無限の可能性が生まれる。
 ただし、それを実現するには人体実験の実行が不可欠。
 それも、かなり大がかりな実験が必要だった。
 倫理的観点で言えば、紛れもなく『あり得ない』道。
 神への冒涜と論ずる者も多く、生物兵器が大々的に研究・開発される事は
 どの国においても不可能。
 ――――の、筈だった。
 例外が、けれども何事においても在る。
 その一つが、エチェベリアの新市街地ヴァレロンの地下に広がるメトロ・ノーム。
 法律も、倫理も、そして天の眼でさえも、この場所には及ばない。
 国家も、生みの親たるトゥールト族さえも把握しない研究が、ひっそりとではなく
 大々的に、そこでは行われていた。
「お前等の"本当の目的"は、指定有害人種の始末なんかじゃねぇ。表向きに
 そうしてるだけで、真の目的はその時に扱われた膨大な資料なんだろ?」
 そこは室内であり野外。
 街であり洞窟。
 定義の安定しないメトロ・ノームという空間を、バルムンク=キュピリエは
 余り好ましく思ってはいなかった。
 それはある種の同族嫌悪だ。
 生まれ落ちた時から、恵まれた体躯だった。
 容姿も強面。
 何より、自身に肉体に関する上昇志向があった。
 それ故に、誰もが見た目から『力自慢』だと見なされた。
 姉のスティレットとは全く似ても似つかない、真逆の存在だと。
 けれども、バルムンクの真価は力ではなかった。
 確かに鍛えに鍛えたその肉体は、エチェベリア国内の全傭兵の中でも
 随一と言える水準に達している。
 実際、バルムンクは九割以上の闘いにおいて、強引に力で押すスタイルを主としている。
 それが最も簡単だからだ。
 だが一〇回に一回ほどの割合で、思わず感心するほどの実力や精神性を持った相手と
 巡り会う事がある。
 そんな時、バルムンクは滅多に見せない本来の闘い方を思い出す。
 自らの意思で切り替えている訳ではない。
 その判断は本能に委ねている。
 戦闘力でなくてもいい。
 何か一つ、自分を唸らせるものを持っている人間ならば、自分もまた相手を唸らせてやるのが礼儀。
 そういう信念を、バルムンクは持っていた。
「ここで眠らせておけば流出の心配はねぇし、特に使う用事もなかったから放置してたんだろうが……
 そうもいかなくなった事情ってのが、どうにもあるみてぇだな? この国の王様にはよ」
 だからバルムンクは何の躊躇もせず、愛剣デストリュクシオンを構えながらも
 距離を詰めるという選択肢を放棄し、会話を続けていた。
 情報を得る目的はない。
 相手の隙を探る為。
 バルムンクは、敵との距離を誰より正確に測れる自信があった。
 それは目測ではなく、もっと原始的な感覚。
 昔から、自分の身体を動かす上で、自分の中のイメージとのズレを感じた事は全くなかった。
 担ぎ上げ振り下ろした剣がどれだけ重くても、狙いから寸分違わぬ所を斬る事が出来る。
 特に得意なのは突き。
 敵の喉や手首といった、血が多く流れる箇所を一点集中で狙う技術が、バルムンクにはある。
「その回収係がテメェって訳だ。どうだ? 間違ってるのなら反論くらいしてもいいんだぜ?
 俺は別に、この世の全てが自分の思い通りにならなきゃ気が済まないって性質じゃねぇしな。
 王族には多いらしいがな。そういうヤツが」
「……見かけによらず、中々冷静な男だな」
 そのバルムンクと対峙するデュランダル=カレイラの目は、瞬時にその才能を見抜いていた。
「ならば、私との実力差もある程度は理解出来ているだろう。貴様の話術程度で隙は見せない。
 そして、その娘を抱えたままの貴様なら、問題にならない事もな」
 既に抜き身となっているオプスキュリテが、薄闇の中に漆黒を映し出している。
 バルムンクを目の前にして、まるで風のない日の湖のような目を出来る人物が、
 果たしてこの世に何人いるだろう。
 少なくとも、一人はいる。
 デュランダルの平坦な表情は、ただそれだけで、状況を圧迫していた。
「貴様の見解について回答する気はないが、その娘が必要、とまでは言える。
 素直に渡せば命の保証はしよう」
「成程な。"誰がお嬢ちゃんを狙ってるか"見定める為に、暫く泳がせてたって訳か。
 テメェの気配がフェイルと重なった割に、何事もなかったのが不自然だとは
 思っちゃいたが」
「……こちらも成程、だ。ギルドなどには勿体ない人材だな。会う状況が違えば
 部隊に引き入れたかったくらいだ」
「騎士団、じゃねぇのか? 王宮騎士団【銀朱】の副師団長様よ」
「騎士とするにはやや愛国心に欠けているように見受けられるのでな」
 言葉を紡ぐデュランダルに、隙は一切ない。
 感情の波さえ確認出来ず、バルムンクはこれ以上の引き延ばしは無駄だと悟り、
 アルマをその場に下ろした。
 眼前に自分を狙う脅威が迫っているにも拘わらず、アルマは恐怖を表面化させていない。
 それでも、その細身の身体を支える脚は震えている。
 彼女の気丈さを、バルムンクは誇らしくさえ思っていた。
「クリシャロヴィッツ礼拝堂に繋がる柱は解除出来るようになってる。そこから上へ行って、
【ウエスト】で保護して貰え。ただし、ここであった事は誰にも喋っちゃ駄目だ。
 話しちまったら、管理人ちゃんの周りに苦労が増えちまう。出来るな?」
 既に長い会話が不可能な状況下にあるのは、アルマも十分理解していた。
 ここに自分が留まれば、どれほどの負担になるかも。
 王宮騎士団の副師団長に命を狙われている人物だと知って匿えば、その者が国家反逆罪となる事も。
 だからアルマは質疑応答も、首肯さえも省略し、礼拝堂へ通じる柱の方向へ駆け出した。
 無数の柱が存在するここメトロ・ノーム。
 管理人である彼女だからこそ、どの場所からでも目的の柱の位置を正確に割り出せる。
 彼女のその空間把握能力は、天性のものだった。
「さて……そういや、あの地上で行われた大会。エル・バタラとか言ったか?
 もし俺が棄権しなけりゃ、準決勝で俺達が戦ってた筈だよな。
 ここでその続きをしようじゃねぇか」
 バルムンクもまた、アルマを一切見送る事なく、常にデュランダルを視界中央に収めていた。
 一瞬でも視界から外せば、命が引き千切られる。
 そういう感覚は、バルムンクと言えど初めての経験だった。
「ウエスト。あの諜報ギルドか」
 一方、デュランダルはアルマを追おうともせず、ポツリとそう呟くのみ。
 相変わらず平坦極まりない感情のまま、闇と同化しているかような瞳を携えている。
 デストリュクシオンを握るバルムンクの腕から、汗が滴り落ちた。
 瞬間――――気付く。

