フェイルはこれまでの人生において、女性と接する機会は決して少なくなかった。
 アニスのような肉親もいれば、クトゥネシリカとフレイアのような職場での知り合いもいた。
 薬草店ノートを構えてからは、客としてやって来る女性に対し多少の媚びへつらいも
 身につけなければならなかったし、それなりに女性への接し方は学んでいた。
 けれども――――その経験をもってしても、ヴァールの行動は全く読めなかったし、
 何より対処に苦しんでいた。
 刺々しさ、或いは毒々しささえ多分に含んでいる彼女が今、自分に抱きついている。
 理解するのさえ躊躇するほど、あり得ない現実。
 けれども、ヴァールの予想すらしていなかったその体温が、嫌でも夢や幻術ではないと
 訴えかけてくる。
 魔術士でありながらローブは着用せず、灰がかった暗い青緑色の服を着用する彼女の
 その温もりは、思いの外薄手の生地の所為もあり、より鮮烈に伝わってきた。
 もし、この状況で彼女が隠し持っていた短剣を身体に突き刺してくれば、避ける術はない。
 魔術士ではあっても、それくらいはやりかねない。
 ヴァールという女性に対するフェイルの印象は、概ねそこで固まっていた。
 冷血でありながら、直ぐにその血を滾らせる感情の波が激しい人物。
 スティレットへの侮辱と、オートルーリングに対しては過剰な怒りを躊躇する事なくぶつけてくる。
 だが――――今のヴァールは違う。
 撓垂れ掛かるかのように、フェイルの身体に自身を預け、その身を震わせている。
 まるで情婦のように。
 まるで少女のように。
「……」
 それまでの人物像とまるで異なるヴァールの行動に対し、フェイルは余りに無防備だった。
 油断ではなく狼狽によって生まれた、致命的な隙。
 けれど、ヴァールもまた次の動きを見せずにいた。
「私は奴隷だ」
「……え?」
 動かない代わりに、唐突に強い意味を持つ言葉を発したヴァールに、フェイルは
 思わず間の抜けた声を返す。
 奴隷。
 その一般的な意味を敢えてそのまま解釈するならば、彼女はスティレットに買われた身、
 という事になる。
 魔術の本流を外れ、我流で存在意義を作り出している一族。
 例えヴァール以外の者を見た事がなくても、そこには誇り高き信念があり、その信念に
 基づいて生きる血統のように思える。
 その一族から奴隷が生まれるのは、想像し難い。
「それは……君がアルマさんを襲った動機、いや、アルマさんの家を襲撃するよう
 指示した相手と関係があるの?」
 だからフェイルは、ヴァールが『奴隷』という比喩を用いていると理解した。
 彼女はスティレットに仕える身だが、カラドボルグ=エーコードとの繋がりもあった。
 カラドボルグは彼女を"相棒"と表現していたが、実際にはそのような対等な間柄ではないだろう。
 加えて、カラドボルグとスティレットの関係は、必ずしも良好ではないのが、
 ヴァールの口ぶりからも推察される。
 自身の意思とは真逆の相手に従わざるを得ない何かが、ヴァールを縛っている。
 なら確かに奴隷という表現は正しいのかもしれない。
「カラドボルグさんに脅されている、とか」
 ヴァールを刺激する可能性は高かったが、それでもフェイルは固有名詞を出した。
 けれどもヴァールは動かない。
 フェイルにもたれかかったまま、顔も上げず、暫く沈黙を続け――――
「……あの男は恐ろしい」
 信じ難い発言と共に、その身体を震わせ始めた。
 あのヴァールが――――そんな思いを半ば無理矢理封印し、フェイルは聞くべき事を整理する。
「その『恐ろしさ』の矛先は、スティレットさんに向いてるの? それとも、君?」
「……」
 質問が悪かったのか、ヴァールは答えずに震えるのみ。
 或いは、カラドボルグの恐ろしさを口に出すのさえ躊躇しているのかもしれない。
 もしそうなら、カラドボルグという存在がどれだけ異質なのか、という事になる。
『高稀なる死』を看取る事が目的だと語っていたあの医師が。
「……スティレット様の存在は、あの男に握られてしまっている。もし怒らせれば、
 スティレット様は直ぐにでも、この世からいなくなってしまう」
「存在……?」
 命、ではなく存在。
 フェイルは感覚的に、彼女の言葉の不自然さを理解した。
「スティレット様は、一度命を落としている」
 ヴァールも、フェイルが気付くのを前提で話したらしく、直ぐに補足を入れた。
「亡くなったあの人を蘇らせたのが、カラドボルグ=エーコードだ。あの男は
 生物兵器をスティレット様の体内に投与する事で、それを実現させた」 
 余りに現実離れした発言――――と、ハイト=トマーシュの話を聞いていなければ
 そう思っていたに違いない。
 そんな確信を持ちながら、フェイルはヴァールの話に耳を傾ける。
 心なしか、彼女の体温は先程より下がっているように思えた。
「スティレット様の体内に投与された生物兵器は、心臓の代わりになって
 あの方の体内に血を循環させているらしい。詳しい仕組みは私も知らない。
 わかっているのは……その生物兵器には栄養が必要な事。栄養が不足すれば
 機能を停止させ、スティレット様も元の状態に戻る」
「その栄養は、普段僕達が食べているような食事じゃ得られない……?」
「そうだ。カラドボルグが調合した薬を定期的に服用する必要がある。
 それはカラドボルグにしか出来ないし、奴以外に調合方法も材料も知らない」
 ヴァールが語るこの話が事実なら、確かにスティレットの存在はカラドボルグ次第、
 という事になる。
 幾ら流通の皇女と言えど、世界に一人しか調合出来る人間がいない薬を
 他から得る事は出来ないのだから。
 けれども、その立場にあってスティレットはカラドボルグに絶対服従といった様子はなく、
 カラドボルグからもスティレットを支配しているような言動は見られない。
 両者の関係を推し量るのは、少なくとも常識的な思考では困難だった。
「スティレットさんって、どんな人なの?」
 本来ならヴァールの身を自分から引き離さなければならないところだったが、
 フェイルはそれを後回しにして、問い掛けを優先した。
 彼女達の思惑を理解するには、彼女達の本質を探らなければならない。
 ヴァールから得られる情報は、スティレットの人柄だ。
 側近である彼女なら、素の顔を知っているかも――――そんな期待もあった。
「……眩しかった。オートルーリングによって邪道とされていた魔術がいよいよ
 存在価値を失っていた中で、私達一族に、私に手を差し伸べて下さった。
 当然それは、私達の魔術が金になるからという理由だったが、それは最高の評価だった。
 あの方にとって、経済を動かすのは人生そのもの。『お金の前では全て平等』という
 信念の下に、あらゆる事に対し先入観なく意欲的に接する方だった」
 胸に顔を埋めるようにしてすがる体勢のままでいるヴァールの表情は、フェイルからは見えない。
 ただ、その言葉全てが――――過去形だった。





 

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