 焦りを見せないのではなく、焦るまでもないのだとしたら?

 アルマを追っている人物が、自分とこうして向き合っているのは不自然極まりない。
 常に冷静さと向き合ってきたバルムンクだからこそ、デュランダルと対峙しながらでも抱けた疑問。
 本来、彼ほどの実力者がそこに気付く事はない。
 自分がこうして戦意を向けているのだから、背を向けられる筈がない――――そう考えるからだ。
 だがバルムンクはそこに懐疑の目を向けた。
 どうしてアルマを追わない?
 逃げ込む場所がわかっているから?
 否。
 どの柱がクリシャロヴィッツ礼拝堂に繋がっているかなど、アルマ以外にわかる筈もないし、
 このメトロ・ノームには地図も存在しない。
 また、ウエストのギルド本部に行けば見つけられる、等と安直な見解を持つ筈もない。
 追われている身のアルマが、そこに留まり続ける理由などないのだから。
 本来、地上に逃げられたら厄介な筈。
 なのに焦らないのは――――考えられる理由は一つしかない。
「テメェ、まさかウエストと……」
 諜報ギルドはその性質上、常に協力関係を築こうとする。
 その一方で、一つの勢力に肩入れはしない。
 彼らにとって重要なのは、"誰と仲良くすれば一番得か"。
 信頼が不可欠である一方で、究極の商業主義――――それが諜報活動の常だ。
 バルムンクは反射的に、アルマの後を追うべく駆け出す。
 それは、デュランダルに背を向けるという、国内の誰しもが自殺行為だと断言出来る行動。
 けれどバルムンクは躊躇なく実行に移した。
 

 刹那――――鈍い音と共にデストリュクシオンに亀裂が入り、宙を舞った。







 

chapter 10.


- on the metro nome front -








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